第五章 アンゼリカ がんばる
その魔法使いの屋敷は、とんがり山の、てっぺんに近い場所にありました。
とは言っても、それは立っているのではなく、遠くから見れば、まるで、そり返ったかべにぶら下がったミノムシのようです。
渡りろうかでつながった天空の塔。
白いしっくいの壁。
それは立派な城でしたけれど、とんがり山に住む生き物たちが、その場所へ近づくことはありません。
それどころか、外からは見えなくなる魔法がかけられていて、ここにあることさえも知っているものは少ないのでした。
「さあ、お前の部屋はここだ」
アンゼリカは虫かごごと、窓のない、物置のような部屋につれてこられて、フックにつり下げられました。
そこは、ホコリくさい場所でしたけれど、ふけつではありませんでした。
「ねぇ、帰してちょうだい」
アンゼリカは勇気を出してそう言ってみました。
けれど、じろり、にらまれては、口をとじるしかありません。
あの火トカゲのことを思い出すと、自分もああなってしまうのじゃないかと心配になったのです。
魔法使いは、にたりと笑って、アンゼリカにこう言いました。
「お前は明日だよ」
「あ、明日?」
「そう、楽しみにしておいで」
魔法使いはそれきりで、さっさと部屋を出て行ってしまいました。
「ああ!」
アンゼリカは、小さな虫かごの中で、さけびました。
「明日! 明日、わたしどうなるの?」
手足をばたばたとさせると、虫かごがゆれました。
けれど、フックからは外れませんし、虫かごが壊れるなんてこともありません。
アンゼリカはそれでも、飛んだりはねたり、できるだけのことをしました。
しょく台の上の、オレンジ色の炎だけが、ゆらゆらとしただけでした。
「ああ……」
すっかり疲れはててしまったアンゼリカは、そこに座りこみました。
「もうおしまいだわ。きっと明日、食べられちゃうんだわ」
今日の晩さんは、たぶんあの火トカゲなのです。
「わたし、絶対においしくないわ。こんなにちっちゃいし、羽なんか、のどに引っかかるんだから」
アンゼリカは、少しでもするどく見えるように、背中の羽をめったやたらにこすりました。
でも、これが無駄な努力だということも、よくわかっていました。
「お願い、お后さま、いいえ、妖精王さま。助けてください」
あとはもう、いのるだけです。
「わたし、もう少しいい子になります。いもうとたちの面倒もみるし、お后さまをこまらせることもしません」
……たぶん。
「ごはんも静かに食べます。つまみ食いもしません。本のさし絵だけを見て、ぜんぶ読んだって言ったり、いたずら書きをしたりもしません」
これは、難しいかしら。
「どうか、助けてください……」
しょく台の炎が、さっきよりも、大きくゆれました。
「……あら?」
そのときはじめて、アンゼリカはあることに気がつきました。
ひとさし指をなめて、かざしてみると、まちがいありません。
部屋の中を、風が吹いているのです。
でも、窓のない部屋でどうして?
アンゼリカは、あたりをキョロキョロ見まわして、風の出どころを突き止めようとしました。
なんといっても、アンゼリカは風の子ですから、すぐに、それがどこかわかりました。
「あそこだわ!」
その、しょく台の上のほう。
天井の近くに、大人のネコがいっぴき通れるくらいの、空気穴があったのです。
「あれなら、わたしでも通れる!」
アンゼリカは、とたんに元気になりました。
うれしくて、うれしくて、思わず虫かごがあることも忘れて飛んでしまって、鼻の頭をおもいっきり、ぶっつけてしまいました。
「いた、たた。まずはこのおりだわ。これを、どうにかしなくっちゃ」
そこでアンゼリカは、虫かごのとびらについたカギを、ガチャガチャとやってみました。
小さなカギ穴に、指を入れてみたりもしましたけれど、だめでした。
「うぅん」
カギがどんな風にできているかなんて、アンゼリカは知りません。
ただ、この穴に、なにか棒を入れてひねるとあく、ということだけはわかっています。
「そうだわ。まずはその棒よ。棒を見つけなきゃ」
アンゼリカの次の目標は、棒探しに決まりました。
「棒……棒……」
ところがこれが、なかなか難しい仕事です。
なにしろ、とらわれの身では、できることなどほとんどないのですから。
アンゼリカは、また気持ちが折れそうになりましたけれど、ぐっとおなかに力を入れて、
「大丈夫、大丈夫」
と、何度も、自分自身に言い聞かせました。
「大丈夫」
その言葉にあわせて、風が、びゅうと吹きこんできました。
「あら?」
アンゼリカの耳に、また新しい発見が舞いこんできたのはそのときでした。
角笛を吹くような、アンゼリカの知らない音が、風と一緒に流れてきたのです。
それにしても、なんて不思議な音でしょう。
アンゼリカは好奇心をくすぐられて、もっとよく聞こうと耳をすませました。
それは、べええ、べええ、と聞こえました。
「魔王さんだわ!」
アンゼリカは飛び上がって手をたたきました。
こればっかりはたしかめようもありませんでしたけれど、絶対そうだとわかりました。
そしてこのとき、ヤギはたしかに魔法使いの屋敷のそばまできて、オオカミの遠ぼえのように、空へむかって声を上げていたのです。
これ以上のはげましがあるでしょうか。
「わたし、わたし絶対、ここから出るわ! ええ、出てみせるわ!」
アンゼリカは、すがたの見えない魔王に誓いました。
それは、お后さまや妖精王さまにしたのよりもずっと、たしかな誓いでした。
それからというもの。
アンゼリカは、無理に虫かごから逃げようとするのはやめました。
ガチャガチャやっても疲れるだけですし、どうせ、この小さな箱の中では、棒もなにも見つからないのです。
それくらいなら、なにかいいアイデアが浮かぶか、チャンスが来るまで待つことにしたのでした。
さて。
それは、お昼をすぎて、アンゼリカのおなかがグウグウと鳴りはじめたころのことでしょうか。
なんの前ぶれもなくドアがひらいて、手足のついた雪だるまのようなものが、部屋に入ってきたのです。
雪だるま、いいえ、土でできていたので土だるまは、大きなぶどうの粒がふたつ乗った皿を、アンゼリカにむかって差し出しました。
「くれるの?」
アンゼリカが聞くと、ボタンの目をつけた土だるまは、うんうんとうなずきました。
「ええと……そう、そうよ。ここをあけてくれなきゃ取れないわ」
と、わざと不器用なふりをして言ってみると、土だるまは、少しこまったようなしぐさをしました。
なんだか、かわいいわね。
アンゼリカは思いました。
「ねぇ、ここをあけてちょうだい?」
気分をよくしたアンゼリカが、さらに言ってみると、土だるまは、トイレをがまんするみたいにもじもじとして、指のない丸っこい手を、ぽんと打ち鳴らしました。
そして、よりによって虫かごのすき間から、ぶどうを無理やり、押しこみはじめたのです。
「きゃあ」
つぶれたぶどうのジュースが飛び散って、顔や耳にかかりました。
お気に入りのワンピースに、紫色のしみがつきました。
ぐいぐいと押されたぶどうが、アンゼリカの足元に落ちると、土だるまはひとりで満足して、また、うんうんとうなずきました。
「バカ! あんたは、とんだお人形さんね!」
アンゼリカはどなりました。
おかげでもう、からだじゅうがべとべとです。
荒っぽく虫かごの目を通ったぶどうも、皮がはげるわ、種は飛び出ているわで、あんまり食欲をそそる感じではありません。
「なにかふくものをちょうだい!」
土だるまは、のんびりと部屋を出て行ったかと思うと、またのんびりと、ぬれたタオルを持ってきました。
「もう、あっちへ行きなさいよ」
言われた土だるまはむきを変えて、それきり、この部屋へ戻ってくることはなかったのでした。
「ひどいわ! こんなのあんまりよ!」
アンゼリカは、からだをごしごしこすりながら、さんざんあくたいをつきました。
「なによ、わたしだったら、お客さまはもっと大事にするわ。こんな、かたい床に座らせたり、頭からジュースをかけるようなことはしないの。お菓子を出して、どうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいまし、って言うのよ。もちろん、ジュースはきれいなグラスに入れてね。このタオルだってひどいわ。ごわごわで、まるで木の皮みたい。だいだい、なに、あの雪だるま。あんなの、絶対かわいくないんだから!」
里では、きたない言葉を使うと怒られるのですけれど、ここでは、そんなことを気にする必要はありません。
からだをふいて、服のシミをこすって、少しだけ、ぶどうのいいところを食べて、アンゼリカはそれでも、口を動かし続けました。
そうやってあんまりしゃべりすぎたので、またのどがかわいて、ぶどうを食べました。
そこで、気づいたのです。
ふた粒のぶどうはつながっていて、そこには、枝が残っていたのだということに。
アンゼリカは、思わず、あっとさけんでしまうところでした。
ですが、ここで気づかれては大変です。
あわてて、口をふさぎました。
それは、アンゼリカの腕の長さほどもありませんでしたけれど、アンゼリカにとっては、立派な棒でした。
「やったわ、ついてる」
アンゼリカは静かに手をたたいて、枝をもぎ取りました。
曲げてみると柔らかくて、これなら、ちょっとやそっとで折れたりしないことは、すぐにわかりました。
アンゼリカは、
「どうか上手くいきますように」
と、いのり、それから枝の先を少しととのえて、カギ穴の中へ、それを差しこみました。
さあ、それからが長いこと。
あっちへやり、こっちへやりしても、なかなかカギはあきません。
それどころか、どんどん枝はすり切れて、短くなっていきます。
「お願い、ひらいて……あ!」
アンゼリカはとうとう、小さくなったぶどうの枝を持ちそこなって、下へ落としてしまいました。
「ああ……!」
こうなってはもう、どうしようもありません。
床から拾うなんてことは無理ですし、新しい枝もないのです。
アンゼリカのたくらみは、見事に失敗してしまったのでした。
でも、そのとき。
また、あの土だるまがやってきたのです。
お皿の上に、晩ごはん……ぶどうをふた粒乗せて。




