なくしたはずのネックレス
血塗れの服で帰宅した俺に、レナードは顔色を変えて駆け寄ってきた。
「い、一体どうされたのですか!!? おい、お前!説明を!!」
「れ、レナード様、これは……!」
叱責され、しどろもどろになる御者の代わりに、俺が簡潔に告げる。
「これは怪我人を処置したときについた血で、俺のじゃない。服が汚れたから帰ってきた。皇子様の誕生日会には行ってない。疲れたので部屋に戻る。以上」
「ジゼル様!! お待ちください!」
引き留める声を無視して、さっさと自室に戻る。汚れた服を脱ぎ捨て、血吸い蜂たちを虫かごに戻すと、ようやく一息ついた。
「…………はぁ」
ベッドに倒れ込み、天井をぼんやりと見つめていると、前世で酷い誹謗中傷を受けた記憶がよみがえってきた。
あのときもそうだった。
ネットにはあることないこと書かれ、あっという間に個人情報が拡散されて職場にも脅迫まがいの手紙が毎日のように届いた。外に出る気にもなれず、世界中のすべてが敵に回ったような気分だった。地に落ちた評判を覆そうと、意地になって研究に没頭したが、結果は、これだ。
そういえば、俺の死体ってどうなったんだろう。研究室で倒れたから、いつかは見つけてもらえたはずだが……。
「……いかん、疲れてるな。もう寝よう」
思考を打ち切るように呟き、目を閉じかけた、そのとき――俺はとんでもないことに気がついた。
「ネックレスが……ない……」
出かけるときに首にかけられていた、あのネックレスがない。どうりで首が軽いと思った。馬車から降りて走ったときは、確かに着けていたはずだ。きっと怪我人の処置している最中に、無意識に外したんだ。
慌ててレナードを呼び出して事情を伝えると、彼は顔色を変え、すぐさま使用人たちを数人、探しに向かわせた。だが――結果は、見つからなかった。
……そりゃそうだ。あんな大きな宝石のついたネックレスだ。今ごろ拾われて売られているに決まっている。ここは性善説が通じる日本じゃない。
今日はつくづくついてないな。あんな高価なネックレス、やはり箱の中にしまっておけばよかったんだ。
黙り込んでしまった俺に、レナードは慰めるように言った。
「ジゼル様、どうかお気を落とされませんよう。カイル様はきっとお許しくださいます」
「別にいい。もう寝るから、起こさないでくれ」
部屋に戻り横になる。何も考えたくなくて素数を数えていると、いつの間にか眠ってしまっていた。
⸻
翌朝。
目を覚ました俺が朝食をとりに食堂へ向かうと、テーブルの上に大きな花束と、緑のリボンがかけられた箱が丁寧に置かれていた。
『偉大なる癒しの天使へ 愛と尊敬をこめて
カイル・ペンドラゴン』
「これは……」
箱を開けると、中身は――無くしたはずのネックレスだった。
もう見つかるはずがないと思っていたそれと、思いがけず再会し、俺の頭は疑問符でいっぱいになる。
なぜこれがここにある?
どうしてカイルが……?
困惑している俺を、晴れやかな顔で紅茶を運んできたレナードが穏やかに告げた。
「昨晩遅くに、カイル様の代理で騎士団の者が持って参りました。仲間の命を救ってくださったジゼル様に、大変感謝しておりましたよ」
「へー……カイルって騎士団の関係者なんだ」
「……関係者……といえば、そうかもしれませんな」
珍しく歯切れの悪いレナードは、言葉を濁しながらも、すぐにいつもの調子に戻って明るく言った。
「美しい花束ですよね。お部屋に飾りましょう」
「え、いいよ。みんなが見られるように食堂に飾っておいてくれ」
綺麗だけど邪魔だし。花だって、俺みたいな朴念仁の部屋に飾られるより、人の目に触れていた方が幸せなはずだ。しかし、レナードは許さなかった。
「いけません、ジゼル様。カイル様が手ずからお選びになったものだそうです。ジゼル様の瞳の色に合わせて」
「なにそれ怖い」
会ったこともないのに、なぜ俺の瞳の色を把握しているんだ……?
不審に思いながらも、なんとなくカードを裏返すと、そこには続きが書かれていた。
「ひっ……!!?」
「どうされました? ジゼル様!?」
「な、なんでもない……朝食は部屋で食べる」
「はぁ……かしこまりました。お運びします。ジゼル様、体調が優れないのですか? 顔色が……」
「だ、大丈夫! 平気だから!」
カードを握りつぶすように掴み、足早に部屋へ戻る。扉を閉めて息を吐くと、もう一度カードの内容を確かめた。
『君の肌に触れたかと思うと、このネックレスにすら嫉妬してしまいそうだ』
いや、おっっっっっも………!!!!
思わず額を押さえる。なんだこの圧。距離感どうなってるんだこいつ。なぜ会ったこともない相手に、ここまで入れ込めるんだ。
「カイル・ペンドラゴン……!絶対ヤバい男だ……!関わらないでおこう……!!」
青ざめながらそう誓った俺だったが――
動き出した運命の歯車に、否応なく巻き込まれていくことを、このときの俺はまだ知らなかった。




