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医者走る

招待された第一皇子の誕生日会当日の朝。

俺はいつも通り机に向かって作業していたのだが――


気がつけば侍女たちに取り押さえられ、花びらの浮かんだ乳白色の風呂に押し込められていた。


「においがすごい……」

「朝摘みの薔薇の花でございます」

「ごめん、さっき思いついた仮説だけでもメモさせて欲しいんだけど」

「いけません。髪の毛を洗いますので目を閉じてください」

「ひどい……」


むせ返るような芳醇な薔薇の香りがするモコモコの泡で全身を丸洗いされて、気分は完全に洗われる猫だ。


その後は着せ替え人形の時間だった。


立ったまま腕を伸ばしていろと言われ、ぼんやりしていると、あちらこちらから手が伸びてきてシャツを整えられ、襟を正され、袖口を留められ、髪を梳かされ、香油を塗られ、あっという間に俺は「貴族の少年」に仕立て上げられていく。


その間、俺は手持ち無沙汰に耐えかねて、天井の装飾の模様をひたすら数えていた。


 ようやく「楽にしてよろしいですよ」と言われ、満足げなレナードが差し出した姿見を覗き込む。


「お、おぉ……」


そこに映っていたのは――


いつにも増して、お人形さんのように整えられた俺だった。


 柔らかな金色の髪は丁寧に梳かれ、ゆるく波打つように整えられている。ピカピカに磨き上げられた透明感のある肌は、ほんのりと血色を帯びてビスクドールのようだ。


若草色のリボンを結んだ白いブラウスに、細かな刺繍が入ったいかにも高級そうなローブ。膝丈のズボンからは、まばゆい白さの脚がすらりと伸び、ソックスガーターで留められた白のハイソックスがぴたりと沿う。足元には磨き上げられた革靴が、上品な光沢を放っていた。


 最後の仕上げと言わんばかりに、うやうやしく差し出された例の巨大な宝石のネックレスが俺の首に装着された。


「いかがですか? ジゼル様」


 出来上がった“作品”に誇らしげに胸を張るレナードに、俺は真顔で言った。


「肩が重い……首が痛い、はずしたい」


 カイルから贈られたネックレスは、鎖も重いが付いている石も重い。ジゼルの細い首では耐えられない重量だ。指先で鎖をつまみながら、哀れっぽい顔で訴えるが、レナードは一切動じなかった。


「とてもお似合いですよ。ジゼル様の知性輝くご容姿に大変調和しています」


 それから、屋敷の前に横付けされた馬車(馬車!初めて本物を見た!!)に乗り込み、俺は舞踏会――ではなく、第一皇子の誕生日会へと出発した。


紙とペンを持っていくと最後まで駄々をこねた俺に見かねて、レナードは大きなため息とともに本を一冊だけ持っていくことを許可した。


一番分厚くて文字が多い薬草学の専門書を持ってきた俺に、レナードは微妙な顔をしていたが、ようやく大人しく馬車に乗り込んだ俺を確認すると、満足げにうなずきながら馬車の扉が閉められた。


「いってらっしゃいませ、ジゼル様。本日は素晴らしい出会いの日になりますよ」

「えっ、なに?」


レナードが意味深なことを言い出し、俺が聞き返す前に御者が手綱を鳴らし、馬がゆっくりと歩き出した。馬車は石畳をゴトゴトと鳴らしながら、市街地へと入っていく。


俺は持ち出した本を開いて読もうとしたが、物の数分で諦めた。揺れがひどくて文字を追うどころではない。


仕方なく窓から外の景色を眺めると、そこには――まるで中世ヨーロッパのような街並みが広がっていた。


 石造りと木組みの建物が肩を寄せ合うように並び、細い通りには人と荷車と家畜がひしめいている。生活用水は井戸から汲み上げているようで、桶を抱えた女たちが列を作っていた。


 移動手段は馬車が主流らしく、荷を積んだロバに跨る男や、荷車を押す商人の姿も目に入る。子どもたちは裸足で走り回り、笑い声をあげている者もいれば――路地裏には、痩せ細り、ぼんやりと壁にもたれて座り込んでいる子どもの姿もあった。


「ひどい匂いですよね、ジゼル様。すぐに大通りに出ますので」

「いや、別に……」


 御者が気遣うように言ったが、俺は気にしなかった。確かに鼻を刺すような臭いはあるが、医者をやっていれば患者の尿や糞便に触れることや、事情があって何週間も風呂に入れない患者の処置をすることもある。いちいち気にしていられるようなものではない。


御者の言うとおり、やがて馬車は開けた大通りへと出た。先ほどの雑多な路地とは打って変わり、通りには石畳がきちんと敷かれ、店先には色とりどりの布や装飾品が並んでいる。高級そうなブティックや宝飾店も軒を連ね、行き交う婦人たちの衣装も、先ほどとは比べ物にならないほど華やかだった。


――そのとき。


突如として、雷が落ちたような爆音と悲鳴が響いた。


「なにがあった?」

「ジゼル様、外に出ないでください! 魔獣が現れたようです!」

「魔獣!?」


青ざめた御者が、俺が降りないよう慌てて扉を押さえつける。


「誰か! 助けてくれ! 血が止まらないんだ!!」

「治癒士を呼べ!! 皇宮から連れて来い!!」

「しっかりしろ、セドリック! 目を開けろ!!」


野太い怒号が重なり合い、通りは一瞬で騒然となった。

甲冑を着た騎士が馬に飛び乗り、砂煙を巻き上げながら駆けていく。

 

怪我人がいる。どうやらひどいらしい。俺は考えるよりも早く扉を蹴り開けて外へ飛び出した。


「……!!? ジゼル様!! お戻りください!!」


背後で御者が叫ぶ声が聞こえたが、もう止まれない。

俺はまっすぐ、悲鳴の中心へと駆け出した。


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