3-6. 五賢者ーペンタ・マギステルー②
紅蓮の余熱が引き、翡翠色の防壁が霧のように消える。
広間に残ったのは、焼け焦げた空気と張り詰めた沈黙だけだった。
グランクスは腕を掲げたまま、ゆっくりと拳を握り締めていた。
盛り上がった前腕の筋に浮かぶ血管が、怒りを抑え込んでいることを雄弁に物語っている。
「……おい小僧。貴様、いったい誰の許しを得て吾輩の術を遮ったのだ?」
「許し?」
レオニダスは小さい笑みを浮かべ肩を竦める。
「あれ、そんなものそもそも必要だったかな。ここは五賢者による合議の場、そうだろう? 僕もゴルヴァン爺も、旦那の結論に賛成とは一言も言ってないじゃないか。だったら、止める権利くらいはあるだろう?」
風に乗った翡翠色の残光が彼の足元を揺蕩う。
「勿論、『ゲイルがアエラシオの一員だから』なんて情に訴える気はないよ。ただ、そうだね……旦那の判断は少し、"リュミエールらしくないなぁ"って思ってさ」
「……どういう意味だ? 要点を言え」
「簡単な話だよ」
レオニダスの視線がカイウスとリアへと流れる。
「ウチのゲイルは結局、どうやってこの非魔術師の二人に敗れたんだい? 僕らの本意ではないけど、こと戦闘において、魔術師と非魔術師との間には埋められない差があるのは紛れもない事実だ。それを『単なる偶然』で片づけるのは、あまりにも乱暴じゃないか?」
そこで言葉を区切ると、レオニダスはその声音を落とした。
「……下界には、僕らがまだ知らない“可能性”があるのかもしれない。そう考える方が、真理の探究者らしいとは思わないかい?」
意味深なその問いが広間の空気を確かに揺らす。
「『万が一にもあり得ない』『何かの間違いに違いない』。そんな安易な言葉で蓋をして済ませていい話じゃない。ゲイルが遅れを取った理由を解き明かすことこそが、リュミエールの本分だ。少なくとも僕はそう思うよ」
「フン。戯言を」
グランクスは鼻を鳴らす。
「魔術師は世界に選ばれし者だ。愚かな下界の人類を導き、真理へ至らせる責務を負う高貴な存在だ。その魔術師が、持たざる者に敗れたなどという荒唐無稽な出鱈目の原因を究明するだと? 笑止。下界にも魔術師はおる。大方、このナウィレザとかいう蛮民どもが大金をはたいて雇ったのだろう。犯人はこの破門者を処刑した後でゆっくりと探せばいい」
「……失礼、グランクス殿。先ほどのワタシの賛同ですが、取り下げさせて頂きたい」
今度はヴェルネの静かな声が割って入った。
丸眼鏡に遮られた視線は感情を映さないまま、淡々とレオニダスへ向けられている。
「『速やかな処刑が合理的である』。その結論自体に変わりない。しかし、未知を未知のまま葬り去るのは、確かにリュミエールの賢者として相応しいとは思えない。ここで破門者を処刑すればナヴィレザとの関係は修復不可能となり、原因の調査も出来なくなる。謎は……永遠に解けない」
「ほおら。どうやらヴェルネも、僕と同意見みたいだね」
その言葉にグランクスが短くため息を吐く。
「……へ理屈倒れの小僧共が。ならば貴様らは、この場をどう収めるつもりだ」
「先ず事実確認を行うべきだ」
手を組んだヴェルネの答えは短かった。
「そもそも、この二名は本当に非魔術師なのか? 虚偽の申告をしている可能性もあるだろう。非魔術師であっても、何かしらの特殊性を持つのかも知れない。もし後者であれば、彼らが破門者を退けた“変数”が一体何なのかを、その再現性も含めて調査する。それこそが賢者のなすべき事だ」
「……サリカ。貴様はどうだ」
「あら。ワタクシですか?」
グランクスに視線を向けられたサリカは、頬に指を添え柔らかく微笑んだ。
「そうですねぇ……リュミエールの威信と平穏が守られるなら、ワタクシとしては特に方法は気にしません。皆さまに委ねますわ」
一瞬の沈黙。
やがて地を踏み鳴らすように、グランクスが自らの玉座へと腰を下ろした。
「……よいだろう。賛同してやる。調査を疾く始めろ、小僧共」
吐き捨てるようなその声に、レオニダスはほっと息を吐いた。
「ゴルヴァン爺も、異論はないかな?」
レオニダスの視線が巨岩のようなシルエットに移る。
声を掛けられたゴルヴァンは反応を見せない――が、肩に止まったインコが鋭く鳴いた。
「サンセイ! サンセイ! ススメロ、レオニダス!」
「決まりだね。これでようやく、五賢者の総意に至れたというわけだ」
その言葉にヴェルネが玉座から立ち上がり、右手を腰に当てる。
「……クルド君。まだそこにいるかい」
その声が広間の端を射抜いた。
「っ、は、はいっ、ヴェルネ様!」
名を呼ばれたクルドは肩を跳ね上げ、慌てて背筋を伸ばす。
「ク、クルド・ヴォルトナー、ここに居ります!」
張り上げた声は緊張で裏返っていた。
ヴェルネはそれを意にも介さず、淡々と続ける。
「ナヴィレザの使者を受け入れたのは君だったね。規定通り、入門時に魔力測定を行ったはずだ。結果を報告してくれないだろうか」
「は、はいっ!」
クルドは記憶をなぞるように言葉を選ぶ。
「マ、魔力を吸い寄せる測定石板を用いて検査をしました。カイウス・ヴァンデル……こちらの生意気で粗暴な剣士は全くの無反応、正真正銘の非魔術師、疑う余地も有りません。ですが、その……赤髪の女、リア・フリーディスの方は、簡易術式が……作動、しました」
「……分からない。どういう事だね? 彼女は魔術師だったと言うことか?」
「い、いえ、それが……」
クルドがごくりと喉を鳴らす。
「術式の始動に見られる、魔力操作の痕跡が確認できなかったんです。まるで、その……無意識に溢れた魔力が、術式全体に満ちた……そう表現するのが、正しいかのような……」
「……一体なんだ、この茶番は」
報告に聞いたグランクスが低く唸る。
「あまりいい加減な事を抜かすなよ、フルアグルの未熟者が。正確に事実も述べられぬのなら、破門者の前に貴様から焼き捨てやろうか」
「そ、そんな……! ほ、本当なんです!」
クルドは半歩よろめきながらも必死に言い募る。
「魔力を流し込んだ形跡が、一切なかったんです! なのに……なのに、勝手に術式が起動して……!」
「困りましたね……必死な男の子は可愛くって好きなのだけれど、これは少し当惑してしまいます」
困惑を隠せないサリカの声が、その必死な声を切り裂いた。手に頬を預けたまま淡い視線をクルドへ向ける。
「確認なのだけど、貴方はワタクシ達にこう報告したいのよね? そこの赤髪の娘は、術式を発動する量の魔力を、無意識に、いつ何時でも垂れ流している、そんな無尽蔵の魔力保有者なのだ、と」
「お、俺にはそんなの分かりません! で、でも、そうとしか説明がつかないんです!」
「……もうよろしい」
ヴェルネの静かな声が裁定の間を制した。
「ご苦労だった、クルド君。あとは我々達自身の目で確かるとしよう」
中指で眼鏡を押し上げる仕草ののち、ヴェルネは初めてカイウスを見据えた。
その冷ややかな視線を、カイウスも真正面から受け止める。
空中に微かに残る熱の揺らぎを断ち切るように、翠風剣を軽く横へと薙いだ。
「……随分コソコソと内輪で盛り上がってたみたいだな。てっきり忘れられたのかと思ったよ。こっちは焼き払われそうになってたんだけどな」
「あぁ、ご心配なく。貴方についてはクルド君の報告で十分だ。もう下がって貰って結構だよ」
ヴェルネは興味を失ったように目を逸らし、淡々と続ける。
「我々に必要なのは、そちらの女性だけだ。面倒とは思うがこのリュミエールの発展のため、貴方の魔力を正式に測定させて頂くよ」
「……お前ら、ふざけるのも大概にしろよ」
カイウスの声には明確な怒気が宿っていた。
「ここまで散々コケにしておいて、今度はお前らのために協力しろだと? 無事に返して貰える保証すら無いのに? それで俺たちが『どうぞご自由に』ってリアを差し出すと、本気でそう思ってんのか?」
「聞こえなかったのか、下界の剣士よ」
グランクスが再び立ち上がる。
その腕が宙を切ると上腕の紋様が赤熱を帯び始めた。
「ヴェルネは貴様に『下がれ』と命じたのだ。魔力を持たぬ者は、ただその命に従えばよいのだ。疾く引くがよい。さもなくば――」
肩越しに熱風が膨れ上がる。焼けるような気配が再び広間を満たした。
「風の小僧に拾われた命、今度こそ燃やし尽くしてやろうか?」
「……あっ」
呆然と一部始終を見ていたリアが、小さく息を飲む。
その場にいた誰よりも、彼女の脳裏にはさきほどの光景が鮮明に焼きついていた。
ゲイルの前に立ち、剣を構えたカイウス。
宙を裂いて彼に迫る、紅蓮の槍。
巻き起こる熱波と衝撃――レオニダスの介入が無ければ、彼は今ごろ灰になっていたかも知れない。
「っ! や、やめて!!!」
叫びと同時に、リアは床を蹴っていた。
次の瞬間にはカイウスの前に飛び出し、両腕を大きく広げて庇い立つ。
「なにを……なにをするつもりなんですか?! 貴方たち、さっき本気で殺そうとしてましたよね!? カイウスさんのこと!」
「……リア。危ないからお前は下がってろ。あの丸眼鏡に喧嘩売られてるのは俺だぞ」
「っ、い、いやですっ! だめ、絶対だめです! この人たち、わたしからカイウスさんを……奪うつもりなんだ! わ、わたしの大切な人を!!」
「……? お、おい、リア……?」
カイウスを襲われた怒りと彼を失うかもしれなかった恐怖が、リアの思考をかき乱していた。
呼吸は荒く、涙と共に絞り出される声は震えている。それでも彼女は動かなかった。
「そんなの、絶対許さないっ!!! これ以上カイウスさんに危害を加えるつもりなら、わたし、もう容赦しませんからっ!!!」
その時だった。
リアの赤い眼が、焔を灯したように強く輝いた。
風もないのに長い髪がふわりと浮かび、内側から灯されたように光を放つ。
次の瞬間――。
大理石の床に刻まれていた幾何学紋が、一斉に輝いた。
淡い黄土色が線に沿って流れ出し、その中心から広間全体が、わずかに、だが少しづつ浮き始める。
「……! こ、これは……」
ヴェルネの双眸が、眼鏡越しにわずかに見開かれる。
天王の座、賢者裁定の間。
この広間に施された地の術式は本来、賢者たちに謁見する高位魔術師のために設けられたものだった。広間を儀礼的に、玉座の高さまで押し上げる仕様だ。
だがその発動条件には、当然魔術が必要だった。すなわち、術式構造の理解と制御された魔力の注入が求められる。
魔力の扱いを知らないカイウスたちには起動すら叶わない――筈だった。
「広間が浮上を始めた……術式が、発動しているのか?」
ヴェルネは即座に懐から結晶石を取り出す。
術式解析用の観測装置。しかしそこに映ったのは、想定外の“空白”だった。
「……っ、魔力の流入はある。だが確かに魔力操作をしている痕跡はない。ほ、本当にこの規模の術式を、ただ魔力を放出するだけで起動したと言うのか……?」
ヴェルネの手が震える。
その震えを隠すように眼鏡の縁に手を当てた……が、隠しきれず、口元には興奮の笑みが浮かぶ。
「す、素晴らしい……! これほどの無指向の供給量と、圧倒的な魔力保有量……! も、もし制御に成功すれば、理論上、都市単位の術式すら単独で稼働できる……! あ、"アレ"が、実用化できるぞ……!」
「ぬぅ……こ、これはまさか、本当にこんな事が……!」
膝から崩れる様に玉座に座り込んだグランクスの声には、焦りと――そして、何かへの"怯え"が混ざっていた。
「魔術学の常識を揺るがしかねんぞ……せ、制御をしくじれば、"あの時"以上の魔術災害を引き起こしかねん……!」
震えながらも絞り出すように吐き捨てた彼の言葉に、サリカも顔色を蒼ざめさせた。
「なんて事なの……まさか、まだリュミエールが制御しきれない力があるなんて」
その目に映るのは、力そのものへの畏怖ではない。
それは、この都市が制御できない未知への恐怖。かつてこのリュミエールの空を焼き、周辺都市にまで死を撒いた"災害"の記憶だった。
「“また”なのですか……? ワタクシたちは"また”、この都市をあんな恐怖に晒すかも知れないの……?」
震える唇から漏れたその呟きは、自らに向けられた問いでもあった。後悔と恐怖の念が、その声色から滲み出ている。
「……これは、大事になってきたね」
レオニダスが静かに呟いた。表情に驚きはあれど、どこか俯瞰する視線でもあった。
「ゴドヴァン爺。アンタのとこの"書架喰い"なら、何か知ってたりしないかな。彼女、いまやリュミエールでは一番の物知りだろう?」
だがその問いへの返事はなかった。
見れば、重々しい沈黙の中、ゴドヴァンの肩に止まっていたインコが羽を膨らませ、ブルブルと震えながら低く呻いている。
「やれやれ。とんでもないモノを持ち込んできたもんだね、ゲイル」
レオニダスが軽く肩を竦めながら、ふたたび視線をリアへと移した。
興奮も、恐れも、拒絶も。
誰もがリアの魔力に心を揺らす中で、レオニダスだけは、その奥にある“何か”を見極めようとしていた。
「……まぁでも。変に凝り固まったこの都市を変えるには、これぐらいがちょうどいいのかもね」
そう囁くように言うと、彼は静かに微笑んだ。
「大いに期待してるよ。ナヴィレザから来た、友人の皆んな」




