第一章 とんがり山の魔王
その日は、とてもきれいなお日さまが出ていました。
とんがり山の黒いてっぺんが、それはもうくっきりと青空に浮かび上がり、さらさらと吹く風に草原がゆれています。
その、雲ひとつない空の真ん中を、小さな白い紙飛行機がひとつ、風に吹かれて飛んでいました。
「ねえ、アンゼリカ。もう戻りましょうよ」
「ええ? もう?」
飛行機に乗った小さなアンゼリカは、かわいくとがった耳をぴくぴくと動かし、背中の羽で幼なじみのココをたたくようなしぐさをしました。
するとココも、負けじとやり返して、
「今日は風が出るって、占い師のおばあさんも言ってたじゃない。いもうとたちの世話もしなきゃだし」
「あらそう。だったらあなただけ戻ればいいでしょ」
「あのねえ、アンゼリカ」
「だって、今日は本当にいいお天気。こんな日を、うろの中で、あやとり遊びしてすごすだなんて、わたし耐えられないわ」
「そりゃあ、わたしだって、わかるけれどさ」
ココは、口をモゴモゴ言わせました。
「だから、ね。わたし、もうしばらくこうしているわ。お后さまだって、まだご機嫌がなおらないだろうし」
「あら、それは、だれのせい?」
「いいから行きなさいよ」
「ええ、そうするわ」
あきらめたココは、ぴょんと紙飛行機から飛びおり、空の中でブンブンと羽を動かしました。
お日さまの光を受けて、すきとおった羽はキラキラと輝いて見えました。
「いい? 早く戻りなさいよ」
「気がむいたらね」
「じゃあ、気をつけて!」
ココは大きく手をふると、行ってしまいました。
……ばかじゃないかしら。
アンゼリカは、紙飛行機にうつぶせて、思いました。
そうよ、いもうとたちの世話なんて、きっとだれかがやってくれるわ。
風が出たって、たいしたことはないじゃない。
どんな風が来ても、それに乗って飛べばいいんだもの。
アンゼリカは、いままでいっぺんも、それでしくじったことがなかったのです。
だから、たとえ占いばあさんの言うとおりになったとしても、自分は大丈夫だと思っていました。
あの風が吹くまでは。
「きゃあ!」
それは、ひどい荒くれ風でした。
山には、こういった吹き上げる風がよく吹くものですけれど、とんがり山は妖精王さまの持ちもので、アンゼリカはあまり近づいたことがなかったのです。
おまけにアンゼリカは、いねむりをしていたので、こんなに岩かべが近くにきていたなんてことも、気づいていなかったのでした。
ぐるぐると目がまわり、ぐるぐると岩かべがまわりました。
アンゼリカは気持ちが悪くなって、ただもう紙飛行機のはしっこにつかまるしかありませんでした。
「助けて!」
アンゼリカはありったけの声でさけびましたが、だれが気づいてくれたでしょう。
ついに、アンゼリカの紙飛行機は頭を下にして岩だなにぶつかり、アンゼリカは遠くにはね飛ばされてしまいました。
小さなからだはころころと転がり、なにか、柔らかいものの上に落ちました。
ですが、アンゼリカはもう、このとき気を失っていたので、それがなんであるかもわかりませんでした。
「うう……」
アンゼリカが目を覚ましたとき、あたりは夕暮れの赤に包まれていました。
いけない、帰らなきゃ。
と、思いましたが、どうしてだか羽が動きません。
「折れちゃった!」
それは途中から、おかしな方向へ折れ曲がっていました。
「しっかりしなさい、アンゼリカ。泣いちゃダメ」
アンゼリカは自分に言い聞かせながら、一生懸命、羽を伸ばしました。
息を吹きかけたり、手でこすってみたりもしました。
けれどやっぱり、羽は曲がったままで、もとには戻りませんでした。
いつもは、お日さまの光を反射して七色に輝くきれいな羽が、ただのセロファンのように見えました。
「う……」
アンゼリカの心は、情けないやら、悲しいやらで、もうめちゃくちゃです。
「ダメよ、そんなに弱い子じゃないでしょ、アンゼリカ」
それでもやっぱり、アンゼリカは声を上げて泣いてしまいました。
「バカ、バカ、バカ」
アンゼリカは手にふれた草を、引きちぎって投げました。
と、そのときです。
アンゼリカの座っていた柔らかい草のじゅうたんが、突然、びっくりしたようにはね上がったのです。
その勢いが、あまりにも強かったものですから、アンゼリカは下の地面まで転げ落ちてしまいました。
「なんだ、お前さんは」
「きゃ!」
目の前に座っていたのは、とても大きく、夜空よりも黒い毛長ヤギでした。
「いたずら者のピスキーか。どうしてまた、ひとの毛を抜くようなまねをしたんだね」
そう言ってのぞきこんできたヤギの目は、夕日を映して真っ赤です。
いいえ、もともとが赤いのかもしれません。
とにかくアンゼリカの頭ほどもあるその目は、とても美しいルビー色でした。
「あなたは……魔王ね!」
「魔王?」
「そうよ、そうでしょう?」
ヤギは首をゆらして笑いました。
「だって、お后さまに絵すがたを見せていただいたもの! 魔王は大きな角を持っていて、赤い目だったもの! そうして、いろいろなものにすがたを変えて、どんなものでも食べてしまうんだわ!」
「ふうん、そいつは恐ろしい」
「ね、あなたは魔王でしょう? だって、そんなに立派な角は、世界じゅう探したってありっこないものね」
こう言われると、ヤギは悪い気はしませんでした。
なにしろ角にかけては、自分自身、大いに自信を持っていたのです。
「お前さんは、魔王が恐ろしくはないのかい?」
「ええ、もちろん。絵すがたをみたときだって、そりゃ最初はびっくりしたけど、ひとりでねむれたわ」
「そいつはえらいな」
気のない返事で答えたヤギは、また頭を、足の間の具合のいい場所に乗せました。
「ねぇ、寝ないでちょうだい」
「無理を言わないでくれ。お前さんも、早くお帰り」
「帰れないのよ。ねぇ、起きて!」
アンゼリカにあごひげを引かれ、ヤギはうんざりという顔をしました。
そもそも、草をおなかいっぱい食べて、ねむっていたところを起こされたのですから、まだまだ寝たりないのは当然なのです。
「ねぇ、あなた、わたしの羽をなおしてちょうだい。魔王ならできるでしょ? ねぇ、ねぇ」
「羽?」
そこでようやく、ヤギはアンゼリカの羽が折れていることに気がつきました。
「無理だよ、お前さん」
「どうして? ねぇ、いけにえが必要なの? それともたましいが見返り?」
「かもしれないね」
「わたし、帰ることができたらなんでもあげるわ。わたしだけの秘密の場所だって教えてあげる」
「でもね、お前さん」
「お願い。ねぇ、ねぇ……」
ヤギはもう、どうしていいかわかりませんでした。
たぶん、このまま放っておいたって、問題はないでしょう。
生きもののからだは意外に上手くなおるものですし、この子の仲間だって、この子を探しているはずです。
そうなれば、その、お后さまとやらが、どうにかしてくれるでしょう。
ですが。
「お願い、お願いよ」
と、小さな目に、小さな涙をいっぱいためた妖精を見ると、このままなにもしないでいるのも、申しわけないように思えたのでした。
「おまじないだけだよ」
「え!」
「早くなおるように」
ヤギはアンゼリカの折れた羽に口を近づけ、もにょもにょと、知りもしないおまじないを、口の中でとなえるふりをしました。
「ああ、ありがとう! ありがとう、魔王さん」
「今日はもう遅いから、そこでお休み」
「ええ」
アンゼリカは、もう心からほっとして、言われるままに、ヤギのわき腹のあたりにはえた毛の中に、からだをもぐりこませました。
途中、何度も引っかかりましたけれど、もう羽はいたくありません。
あんなに青かった空には、星が輝いています。
「ねぇ、魔王さん」
「なんだい」
「あなたはきっと、いい魔王なのね」
ヤギが笑ったので、アンゼリカはまた、おなかの上から落ちてしまうところでした。
「わたし、お后さまの見ていないところで寝るの、はじめて……」
アンゼリカはその夜、すばらしくまつ毛の長い紳士と一緒に、星空を散歩する夢を見ました。




