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1-7. 望まれぬ帰郷

 ノルヴィア村は、豊穣祭を目前に控えにわかに活気づいていた。


 "豊穣祭は年に一度、《祈りの大樹》に宿る豊穣の女神への感謝を捧げる、ノルヴィアで一番大切な祭礼なんだ"

 そう語っていたのは、小太りの商人ヴォルトだった。荷馬車に揺れる彼の後ろ姿を、カイウスはふと思い出す。


 雨季に刈り取った麦穂を熟成させ、秋の入り口に一斉に脱穀する祭。農夫たちは束ねた穂を神酒とともに供え、女たちは色とりどりの布を織って祭壇を飾る。青年たちは舞を練習し、子どもたちは歌いながら駆け回る。耳に届く笑い声と掛け声は、村人たちがこの時期のために積み重ねてきた一年の結晶の様に感じられた。


 踏み固められた村道を歩きながら、カイウスは横を歩くリアに目を向ける。

 深くフードを被った彼女は、顔を俯けたまま無言だった。袖の中で握りしめた指先が、ぎこちない歩みとともに微かに震えている。


「……少しだけ、顔を上げた方が歩きやすいぞ」


 カイウスの言葉にリアは一瞬だけ目を上げたが、すぐにまた目を伏せ、元の状態に戻る。


 やがて二人は村の中心、《風の壺亭》前の広場に差しかかる。

 そこでは子どもたちが輪になり、手を取り合ってくるくると回っていた。中心に立つ麦わら帽子の少女が、透き通る高音で童歌を歌っている。


「♪あかいけもの あらわれて〜

 おおきなたいじゅを ばっさりと〜

 さいたら かみさま おこった〜

 みのりのはたけも こげちゃった〜」


 軽やかな調子の中にも、どこか不穏な響きを孕んだその歌は、輪の中で跳ね回る子どもたちの笑い声と混ざり合い広場に広がっていく。


「……今の歌」


 カイウスはそう呟くと、子どもたちの輪に近づき、腰を落とす。輪の中心にいた麦わら帽子の少女が、彼に気づいて目を丸くした。


「やぁ。君、歌が上手なんだね」

 

「本当に?ありがとう!よく言われるんだけどね!」


 ませてるな、とカイウスは苦笑いする。

 

「それ、なんていう歌なのかな?余り聞き馴染みなくて」

 

「お兄さん、旅の人?この歌、『あかいけもの』っていうの!ノルヴィアでは有名な歌なんだよ!」

 

「そうか。物知りなんだな、えっと……名前を聞いてもいいかな?」

 

「ミラだよ!ミラ・フェーン!」

 

「ミラちゃんか……もしよかったらその歌、もう一度最初から聞かせてくれないか?」


 少女は少し驚いたように目を瞬いたが、すぐに「いいよ!」と頷いた。そして両手を打ち鳴らすと、もう一度歌いはじめた。


「あかいけもの あわわれて

 おおきなたいじゅを ばっさりと

 さいたら かみさま おこった

 みのりのはたけも こげちゃった


 ごはんもぱんも なくなって

 おとなもこどもも なきました

 それで むらびと みんなして

 あかいけものを おいだした

 

 あめのよるには でてくるよ

 しずかに しずかに かげのなか

 だから よるには でかけるな

 おまえをつれてく あかいけもの」


 歌い終えると、ミラは得意げに胸を張った。


「どう?あたしのお婆ちゃんが教えてくれたの!」

 

「ありがとう。……なんていうか、とても印象に残る歌だったよ」


 カイウスは優しく礼を言い、立ち上がる。

 振り返ると、リアが少し離れた場所で立ち尽くしていた。影になったフードの奥の表情は窺い知れなかったが、肩の揺れやわずかな震えが、その胸の内を語っていた。 

 ーーあの歌の“獣"は、彼女そのものなのだから。


 カイウスは静かにリアへ歩み寄り、小さく声をかける。


「行こう。……オルドの家は、すぐそこだ」


 リアは何も答えず、ただ俯いたまま小さく頷くと、また歩き出した。


 広場に響く童歌は、まだ続いていた。村人が忘れぬように伝え、教え、染みついていったその旋律が、いつまでも二人の背に絡みついていた。


***


 陽も傾きかけた頃。

 カイウスとリアは村の北側にそびえる、村長オルドの屋敷へと辿り着いた。


 木組みの門をくぐった瞬間、屋敷の奥から複数の話し声が耳に届く。どうやら豊穣祭の準備に関する会議が開かれているようだった。

 カイウスはリアを背に庇う様に立ち、玄関の扉を静かに叩いた。


 応じたのは、見覚えのある青年ーーエルンだった。


「カ、カイウスさん!?無事だったんですね!連絡が途絶えて、皆心配していたんですよ!」


 安堵と驚きが入り混じった声で迎えられる。しかしすぐに、エルンの視線はカイウスの後ろへと向かう。


「……あれ?その、後ろの方は?」


 リアを一瞥した彼の目には、困惑と、うっすらとした警戒の色が滲んでいた。その言葉に返答するより早く、屋敷の奥から重々しい声が響く。


「エルン!通しなさい!」


 カイウスは黙ってリアの肩を軽く触れ、中へと進んだ。

 開け放たれた座敷の奥では、すでに数人の男女が円座に腰を下ろしていた。農夫組合の代表や、豊穣祭の取りまとめ役とおぼしき面々。そしてその中央には、貫禄ある姿勢で腰掛けるオルドがいた。 

 カイウスを見据えると、彼は破顔しゆっくりと頷いた。


「戻られたか、カイウス殿!連絡が付かず心配しておりましたが、まずは無事でもご帰還、何よりだ!……して、森の異変の正体は掴めただろうか?」


 カイウスは一礼し、慎重に言葉を選ぶ。


「……巨大な狼です。通常の十倍はあるかと。非常に凶暴で狡猾な奴です。食料を求めて、この村を襲う可能性も高い。即時の対応が必要です」


 座の面々がざわついた。一様に顔を見合わせ、不安の声が交差する。


「……結論がでたな。それほどの異常個体であれば、放置はできん。森が占拠されれば村の生活基盤が根底から揺らぐ……やはり都市部への派兵要請を急ぐべきか――」


 オルドが頷きかけた、その時。

 彼の視線が、カイウスの背後に控える影を捉え、ピタリと動きを止めた。


「……そいつは……」


 椅子が軋む音と共に、オルドが立ち上がった。彼の目は驚愕と怒気に揺れながら、リアを真っ直ぐに見据える。


「おい!なぜ、そいつを連れてきた!?お前……何を考えている!」


 その一言が、空気を凍りつかせた。

 リアは言葉も出さず、ただ身を小さくする。円卓の面々も次々と顔をこわばらせーーリアが何者かに気付いたのだろう、彼女へ向ける視線には、驚き、恐れ、憎悪が入り混じり始めた。


 その場の空気を切る様に、カイウスが回答をする。


「オルド殿、待ってください。彼女は俺の命を救ってくれたんだ。今回の異変にも一切関わっていない。狼を退けたのも――」

 

「黙れ、傭兵風情が!」


 オルドの怒声が場を割った。


「その女が、どれほどの禍を村に齎したのかも知らずに……!貴様、それでもこの村に雇われた身か!そいつは“赤獣”だぞ!《祈りの大樹》を裂き、村を飢饉に追いやった、災厄そのものだ!」


 会議の場が揺れる。

 座の隅で誰かが低く呻き、別の者は息を呑む。リアは何も言わず、ただ小刻みに身を震わせていた。

 カイウスが前に出た。声を張りながらも、努めて冷静に訴える。


「落ち着いてください。今回の件と彼女は明らかに無関係です。それに《祈りの大樹》のことだって――」

 

「貴様には分かるまい!」


 オルドの声が怒鳴りとなって返ってきた。彼の瞳には、怒りだけではなく、怯えも同時に浮かんでいた。


「《祈りの大樹》を失い……豊穣の女神様の怒りに触れた飢饉で、一体どれだけの命が失われたか……!幼子を看取った親も少なくない!それを知らぬから、そんな口が利けるのだ!」


 カイウスがなおも言葉を継ごうとした瞬間、リアが小さく声を漏らした。


「……わ、わたしは……謝ることしか、できません。で、でも……」


 か細く、震える声。

 しかしその一言が、オルドの逆鱗に触れる。


「謝る、だと……!?いまさら戻ってきて、何を望む!お前に、何が出来る!赦されるとでも思ったのか……!《祈りの大樹》のことも、それに――」

 

 轟くような声が、静まり返った空間を切り裂いた。オルドは一際大きく息を吸い、続ける。

 

「――貴様が殺めた、実の祖父……我が友、アベルの事も!!」


 その言葉は、怒りというより呪詛に近かった。

 リアの肩がぴくりと震え、次の瞬間、完全に沈黙した。まるで声も、表情も、呼吸すらも凍りついたかのようだった。

 カイウスは、息を呑んだ。


(リアが、実の祖父を……殺めた……?)


 オルドの声が、頭の中で反響していた。

 信じられない。いや、信じたくなかった。彼女の手が、自分を助けてくれたあの力強くも優しい手が、誰かの命をーー大切な人の命を奪ったというのか。

 だが、リアが否定の言葉を口にすることはなかった。

 まるで、それを合図にしたかのように、円卓を囲む村人たちが一斉に口を開き始める。


「今さら泣きついたところで、過去は消えんぞ!」 

「《祈りの大樹》を裂き、神罰を招いたのは誰だと思っている!」

「お前がいなければ、あの飢饉もなかったんだ!」

「大切な家族を奪われたんだ、謝罪で済む訳ないだろ……!」


 怒り、嘆き、憎悪。

 あらゆる感情が黒く濁った声となり、リアに降り注ぐ。積年の想いが鬱積し、今この瞬間、誰もがその矛先を一人の少女に向けていた。


 カイウスが、その濁流を堰き止める様に一歩前に出る。


「お願いだ、少しでいい!落ち着いて話を聞いてくれ!きっと誤解がある筈だ、彼女は――」

 

「黙れ!恥知らずの傭兵風情が!」


 カイウスの後ろでリアが息を呑む音が聞こえた。


「そうだ!争いでしか飯を食えない賤業め!」

「大方、金儲けのために赤獣を寄越したんだろ!争い事で、飯食ってるんだもんなぁ!」

「そうまでして金が欲しいか!罰当たりの亡者め……!」


「おい!あんたら、いい加減に――!」

 

 言い掛けたカイウスの袖を、微かに引く手があった。

 リアだった。指先は小刻みに震え、肩は息の乱れと共に上下していた。何かに耐える様に固く瞼を閉じ締め、その顔色は今にも倒れてしまいそうなほどに悪い。


(……限界だ。これ以上は、リアが耐えられない)


 カイウスは黙って彼女を庇い立ち、リアの手を引き応接間の出口へ引き返す。


 背後では、誰かがまだ叫んでいた。

 怒声に満ちた屋敷を、カイウスはリアと共に足早に後にした。


***


 夜の帳が村を包み始めていた。


 オルドの屋敷を出た二人は、言葉を交わさぬまま、ただ重い足取りで村の裏路地を歩いていた。リアは俯いたままカイウスにもたれ掛かり、支えるカイウスの背中からも焦燥が滲んでいた。

 村人たちの怒り、恐れ、罵り。その全てが、彼女の心を幾度も裂いたに違いない。


 掛ける言葉が見つからない。そんなときだった。


「……待って!」


 呼び止める声が、二人の背に追いついた。

 振り返ると、ランプを手にしたエルンがいた。顔を強張らせてこちらへ走ってくる。あの怒号の中で何を思っていたのか、彼の表情には複雑な戸惑いが滲んでいた。


「カイウスさん、大丈夫ですか!?それに……リア、君も……」


 息を切らしながらも、エルンはリアの姿をじっと見つめた。かつての面影を確かめ、どこか懐かしむような視線だった。

 衰弱しきったリアの耳にエルンの声は届かなかったらしい。垂れ下がったフードは何も返さなかった。


「一部始終、見ていました。……あんな形で追い出されるなんて、あんまりです」


 カイウスはリアの肩をかばうようにしながら、言葉を返した。


「すまない、難しいことは承知でお願いしたい。……見ての通り、彼女はいますぐ休息が必要だ。どこか安心して休める所を見繕って貰えないか」


 エルンは短く頷いたあと、わずかに躊躇いながら口を開く。


「……もしよければ、うちに来ませんか。母もいますし、少し手狭ですが……一晩なら、問題ないと思います」


 その声に漸く気付いたリアがわずかに顔を上げる。怯えたように彷徨わせた視線がエルンを捉えた。


「……エルちゃん?」

 

「ああ、リア……久しぶり。その、だいぶ……背が伸びたな。本当に、見違えたよ」

 

「……あぁ……エルちゃんだ。……大丈夫?私を匿って、他の人に……責められたり、とか」

 

「たぶん、大丈夫さ。それに……本当はちゃんと知りたいんだ。俺も、母さんも。六年前のあの夜、何が起きたのかも含めて、全部。リアが何の理由も無しに、あんな事する奴じゃないって……俺は、ちゃんと知ってるから」


 その言葉に、リアは小さく目を見開いた。彼女の中で何かが揺れ動いたのかもしれない。だがそれを口にすることもなく、再び視線を落とすと、カイウスの腕を手繰り寄せた。

 

「助かる。正直お前なら、と思っていた」

 

「……こちらです。着いてきて下さい」

 

 エルンはランプを高く掲げ、二人を導くように歩き出した。

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