第七章 最後の戦い
こうなるともう、アンゼリカは必死になって、ヤギの毛をつかむしかありませんでした。
うしろから追いかけてくるドラゴンのあつさは、気持ちのいい夏のあつさとは全然ちがいます。
ちりちりとしていて、まるで、針でつつかれているようです。
右へ飛び、左へ飛びするヤギは、それはすばらしい動きでドラゴンの牙をかわしていましたけれど、目をつぶったアンゼリカは、それをすばらしいと思うこともできませんでした。
でも、ヤギの広い背中は、ずっとアンゼリカをふり落とさずにいてくれましたし、ヤギのかたい毛は、アンゼリカの顔を、優しくなでていてくれました。
アンゼリカは、ヤギの毛をぎゅっと握りました。
するとヤギは、大きく飛び上がって、平らな地面に着地しました。
それは、アンゼリカと夜の生きものたちが大ダンスパーティをした、あの場所でした。
「まだ顔を上げてはいけないよ」
ヤギはそう言うと、そのまま、もっと下まで走っていこうとしました。
けれど、それよりも先に、ドラゴンのはいた火の息が前の地面を焼いてしまったので、急いで飛びのかなければなりませんでした。
そうしてついに、ヤギとアンゼリカは、火にかこまれてしまったのでした。
「魔王さん」
真っ赤になった地面と、真っ赤になった空が、ふたりのいる場所に、じりじりと近づいてきます。
不安になったアンゼリカは、ヤギの首に抱きつきました。
ヤギは、鼻から息をはき出して、
「だいじょうぶだよ」
と、言いました。
なにがだいじょうぶかはわかりませんでしたけれど、アンゼリカは、少し気持ちが楽になりました。
「ひ、ひ、ひ」
そこに聞こえたのは、魔法使いの不気味な笑い声です。
火のかべに邪魔をされて、どこにいるかはわかりませんが、魔法使いからはこちらのすがたが見えているのでしょう。
魔法使いは、もう一度大きく笑って、こう言いました。
「もう逃げられんぞ」
それは本当に、恐ろしい声でした。
「お前たちふたりとも、ここで燃えかすにしてやる!」
ぞっとしたアンゼリカは、ヤギにしがみつきました。
ですがヤギは、魔法使いにむかって、平気な顔でこう言いました。
「お前さん、こいつはやりすぎだな」
「なに!」
魔法使いの、どなり声が聞こえました。
「お前、わしにもんくを言うのか!」
「そうじゃない。わたしは、お前さんに忠告をしてやってるんだ」
まわりの炎が、ぼんぼんと燃え上がりました。
ドラゴンのとがった目が、火の上から、にらんでいるのも見えました。
けれど、ヤギはやっぱり、恐れるもののない、まっすぐな目で、ドラゴンをにらみ返しました。
「お前さんも知っているだろう。ここは、妖精王の山だと」
「それがどうした!」
「もし、わたしが妖精王なら、自分の子どもを追いかけまわして、庭先に火をつけるようなやからは、ゆるしておかないね」
すると、突然、魔法使いもびっくりするようなことが起こりました。
いきなり空が真っ暗になったかと思うと、とんがり山のてっぺんから、白い竜巻がおりてきたのです。
それは、とてつもなく大きな竜巻で、まず、ヤギとアンゼリカのまわりの火を、ひと息で消してしまいました。
そして、ドラゴンにむかって行ったかと思うと、ごうごうと、すさまじい音を立てて、それにぶつかりました。
ギャア、と、ドラゴンのさけび声がとどろきます。
真っ赤なうろこが、ばらばらと飛び散って、炎と一緒に、天高くまで吹き上がっていきます。
それでもドラゴンは、その太い腕をめったやたらとふりまわして、やり返そうとしました。
けれど、竜巻はもちろん、びくともしませんでした。
そのうち、暴れるドラゴンは、砂のように崩れはじめ、風の中で、最後のおたけびを上げました。
風がおさまった、そのあとには、きょろきょろとあたりを見まわす、火トカゲだけが残りました。
「まあ!」
アンゼリカがびっくりしたのは、死んでしまったとばかり思っていた火トカゲが、元気そうに逃げていった、というそれだけじゃありません。
あんなに強い風が通ったあとだというのに、あたりは、草の一本もたおれていなかったのです。
それどころか、火で燃やされてしまったところには、新しい芽が、次々と萌えはじめているではありませんか。
「妖精王は、どんなものも、ふみつけにすることはないんだよ」
ヤギは、優しく教えてくれました。
そして、小さくなって地面に座りこんでいる魔法使いにむかって、こう言いました。
「お前さんもわかったろう。この山をおりるといい」
しかし魔法使いは、血走った目で、ヤギをにらみつけました。
「うるさい!」
そうして急に、本当になんの前ぶれもなく、杖を、ぴかっと光らせたのです。
目をくらまされたヤギとアンゼリカは、いっしゅん、なにが起こったのかわかりませんでした。
ただ、何秒かたって、目が見えるようになったとき、アンゼリカは、魔法使いの手の中に、しっかりと握られていたのでした。
「ひ、ひ、ひ、ひ」
魔法使いは笑いました。
「さあ、これでわしの勝ちだ!」
アンゼリカは、そんなことはないと言おうとしましたけれど、見えない力で、声が出せないようになってしまっていました。
だったらと、ゆびの中でからだをねじって逃げようとしましたけれど、魔法使いは、もっと強い力でアンゼリカを握りました。
アンゼリカは息がつまってしまって、それ以上、からだが動かなくなってしまいました。
これを見て怒ったのはヤギです。
ヤギは前足を地面に打ちつけて、角をぶんぶんとふりまわしました。
その口からは、白い息が立ちのぼりました。
魔法使いは、また光りはじめた杖の先をヤギにむけて、
「なまいきなヤギ。お前は……石になれ!」
と、さけびました。
杖の先から雷のような光が飛び出すのと、ヤギが横へ飛ぶのとは、ほとんど同時だったでしょうか。
さっきまでヤギのいたところに生えていた草が、灰色の、石のかたまりになっています。
ヤギはそれからも、岩だなを飛びおりてきたのと同じすばやさで、雷をよけ続けました。
そのたびに、地面は灰色になっていきました。
ところが、ああ、なんということでしょう。
魔法使いはついに、もっとも恐ろしい言葉を口にしたのです。
「動くな! これも石にするぞ!」
これ、と言ったのは、もちろん、小さな、とらわれのピスキー。
アンゼリカのことです。
ヤギは、真っ赤な目を、もっと真っ赤にして怒りました。
大きな角をふり立てて、前足のひづめで、石になった草花をふみつけました。
けれど、そこからはもう、一歩も動こうとはしませんでした。
「魔王さん!」
アンゼリカはさけびました。
いいえ、さけぼうと思っても声が出なかったので、それは口の動きだけでした。
でも、ヤギはアンゼリカの言いたいことがわかったのでしょう。
少し悲しそうな顔をして、あきらめたように、首をふりました。
アンゼリカは、胸の中がいたくて、しめつけられるようでした。
「ようし、ようし」
満足そうに鼻をもんだ魔法使いは、杖をふり上げて、
「石になれ!」
大声で、さけびました。
ヤギは目をとじて、石の置き物になるかくごを決めました。
けれどそのとき、ヤギには、魔法はかからなかったのです。
なぜなら、
「ぎゃあ!」
杖の先から出た雷は、空にむかって飛んでいったのですから。
そうして、ぽとんとひとつ、石になった水の粒が落ちてきたのですけれど、そんなことはどうでもいいことです。
大事なのは、アンゼリカが、魔法使いの指にかみついていた、ということです。
「いたい、いたい!」
魔法使いは泣き声を出して、アンゼリカを地面にすてました。
そして、かまれたところを、杖の先でなでました。
それはきっと、けがをなおす魔法だったのでしょう。
でも、そんなことに一生懸命になっている間に、角をかまえたヤギが、もう然と突進してきたのですから、たまったものではありません。
魔法使いは、そこからがけの外まではね飛ばされて、深い深い、とんがり山のならくを落ちていきました。
ものすごいさけびが、どんどん小さくなりながら、ずっと下のほうまで落ちていきました。
すべてが終わった、そのあとには、空飛ぶホウキと杖だけが、ぽつんと、残されていました。




