第1話「視線」
東京。
人が、多すぎる。
視線。
すれ違うたびに、何かを測られているような感覚。
「……なんか嫌やな」
ななが眉をひそめる。
「人、多いだけやろ」
ゆたかは気にしていない。
だが——
少しだけ、空気が違う。
神父が静かに言う。
「密度が高いほど、感情は伝播しやすい」
一拍。
「特に“評価”は」
桃太郎が周囲を見る。
人、人、人。
笑っている者。
無表情の者。
スマホを見続ける者。
だが——
どこか、全員が“誰かを見ている”。
そのとき。
「……なんでやねん」
小さな声。
振り向くと、スーツの男が立っている。
スマホを握りしめている。
画面にはSNS。
何かを書き込まれている。
「こんなにやってんのに……」
手が震えている。
「なんで評価されへんねん……」
周囲の人間が、チラチラと見る。
無言の視線。
男の呼吸が荒くなる。
「……なんでや」
一歩。
近くの男に詰め寄る。
「お前、見てたやろ!!」
突然の怒号。
詰め寄られた男が戸惑う。
「は?知らんがな」
その一言。
空気が変わる。
「……は?」
スーツの男の目が、見開く。
「知らんやと?」
拳が震える。
「俺がどれだけやってるか……」
“ガンッ!!”
殴る。
いきなり。
ななが叫ぶ。
「おい!!」
周囲がざわつく。
だが——
誰も止めない。
スマホを構える者。
距離を取る者。
ただ、見る。
ゆたかが舌打ちする。
「最悪やな」
神父が低く言う。
「すでに始まっています」
一拍。
「評価の暴走です」
そのとき。
“カツン”
足音。
乾いた音。
人の流れの中で——
一人だけ、違う動き。
ゆっくりと歩いてくる女。
長い髪。
マスク。
不自然なほど、静か。
桃太郎の目が細くなる。
「来る」
女が立ち止まる。
目の前。
倒れている男の前で。
ゆっくりと——
顔を上げる。
そして。
聞く。
「……私、きれい?」
空気が止まる。
周囲のざわめきが、消える。
ななが小さく呟く。
「出たな……」
倒れていた男が、顔を上げる。
視線が合う。
完全に。
逃げられない。
「……き、きれい……や」
震えながら答える。
女が、笑う。
ゆっくりと。
そして——
マスクに手をかける。
外す。
裂けた口。
耳元まで裂けた、異様な笑み。
「……これでも?」
男の顔が、引きつる。
呼吸が止まる。
「……っ」
言葉が出ない。
女の目が細くなる。
その瞬間——
男の目が変わる。
虚ろに。
そして——
笑う。
「……足りへん」
立ち上がる。
ふらつきながら。
「もっと……綺麗にせな」
ポケットから、カッターを取り出す。
ななが叫ぶ。
「やめろ!!」
だが——
止まらない。
頬に当てる。
スッ——
血が滲む。
ゆっくりと。
だが確実に。
切る。
周囲がどよめく。
それでも。
誰も動かない。
ただ——見る。
ゆたかが一歩出る。
「……行くぞ」
その瞬間。
“無音”
完全な静寂。
時間が止まる。
色が薄れる。
そして——
声。
どこからともなく。
低く。
静かに。
刺さる。
「誰が——」
(間)
「お前の価値を決めた?」
空気が震える。
神父の目が見開く。
桃太郎の呼吸が止まる。
ななは——
気づかない。
ゆたかも——
反応しない。
一瞬。
本当に一瞬。
そして——
現実が戻る。
音。
叫び。
血。
全部が一気に戻る。
ななが息を荒くする。
「今……なんか……」
神父が静かに言う。
「……はい」
一拍。
「確認しました」
桃太郎は何も言わない。
ただ——
空を見る。
わずかに震える拳。
ゆたかが振り返る。
「どうした」
桃太郎は首を振る。
「……いや」
だが。
目は、確実に変わっている。
疑問。
そして——
恐れ。
ゆたかが女を見る。
口裂け女。
まだ、そこにいる。
そして——
笑っている。
「……次は誰?」
風が吹く。
冷たい風。
都市に広がる気配。
■ 第8章 第1話 終




