第二章 さあ おどろう
アンゼリカは次の日も、そのまた次の日も、ヤギと一緒にいました。
そしてヤギも、それをとやかく言わなかったので、ふたりはそれから何日も、一緒に山をのぼったり、おりたりしました。
羽がなかなかなおらなくって、帰るに帰れなかった?
それもあります。
ですがそんなことよりも、アンゼリカはこの優しい魔王のことが、すっかり好きになってしまっていたのです。
彼が悪いひとだなんて、きっと、うそだわ。
小さなアンゼリカは、いつも太い角の上で足をぶらぶらとさせながら、ヤギのすることをなんでも見ていました。
そうしてひとつわかったことは、魔王の目はお日さまの光の下でも、きれいなルビー色だということでした。
そして、ねむる前の気分がいいときなどは、よく通る低い声で、歌を歌うこともありました。
月を見てごらん
夜にあいた穴を
鏡のようなふたつの世界
映ったのは あちらか こちらか
「……ねぇ、あなたはいつもひとりなの?」
その夜も、うっとりと歌に聞きいったアンゼリカは、ヤギのおなかの上でころりと横になって聞きました。
「たいがいはね」
「さびしくはない?」
「ないよ」
「どうして?」
「それが普通だからさ」
「ふぅん……よく、わからないわ」
アンゼリカは、長くて美しいヤギの毛を取り上げて、それをくるくると、みつ編みにしました。
「だって、ひとりじゃかくれんぼだってできやしないし、歌を歌ったって、だれも聞いてくれないんじゃつまらないわ」
「それは、お前さんが、いつもだれかと一緒にいたからさ」
「そうかしら」
「はじめからないものは、これからずっとなくたって、さびしくないものだよ」
ヤギの言った言葉は、やっぱり、アンゼリカにはむずかしすぎました。
きっと、テツガクテキ、とは、こういうひとのことを言うのでしょう。
……ただ。
アンゼリカが、少し悲しくなったことだけはたしかです。
わたしがいなくなっても、彼はさびしくないんだわ。
そう考えると、少しだけ。
「どうしたんだい」
「ううん、なんでもないわ。ねぇ、もう一曲歌って」
「わたしは、ひと晩に一曲しか歌わないんだよ」
「ねぇ、お願い。わたし、あなたの歌が好きなんだもの」
「だったら、お前さんが歌ってごらん」
「わたし?」
「うんと楽しいのがいい。もうずいぶんと、ひとの歌を聞いていないからね」
「ええ、いいわ」
ヤギのおなかからぴょんと飛びおりたアンゼリカは、草原の中の、目についた平たい石の上に立って、ワンピースのすそをつまんだ、ちょっと気取ったおじぎをしました。
コンコンコン、とヤギがひづめを鳴らしたのは、拍手のつもりなのでしょう。
月の光が、ちょうど頭の上からふりそそいで、とてもいい気持ちです。
アンゼリカは、ひとつ深呼吸をしました。
さあ おどろう
鳥が鳴いてるよ
さあ 歌おう
魚が笑ってる
あっちへいって ころころ……
「あ、ごめんなさい!」
アンゼリカは、歌をまちがえてしまいました。
ここは、ころころ、ではなく、ぐるぐる、だったのです。
せっかく、ダンスもいいところだったのに。
「やめることはなかったじゃないか」
「でも、動きとあわなくなっちゃうわ」
「いいんだよ。とても上手だった」
「本当?」
「さあ、続けた続けた」
アンゼリカは、うれしい気持ちで胸がいっぱいになって、顔が熱くなりました。
そしてこれは、アンゼリカも気づかなかったことなのですけれど、背中の羽もうれしさで、ぱたぱたと動きました。
すると、なんということでしょう。
アンゼリカのからだが、少し浮いたのです。
「あっ!」
びっくりした拍子に、アンゼリカは、すとん。
しりもちをついてしまいました。
「見てた?」
「ああ、見てた」
「飛んだわ! 飛べたわ、わたし!」
「もう一度やってごらん」
「ええ、ええ!」
アンゼリカは、自分を落ち着けるためにまた深呼吸をして、おそるおそる、まだちょっぴり曲がったままの羽を動かしました。
「あ……」
わかります。
折れる前のように、羽が風を集めています。
手を広げると、ワンピースのすそがはためいてめくれ上がりそうになったので、アンゼリカは、あわててそこを押さえました。
昔はこんなこと、あまり気にしなかったのですけれど、なぜだか今日は気になったのです。
「さあ、飛んで」
ヤギに言われ、アンゼリカは力強くうなずきました。
「さあ、飛んで」
オウム返しにアンゼリカが言うと、今度は羽が、ぶるぶる震えました。
「さあ……飛ぶの」
まるで羽毛のように優しい風が足元をすくい、アンゼリカは静かに、ゆっくりと、宙に浮きました。
「いいぞ!」
こんなに大きなヤギの声を聞いたのは、はじめてです。
アンゼリカはびっくりしましたけれど、同時に、とても誇らしい気持ちになりました。
「あなたのおかげね!」
「とんでもない」
「いいえ、あなたのおまじないのおかげだわ。ステキ! あなたはやっぱり、とってもいい魔王だったのね!」
アンゼリカは、ためしに、空中でバック転をしてみました。
これは、いままで一度も失敗したことがない得意技です。
せえので、くるりとまわると、完璧に決まりました。
「やったわ! やった、やった!」
「ブラボー」
ひづめの拍手が、おしみなく与えられました。
「ねぇ、いまなら、もっと上手く歌っておどれるわ! まちがえたって、もう、かまうもんですか!」
「よし、やってくれ」
「ええ、見ていてね!」
このすばらしい夜のことを、アンゼリカは一生忘れないでしょう。
なにしろ、アンゼリカの歌とおどりに引かれて、とんがり山じゅうの虫や、夜の精霊たちが集まってきたのです。
そして、はじめは遠くからながめていたその生き物たちも、だんだんと、アンゼリカの手拍子に調子をあわせはじめ、しまいには、大ダンスパーティとなりました。
「そう右足よ! それから、トン、トン、トン!」
みんなが手を取りあっておどる中、空では光る虫たちが、昆虫音楽隊の演奏にあわせておしりをふりふりしています。
月の光が苦手な夜の精霊たちは、草むらのかげから、やんやと葉っぱをふりました。
これは、もっとやれ、もっとやれ、というのです。
「今度はみんなでジャンプよ! いち、に、さん!」
それ、と、飛び上がったノームたちが、短い足をもつれさせて転びました。
みんな、ゲラゲラと笑い転げました。
ですが、ヤギだけはおどりに加わらずに、なにかまぶしいものでも見るような目で、輪の中のアンゼリカを見つめていたのでした。




