症例 魔獣咬傷による大量出血
現場に到着すると、首を落とされた大きなトカゲのような魔獣の死骸の前で、甲冑を着た背の高い男が大量の血を流して倒れていた。石畳の上には、おびただしい量の血溜まりが黒く光っている。
俺はすぐさま傍で支えていた男に指示を出した。
「おい!今すぐにその男の鎧を脱がせろ!!」
「は!? 誰だお前……!!?子供は引っ込んでいろ!」
「いいから!早くしろ!!傷口を見る!」
有無を言わさず怒鳴り返すと、男は圧倒されたように手を動かした。怪我人――セドリックはぐったりと目を閉じ、全身に冷や汗を浮かべている。首元に手を当てると、弱いが確かに脈が触れた。
「よし、止血する。お前は脚の傷を押さえていろ!」
着ていたローブを脱ぎ捨て、ブラウスの袖を引き裂いて渡すと、男は呆然と受け取った。
「無理だ……助からない。血を流しすぎた……!!セドリック……!!この馬鹿!!俺を庇ったばっかりに……!!」
「おい!動かすな!」
取り乱す男を引き剥がし、傷口に集中する。
「フェルノ アグ(止血せよ)」
鮮血が溢れ出す大腿部の動脈を圧迫しながら詠唱する。溢れ出す血液の勢いが止まり、創内を確認できた。内部に大きな異物はない。続いて腕、腹部――主要な出血点を順に処置していく。
「ヴァスク エクテト(血管を再生し結合)、パルネド ティリア(組織を再生せよ)」
淡い光が傷口を覆い、裂けた肉がゆっくりと寄り合い始める。
最低限の止血と組織修復を終えたところで、俺は懐から小さな虫かごを取り出した。中には、白と黒の縞模様の小さな蜂が二匹――静かに羽音を立てている。
「っ!?血吸い蜂!!?」
「可愛いだろ? パンダとシマウマだ」
「は、はぁ!?」
動揺する男を無視して虫かごを開ける。パンダとシマウマは俺の目の前でふわりと静止し、命令を待っている。
「パンダ、シマウマ。血液5ml採取」
「ちょ、おいっ!やめろ!!」
二匹は迷いなくセドリックの前腕に針を刺し、血液を吸い上げた。
「パンダ、こっちだ。アウクタ ヴォキュトス(血液を増幅せよ)」
呪文とともに、パンダの腹袋の中で血液が膨れ上がる。赤が濃くなり、袋はみるみる膨張していく。続いてシマウマにも同じ処置を施す。
「パンダ、シマウマ――急速投与」
二匹は再び前腕に取り付き、血液を逆流させるように注入した。失った血液を補充する。輸血療法だ。男の顔に血色が戻る。浅かった呼吸が、徐々に安定していく。頸動脈に触れると、先ほどよりも力強い拍動を感じた。
「わかりますかー? セドリックさーん、目を開けてくださーい」
頭部外傷の可能性もある。動かさないよう注意しながら、頬を軽くぺちぺちと叩いて意識を確認する。セドリックはうめき声を上げながら、わずかに瞼を開いた。
「セドリックさん、目開けられます? 手を握ってみてください。はい、離してください。おっけーです」
震えながらも、セドリックは弱く俺の手のひらを握り返し、ゆっくりと力を抜いた。よし、指示も入る。CTもMRIもないから断定はできないが、重篤な頭蓋内出血はなさそうだ。
「セドリックさん、お名前言えますか? ここがどこかわかります?」
意識を保たせるため、間を空けずに問いかけを続ける。
セドリックは焦点の合わない目で俺を見つめ、かすれた声で答えた。
「て、天使……?」
誰が天使じゃい。
「し、信じられない……一体なにをしたんだ……!?」
「傷が一瞬で……治ったぞ……!」
「まだ子供じゃないか……あれが治癒魔法士だっていうのか……?」
「ママー!見て!きれいな天使さまが騎士さまを助けてくれたよ!」
ざわざわと、周囲に人の輪が広がっていく。人垣をかき分け、御者がこちらへ駆けてくるのが見えた。
「ジゼル様!!! お怪我はありませんか!!?」
血に濡れ、破けた服を着た俺の姿を見た瞬間、御者の顔がみるみるうちに青ざめる。
「ジゼル様!! そのお姿は……!! 服も……血だらけではありませんか!! 貴様、何をした!!」
「落ち着けよおっさん。この子はセドリックの命の恩人だ。服は止血のために使わせてもらっただけだ」
男が困惑したように俺の肩を掴んだ。その瞬間、御者が激昂して怒鳴りつけた。
「おい!気安く触れるな!このお方を誰と心得る!!!カーネリア公爵家次男――ジゼル・カーネリア様だぞ!!」
「カ、カーネリアだと……!!?」
その言葉を聞いた瞬間、ざわめきの質が変わった。
「宰相アレクシス・カーネリアの子か……!?」
「増税で私腹を肥やしてるっていう、あのカーネリア家か……!」
「俺の弟は反逆の疑いであいつらに処罰されたんだ……何もしていないのに……!!」
「裏で犯罪者ギルドと繋がってるって噂だぞ……!!」
先ほどまで向けられていた賞賛の視線は、一瞬で疑念と嫌悪へと塗り替えられる。空気が重く沈み、石でも投げてきそうな、そんな気配すらあった。
「行きましょう、ジゼル様」
「う、うん」
取り囲まれた空気に押し潰されそうになり、動けなくなっていた俺の腕を、御者が強引に引いた。半ば引きずられるように、その場を離れる。
回復したばかりの人間を置いていくのは気が引けるが、このままここにいたら、何をされるかわからない。それくらい異様な雰囲気だった。
「……待っ……て……」
背後から、かすれた声が確かに聞こえた。
振り返ろうとしたが――群衆に遮られ、その姿はもう見えなかった。




