3-7. 裁定は決闘によって下される
「なんという、なんという逸材だぁ……!!」
歓喜と興奮の入り混じった叫びとともに、ヴェルネは玉座の縁へと歩み寄った。
そして片足を踏み出むや否や、彼の身体は躊躇なく宙へと投げ出される。
本来であれば、彼の身体は次の瞬間に大理石の床へと叩きつけられていたはずだった。
だが衝突の瞬間、まるで見えない力が地表から突き上げるかのように、ヴェルネの身体をふわりと押し返す。
床を蹴った様子もなく、風翔術を纏った気配もない。ただ足元と床の間に何かが割り込んでいるかのように、一定の距離が保たれていた。
ヴェルネはその奇妙な浮遊状態のまま驚くほど安定した姿勢で滑るように進み、広間の中心へと向かう。
「測定はもう充分だ。後はこのワタシが、直接交渉するとしよう!」
その視線の先には、赤い瞳で睨み返すリアの姿があった。
眼差しが一転して異様な真剣さを帯び、熱に浮かされた様な執念が宿る。
「先ほどは君の同行者に対し些か粗雑な態度をとってしまった。心より詫びよう、アリーシア君!」
「私、リアですけど」
冷ややかに返される訂正。それでもヴェルネは笑顔のまま動じず、さらに彼女へと距離を詰める。
「リア君! 君はまだ気付いていないが、君こそはこのリュミエールが渇望していた存在なのだ! 君ひとりの力で都市規模の術式を安定稼働させられるかも知れない……それだけではない! 魔術理論そのものを再定義する可能性すら秘めているのだよ!」
感嘆を漏らすように彼は言葉を重ねる。
「どうだろう! このリュミエールで、いや――我らフルグアルの一員として! その才を、存分に開花させる気はないだろうか?!」
「……言いたいことはそれだけですか?」
リアが一歩前に出る。紅玉のような瞳には怒りがはっきりと宿っていた。
「だったらお断りします。ついさっきまでカイウスさんを殺そうとした人たちの仲間になんて、なる訳無いじゃないですか! 貴方にもリュミエールにも興味は有りません! 話しかけないで下さい」
ぴしゃりと切り捨てると、そのまま肩越しにセラフィーナを振り返る。
「セラフィーナさん。ゲイルも引き渡しましたし、もう用事は終わりましたよね。友好関係を築けなかったのは残念ですけど、こんな人たちが相手じゃ仕方ないと思います。ナヴィレザに帰りましょう」
「で、ですがリア様、このままではゲイルが――!」
「聞こえませんでしたか? もう一度言いますね」
声の調子がわずかに落ち、リアを取り巻く空気の密度が変わる。
「カイウスさんを巻き込まないでよ」
「っ……」
その一言には、天真爛漫な彼女からは到底想像できないほどの鋭い威圧が込められていた。
セラフィーナは思わず息を呑むと、気不味そうに目を伏せる。
「……勧誘は初めてか、賢者様」
カイウスがゆっくりとセラフィーナの前へ歩み出る。
ヴェルネから目を離さぬまま、自然と彼女を庇うように位置を取った。
「なら教えてやるよ。勧誘交渉は大失敗だ。当のリア本人は帰りたくて仕方ないらしいし、ここからの挽回は無理だろ。他に用も無いなら、ゲイルも連れてナヴィレザに帰らせてもらうぞ。それともリュミエールってのは、来訪者を無理やり拘束するような野暮な都市だったか? どっちが野蛮か分からなくなるな」
ヴェルネは一拍の沈黙の後、口元をぐにゃりと歪めた。
「……なるほど。どうやら君とワタシはどうしても相容れぬ運命にあるようだ、カルシファーオス君……!」
「カイウスだ。逆にどうやって思いついたんだよ、その名前」
「このまま議論を重ねても、互いに納得のいく結論には至らないだろう。しかし君たちがいま踏みしめているのは、魔術都市リュミエールの敷居だ。然るに……この場の収め方は、リュミエールのやり方に従って貰うのが理と言うものだろう」
不適な笑みを浮かべたヴェルネはふいに右手を掲げ、高らかに声を響かせた。
「雷の賢者の名の下に、ここに宣言する! このワタシ、ヴェルネ・クロイツと、下界の剣士カルシファーオス・ヴァルデミゴス――この両者の主張は、協議による合意が不可能と判断する! よって、リュミエール都市法典に基づき――裁定決闘によって、その是非を決するものとする!」
「……っ」
「えっ!?」
「なっ!」
その言葉にゲイルが息を呑み、リスティとクルドもその表情に緊張を走らせた。
「代表者を一名を出して貰おうか、カルシファース君。その者と此方の代表者とで決闘を行い、その勝敗によってどちらの主張が正しいかを判断するのだよ」
ヴェルネが淡々と告げた。
「議論を重んじる我々としては本来、この様な暴力的な手段は好まぬのだが。互いに譲らぬ意思を貫くのであれば、議論で解決しない事も多い。賢者会議でも決し得ぬ対立が生じたとき、これが最後の裁定となるのだよ」
「……っ、お、お待ちくださいヴェルネ殿!」
セラフィーナが前へと進み出て叫ぶ
「リュミエールの伝統と文化は尊重致します! ですが魔術を持たぬ我々が、リュミエールの賢者である貴方との決闘を迫られるのは、余りにも理不尽では有りませんか!!」
「麗しきご令嬢、何か勘違いをしていないか?」
ヴェルネは眼鏡を押し上げた。
「雷の賢者であるこのワタシが、非魔術師なぞ相手にする訳がない。此方の代表はワタシの門下、フルグアルから選出するつもりだ」
そこまで言い切ると、ぐにゃりと悪戯めいた笑みを浮かべた。
「……あぁ、もちろん嫌なら拒否頂いても構わない。しかしその場合は、君たちが『リア君をリュミエールへ迎え入れる』という我々の主張を認めることになるがね」
「っ、そ、そんな……!」
その瞬間、呆然と固まっていたクルドが突然二人の間に躍り出てきた。
「ヴ、ヴェルネ様! その決闘の代表者、ぜひこの俺にお任せください!」
興奮とも歓喜とも取れる感情が声を振るわせている。
「このカイウスという非魔術師が己の身分も弁えずにリュミエールで好き放題するのは、これ以上看過できません! この俺が雷の鉄槌をもって、必ずやフルグアルの正義と秩序を証明してみせます!」
「ほお。良い心掛けだ、クルド君」
ヴェルネは満足げに頷いた。
「君は中位魔術師、相応しい実力も兼ね備えている。万が一にも負けるはずがない。風の追放者が敗れたのも、リア君の異常な魔力の影響だろうからね」
「っ! あ、ありがとうございます!」
クルドは深い一礼を取ると、氷のような視線でカイウスを睨み据える。
「これで逃げ場はないぞ、蛮族が。魔術の深淵を見て死ねること、誇りに思うんだな」
「逃げる?」
カイウスは鼻で笑うと、肩を回して骨を鳴らした。
「勘違いするなよ。断る理由なんて一つもない。むしろありがたいくらいだ。ここに来てから、お前はずっと目障りだったからな。合法的に叩きのめせるんなら、願ったり叶ったりだよ」
「宜しい!
ヴェルネがぴしゃりと言い放つ。
「それでは、リュミエール側代表はクルド・ヴォルトナー。ナヴィレザ側代表はカルレポン・ヴィッザーノ。これにて決定とする!」
そこで言葉を切ると、指揮者の様に両手を掲げた。
「決闘の場は、試しの空庭――キャンパス・ディシプリナエだ! これより移動し、到着しだい即刻開始するとしよう!」
***
そこは、空に浮かぶ広大な庭園だった。
都市の外縁から張り出すように設けられた試験区画――試しの空庭。
リュミエールの魔術師たちが昼夜を問わず魔術の実験と研鑽に励む、いわば「真理の検証場」。
その名に違わぬこの空庭は、円形の闘技場を模した構造を持ち、中心から放射状に広がる大理石の床には、宙に浮かぶ円形の足場や昇降式の観測台が点在している。
美観よりも機能性が優先されたその光景は、まさしく人工構造の極致。
冷たく整然とした設計が、ここが“学び”のためだけに造られた場であることを如実に物語っていた。
そしてこの空庭全体を覆うのは、空間を切り取るように立ち昇る不可視の膜。魔術的衝撃・音・魔力の奔流といったあらゆる力を、外部へ漏らさぬための特殊な遮断結界だった。
『魔術は、実践して初めて理となる』
それが、この空庭を創設した古の賢者が残した言葉だという。その理念に従い、ここは今日もまた真理を求める者たちを迎え入れる――はずだった。
しかしこの日控えているのは知術の実験ではなく、リュミエール史上初となる“魔術師と非魔術師"の決闘だった。
既に空庭の観覧席は騒ぎを聞きつけた魔術師たちで埋め尽くされつつある。好奇と侮蔑が入り混じった視線が、まだ姿を現さぬ“異物”を待ち構えていた。
「あれ、今日空庭使えないん? せっかく風翔術の練習しようと思ったのに」
「なんだお前知らねぇの? なんか下界から来た非魔術師が、フルグアルの奴と決闘するんだとさ」
「は? どういうこと? 何の為に?」
「さぁな。どうせ一方的な見世物だろ。魔術で人が吹き飛ぶとこなんてそう見られるもんじゃないし、半分人体実験みたいなもんじゃね?」
「なるほどなぁ。殺し合いが趣味の非魔術師にはお似合いか。何されても文句はないだろ。この将来の賢者の俺様の鍛錬の邪魔をするんだ。その罰、派手に払ってもらおうか」
「いや、お前は修練をサボってるだけだろ……」
その場にいる誰ひとりとして、カイウスの命を重く見てはいなかった。
彼が傷つき砕かれてゆく様を、“学術的興味”という名のもとに眺めようとしているだけだった。
***
その頃――空庭の脇に設けられた更衣室で、カイウスは椅子に腰を下ろしていた。
抜き身の翠風剣を膝の上でゆっくりと傾け、刀身に刃毀れや歪みがないか、灰色の目を静かに凝らしている。
「カイウス様……」
傍らにいたセラフィーナが沈んだ声を落とした。不安を滲ませた眼差しで、じっと彼を見つめる。
「も、申し訳有りません。またカイウス様を危険に晒してしまい……」
「止めてくれよ、セラフィーナ。言っただろ? むしろ謝るのは俺の方だ」
カイウスは小さく目を細め、長い吐息を漏らす。
「俺がゲイルを庇ったせいで、リュミエールとの和平は遠のいたんだからな。それにこの状況、決して悪くないぞ」
「え……?」
「ああなった以上、ゲイルとリアを連れ帰るとしたら強行突破しか道はなかったんだ。もし賢者全員が敵に回ってたら全滅は確実だっただろう。……でも今は違う。相手は“口の悪いノッポ”一人で済む事になった。条件は格段に良くなってる」
そう言いながら、手元の剣についた汚れを拭う。
「しかも、俺たちは"向こうのルール"に従ったんだ。その体裁がある以上、ここで出た結論は向こうも無視はしづらい。追っ手を延々と差し向けられるより、はるかにマシだ」
「つまり、やるべき事は変わらないが、この決闘のお陰様で、相手が一人に絞られた上に連戦が単戦になった。……この決闘は、絶対に飲むべきだったってことさ」
セラフィーナは息を呑むように問い返す。
「そ、そこまで読まれていらしたんですか? 生死のかかった、あの状況で……?」
驚きと感嘆が入り混じった息を漏らす。
「さ、流石で御座いますカイウス様っ! 貴方は本当に頼りになるお方ですね……っ!」
「お褒めに預かり光栄だよ、お姫様」
軽口まじりにそう言って、カイウスはわずかに目を伏せた。
その時、セラフィーナの影に隠れていたゲイルが静かに身を乗り出してきた。
「……礼は言わないぞ、カイウス・ヴァンデル。僕は“助けてくれ”なんて、一言も頼んでない」
「要らねぇよ。俺が勝手にやったことだしな」
カイウスは淡々と返し、ふと顔を上げてゲイルの方へと向き直る。
「ああ、そうだ。お前に一つ聞いておきたい。クルドって、たしか“雷”の派閥だったよな。……ってことは、アイツ、あの空から落ちてくる“アレ”を、本当に使ってくるのか?」
「そうだ」
ゲイルは即答した。
「下界の貴様らには理解できないだろうが、リュミエールでは雷すら、僕ら魔術師の制御下にある。フルグアルの連中はそれを“電気”と呼んでいる」
言いながらゲイルは視線を横に流す。
壁に設えられた硝子灯が魔術式の回路を淡く透かしながら、青白い光を放っていた。
「その光源も電気によるものだ。硝子の中の空気を抜いて、金属に雷の魔力を流している。そうすると、熱と共に光を放つ。理屈さえ理解していれば、点けるのはそれほど難しくもない」
「へえ……なるほどな。中に火が入ってるわけじゃねぇんだ」
カイウスは小さく目を細めて灯りを見つめる。
「松明に油を継ぎ足す必要もないし、煙も出ない。ずいぶん都合のいい仕組みだな」
「当然だ。リュミエールではこれが常識だ。だが、火と煤まみれの暮らしに慣れきった貴様ら下界人にとっては、リュミエールの技術は何歩も先を行っているように映るんだろうな」
「まったくだ。こうして目の当たりにすると、魔術師ってのは本当に何でもアリなんだな」
感嘆とも皮肉ともつかない調子で呟くとカイウスは立ち上がり、ゆっくりと背を伸ばす。
「あ、こんなとこにいた! カイウス、アンタいったい何してんのさ!」
そこに風翔術の風とともに栗色のうねる髪をなびかせ舞い降りてきたのは、アエラシオの魔術師リスティだった。
焦りがこもった動きに、左耳の羽飾りが小刻みに揺れている。
「お、リスティ。わざわざ応援に来てくれたのか? 嬉しいね」
「じゃなくてっ! アンタ、なんで本気で準備してんの?! 相手はあのクルドだよ?! フルグアルの中位魔術師なんだよ?!」
「そうだな。悪いな、お前の相棒をリュミエールの外までぶっ飛ばすとこになっちまって」
カイウスが冗談めかして言葉を繋げる。
「けど正直、アイツの言動には結構ムカついててな。ちょうどいい機会だから、ちょっとやってみるかってさ」
「"ちょっと"?! "やってみるか"?! バカなこと言わないでよ!」
リスティは一歩詰め寄ると、声を震わせながら叫んだ。
「下位魔術師のゲイルとは訳が違うの! どう考えても、非魔術師のアンタが敵うわけないじゃん!!!」
言葉のあと、はっと息を呑んだ顔が歪む。
「あっ……」
胸元で右手を握りしめると、気不味そうに目を伏せた。
「ご、ごめん……アンタを下に見てるとかじゃないんだ。ホントだよ。だけど……どうしたって埋められない差があるのは事実じゃん! 魔術師を相手するって、そんな簡単な話じゃないの!」
彼女の目は真剣だった。涙が滲んだ瞳で真正面からカイウスを見つめてくる。
「心配してくれてありがとうな、リスティ。でももうそろそろ時間なんだ。そこ、通してもらえるか?」
「……いやだ」
「……リスティ?」
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! アンタが引き返すまでアタシ、ここから一歩も動かないからね!!」
両手を広げると、全身で叫ぶように彼女は言い放った。
「お、お前、なんでそこまで……?」
「アタシにも分っかんないよ! でも、でもさ!」
ぐしゃっと顔を歪めながらリスティは続ける。
「アンタとはさっき会ったばっかだけど、なんか思っちゃったんだよ! 『この人、すっごく気が合うな』って! 下界は殺し合いしか興味ない、酷いとこだって聞いてたけど……アンタみたいな人もいるなら、『いつか旅してみても良いかもな』って! 本気でそう思っちゃったんだよぉ!!」
「……リスティ」
「だからさ、これは冗談でも何でもないんだよ! アタシはっ……アタシは、アンタに死んで欲しくないの! どうしてそれが分かんないの?!」
喉の奥から絞り出すような声だった。
「逃げようよ! アタシも手伝うからさ! ほ、ほら! アタシって風翔術が得意中の得意だから、アンタたち三人くらいなら、ちゃちゃっと地上まで連れてけるよ! 今回はツイてなかったってことで、逃げちゃえばいいじゃん! 死ぬよりはずっとマシでしょ?! だから……だからさぁ……っ」
ぽろり、と堪え切れなくなった涙がこぼれ落ちる。
「お願いだよぉ……、逃げてよぉ……っ。な、なんでアタシの周りって、みんな死に急ぐのよぉ……っ。ちょっとでいいから、アタシの言うこと、聞いてよぉ……っ!」
カイウスは頬を緩めるとリスティに歩み寄り、優しく肩に手を置いた。
「泣かせちまって悪いな。でも俺、そもそも負ける気なんか、これっぽっちもないんだよ」
そして静かに微笑んだ。
「すぐ片付けてくるからさ。またこの辺、案内してくれよ。お前はリュミエールの名ガイドなんだろ?」
「……っ」
リスティは俯き拳を握りしめると、ぷいと顔を背ける。
「……もういい。知らない。勝手にすればいいじゃん」
そして掠れる声でぽつりと呟いた。
「死んだら……死ぬほどバカにしてやるから」
「それはなんと恐ろしい。絶対帰ってこなきゃな」
そのとき、カイウスの袖が小さく引かれた。
振り向くとリアが大きな身体を縮こませながら、彼の服の端を摘まんでいる。
「……カイウスさん。私……」
「分かってるよ。『信じてない訳じゃない。けど無茶はするな』、だろ?」
その言葉にリアは目を丸くし、やがてコクリと頷くと、額をカイウスの肩に預けてきた。
「……置いてかないで下さいね。一人にしたら……嫌ですからね」
「リアは心配性だな。大丈夫だよ。これもいつか俺たちが旅路を振り返った時、良い笑い話に出来るさ」
そう呟くカイウスにリアは照れたように笑うと、そっと頭を肩から離した。
「……じゃ、行ってくるよ」
風を背に受けながら、カイウスは通路へと歩み出す。
試しの空庭へと向かうその背を、その場にいる全員の視線が黙って見送った。




