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傭兵カイウスの放浪譚  作者: フルツ好き男
第一章 豊穣の村と赤髪の少女

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1-9. 過去への旅路

 エルンの家は村の外れ、小高い丘の中腹にひっそりと建っていた。けして大きくはない家だが、戸板も窓枠も丁寧に磨かれ、清閑な暮らしの気配がある。窓辺に吊るされた香草の束が青みを含む清涼な匂いを流し、炉でくすぶる熾火おきびの薄明かりが壁や床を撫でていた。


 その明かりの届く隅で、リアは身を縮めて座り込んでいた。膝を抱き寄せ、視線をつま先へ落としたまま、縫い付けられたように動かない。ようやく辿り着いた安らぎの場所にほっとしているようには見える。それでも寒心に肩は強張ったままだ。悄然とした表情は、まだ解けきっていない。

 

「恩に着るよエルン。本当に助かった」

 

 外套を軽く払いながらカイウスが戸口から戻ってくる。どうやら周囲の様子を確認していたらしい。

 

「誰も追ってきてない。この辺りなら今夜はひとまず落ち着けるだろう。面倒に巻き込んで悪かったな」

 

「いえ、そんな……俺はただ、自分の家に案内しただけですから」

 

 そう答えながらも視線は落ち着かない。何度もリアの方へ一瞥を繰り返し、声を掛けようとしては言葉を選びかねている。

 

「ところでさ。さっきの口ぶりからすると、エルンとリアは昔から知り合いなのか?」

 

 椅子に腰を据えるカイウスに振り返ると、エルンは小さく頷いた。

 

「はい。リアがまだ村にいた頃、俺たちの家は隣同士だったんです。物心ついた頃から、毎日のように顔を合わせてました。川で遊んだり、畑を駆け回ったり」

 

 遠い日の残像を追いかけるようにリアへと視線を向ける。

 

「会うのは六年ぶりだけど……リアだってすぐ分かりました。背はずいぶん伸びたけど、中身はあの頃のままだ。真っ直ぐで、不器用で……でも、誰より人に優しい。俺、ちゃんと覚えてるから」

 

 膝を抱えるリアの腕に、ぎゅっと力がこもった。

 

「……久しぶりなのにごめんね、エルちゃん」

 

 摩耗した声はかすれていた。

 

「わたし……あんな事したのに、勝手に村に戻ってきて。きっと、迷惑だったよね……」

 

「め、迷惑なんかじゃない!」

 

 エルンは思わず声を張り上げる。

 

「ふざけるなよ! そんな風に思うわけないだろ!? リアがノルヴィアに戻ってきてくれて、俺は本当に嬉しかったんだよ! だって……もう二度と会えないって、ずっとそう思ってたから!」

 

「エルちゃん……」

 

 リアがゆっくりと顔を上げる。揺れる赤い瞳をエルンがまっすぐに受け止めると、やがて二人の視線が静かに重なった。長い空白でも色褪せなかった旧情が、ゆっくりと息を吹き返してゆく。

 

 そんな揺蕩うようなひとときに加わったのは、家鳴いなりに混じる控えめな咳払いだった。


「エルン、帰ったの? こんな時間にお客さんかしら」

 

 奥から年配の女性が現れる。袖をたくし上げた腕には濡れた布巾が掛かっていた。働き慣れた手つきと、皺の刻まれた穏やかな顔立ち。


 だがリアを見つけた途端、その表情がふと止まる。

 

「……あら? あなたは……」

 

「母さん。この子、リアだよ。ほら、昔うちの隣に住んでた」

 

 エルンに促されリアはそっとフードを外した。赤い髪が炉の灯りを受けながら肩へ流れ落ちる。女性は瞠目すると、息を押し出すように胸元へ手を当てた。

 

「まあ、リアちゃん。アベルさんのお孫さんの」

 

「……ご無沙汰してます。エレノアさん」

 

 リアが視線を床に縫い止めたまま小さく礼を返す。エレノアと呼ばれた女性は「お顔をみせてちょうだい」と吸い寄せられるように間を詰めると、リアの頬に手を添えた。

 

「言われてみれば面影があるわ。そう……あの小さかったリアちゃんが。ほんとうに、大きくなったわねぇ……」

 

 その声は琴線を優しく撫でるような響きだった。

 

「その……いままで、元気にはしていたの?」

 

「……はい。なんとか」

 

「よかった。ノルヴィアを離れてからはどうしていたの? 他の村で暮らしていたのかしら」

 

 リアは一瞬だけ言葉を探す。

 

「……村の西にある森にいました。ちょうど廃屋があって、そこに……ずっと」

 

 その返答の端々に隠しきれない寂寥せきりょうが混じる。それは見つめ返すエレノアの瞳にも伝播し、小さなさざ波を立てた。

 

「まぁ、そうなの……。そしたら、その……ずっと、一人で……?」

 

 少しの間のあと、リアがこくりと頷く。


 エレノアはそれ以上何も言わなかった。「そうなの……」と呟くと炉へ歩み寄り、薪を一本焚べる。ぱち、と乾いた音とともに、火が少しだけ明るさを増した。

 

 その火を見つめたまま、エルンが閉ざしていた唇を静かに紐解く。

 

「……リア。無理にとは言わない。けど俺は、どうしても知りたいんだ。六年前のあの夜。本当は何があったのかを」

 

 リアの肩が弦を弾くようにぴくりと跳ねた。

 

「あの嵐の晩、母さんの風邪が急に悪くなって」


 エルンは一言一言を、丁寧に積み上げていく。


「咳が酷くて、顔色も悪くて……もしかしたらこのまま死んじまうんじゃないかって、俺、どうしたらいいのか分からなくなって。それで家を飛び出して、アベルさんのところに駆け込んだんだ。どうしても薬のことを相談したくて」

 

 そこで一度、言葉が止まった。喉の奥で何かを押さえ込むような間があってから、エルンは続ける。

 

「アベルさんは俺の話を聞くなり、『私がなんとかする。君はお母さんのそばにいてあげなさい』って……そう言って、俺を家まで送ってくれたんだ。それが……生前のアベルさんを、俺が見た最後の瞬間だった」


 遠い記憶を足元に探すように、エルンは視線を落とす。


「翌朝、大樹の下でアベルさんが亡くなったって聞いた。そばにはリアがいたって。君が村を出たあとに知ったんだ。でも俺、ずっと引っかかってた。あのあと、いったい何が起きたんだろうって」


「私もエルンと同じ気持ちよ、リアちゃん」

 

 今度はエレノアが続きを紡ぐ。リアの正面へしゃがみ込み、赤い瞳に映る不安を掬い取るように覗き込んだ。

 

「あなたがいのりの大樹たいじゅを裂いて、アベルさんまで……って聞いたとき、どうしても信じられなかったの。だって、あんなにおじいさんのことが大好きだったあなたが、そんなことするはずないじゃない」

 

 言いながら、エレノアの目にも涙が滲む。

 

「それなのに、私は何もしてあげられなかった。あなたを庇うことも、追いかけることもできなかった。ずっと後悔してたのよ」

 

 リアは何も答えなかった。逃げ場を求めるように腕を抱き込み、白んだ指先が服の裾をぎゅっと掴む。やがて耐えかねたように唇が細く動きだした。

 

「……違うの」

 

 囁きにもなれない、小さな声だった。だが、それまでの沈黙が深かった分、その一言は波紋のようにはっきりと広がった。エルンもエレノアも、弾かれたようにリアを見やる。

 

「違うの。誰のせいでもないの」

 

 小刻みに震える睫毛の端には涙がしがみついていた。

 

「おじいちゃんは……最後まで、自分の意志で動いたの。誰かに言われたわけじゃない。見返りが欲しかったわけでもない。ただ……エレノアさんを助けたかった。それだけだったの」

 

 湧水のように透き通った声が、ぽつり、ぽつりと想いを吐露し始める。

 

「でも、もしわたしがそれを話したら……おじいちゃんの純粋な想いまで、変なふうに汚してしまいそうで。わたし、それが……いちばん、嫌だったの」

 

 ようやく見えだした独白の糸口。エルンは強く唇を噛んだあと、迷いを振り払うように首を振った。

 

「……頼むよ、リア。きっと俺たち、このままじゃダメなんだよ」

 

 エルンは隠しきれない情愛を惜しみなく込めて言葉を紡ぐ。

 

「君が村を出ていったあの日、俺たちは……ノルヴィアの誰も、何も分かってなかった。いや、知ろうともしなかったんだ。あの日のことも、君が何を背負って村を去ったのかすらも。だからこそ、リアが勇気を出して帰ってきてくれた今日は、きっと最後のチャンスなんだよ。ノルヴィアがちゃんと、あの日の真実と向き合うための」

 

「エルちゃん……」

 

 エレノアも潤んだ瞳の端をそっと拭うと、小さく頷き後に続く。

 

「リアちゃん。言いづらいなら、全部じゃなくてもいい。でも、あなたが話せるところまででいいから、ちゃんと聞かせてほしいの。リアちゃん自身の言葉と想いで。あの日、何が起きたのかを」

 

「え、エレノアさん……っ」

 

 緋色の瞳が揺れの強さを増す。睫毛を離れた涙が、ぽたりと膝に染みを作った。

 

 カイウスも腰を上げると、彼女の声が届く距離で歩みを止める。

 

「リア。勝手を言うようですまない。だけど俺も知りたい」

 

 赤い髪が振り返る。

 

「オルドたちは、君がアベルさんを……殺めたと言っていた。でも、俺は自信を持って断言できる。君はそんなことをする人間じゃない」

 

「……っ」

 

 はっきりと寄せられた信頼に、泳いでいた視線がぴたりと止まった。

 

「だから教えてほしい。リアが何を守ろうとしているのか。君ひとりに背負わせたままにするのは……俺には、できないんだよ」

 

「カイウスさん……」


 言葉足らずかもしれない。それでもカイウスには、それ以上うまく言う術がなかった。

 

 リアはしばらく動かなかった。


 膝に食い込んでいた指が、一本。また一本と、ゆっくりと離れていく。抱え込んでいた膝が、静かに下りた。


 深く、息を吐く。次に吸う。もう一度、繰り返す。


 瞼を閉じ――そして開いたとき、三人の顔を順に、丁寧に見渡した。エルン。エレノア。そしてカイウス。それぞれの顔に宿る、責めでも憐れみでもない、ただまっすぐな眼差しを。

 

「……わかりました」


 弱々しくとも、揺るぎのない声だった。

 

「わたし、話します。あの夜に起こったこと……その全てを」

 

 ぱち、と炉の火がまたひとつ音を立てる。そしてリアは、六年前の夜をぽつぽつと語り始めた。

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