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とある傭兵の放浪譚 ー流離の傭兵、寂しがり家な少女と共に世界を巡るー  作者: フルツ好き男
第二章 水の都と自由の風

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2-25. 誰が為に風は吹く②

 セラフィーナの手に掲げられた数枚の羊皮紙――その存在に、人々は驚愕と期待を込めてどよめいた。

 群衆の中に紛れ演壇を見守っていたカイウスが息を呑む。その隣に立つリアも小さく目を見開いた。


「カ、カイウスさんっ……! あれ、カイウスさんが言ってた……!」

 

「あぁ。ナヴィレザ独立基本憲章どくりつきほんけんしょうだ……しかし、どうしてセラフィーナが持っているんだ……?」

 

 呟きは誰に向けたものでもなかった。だがそれに応じるように、背後の人垣から一人の男が悠然と歩み寄ってくる。


「……『あの"紙切れ"は手に入らなかったはず』。そう思われたのかな? 黒い剣士殿」


「うぇっ?! だ、だれですか、急に?!」


 思わず声を上げたリアはビクリと身をすくめると、カイウスの背へと身を縮ませその袖をぎゅっと握りしめる。


「おっと……これはとんだ失礼を。驚かせてしまったようですな、可憐なご令嬢。どうかそんなに警戒なさらぬよう。私は貴方に、一欠片の害意も持ち合わせてはおりませんので」


 柔らかく響く声と共に現れたのは――ルザニア家当主、マルチェロ・ルザニアだった。

 艶やかな仕立ての上衣に手袋を嵌め、いつもの気障な笑みを浮かべながら、片手を胸に当てた優雅な所作で会釈する。


「赤いご令嬢とは初めまして、ですな。私はマルチェロ・ルザニアと言う者。先ずはお礼を申し上げねばなりませんな。先日の夜、我が邸宅を襲ったあの魔術師の一件。貴方がたのおかげで、我がルザニアと独立基本憲章どくりつきほんけんしょうは無事でした。心より、感謝を申し上げますぞ」


「え、あ、はい。ど、どういたしまして……」


 リアは目を丸くしたままカイウスの陰からおずおずと顔を覗かせると、指先で袖の端を弄りながら小声で囁いた。


「……カ、カイウスさん? この人がセラフィーナさんの話に出てきた……?」

 

「あぁ。中立派の長、ルザニア家の当主だ。大丈夫。本人の言う様に、少なくとも敵ではない」

 

 カイウスはリアに言い添えると僅かに息を吐く。


「別に、感謝を言われる筋合いはないさ。俺たちはアンタを守ったわけじゃない。ただあの魔術師を確保する必要があった、それだけの話だからな」


「ふむ……あれだけの功績を挙げておいて謙遜とは。まこと、貴殿も誇り高きお方ですな」


 マルチェロの視線が演壇上のセラフィーナへと向かう。


「さて……気になりますかな、黒い剣士殿。我がルザニアが何故あの"紙切れ"を彼女に託す気になったのか、と」


「……まぁ、そうだな。前に会った時のアンタからは中立であることへの強い誇りも感じたし、正直言うと俺自身納得した部分もあった。だから、まぁ……気にならないと言えば、嘘になる」


「えぇ、そうでしょうとも」

 

 マルチェロはゆっくりと頷く。


「先日申した通り、我がルザニア家は“歴史の記録者”。いかなる派閥にも属さず、ナヴィレアの歩みをただ静かに書き記す。それこそが、我らの矜持です」

 

「……ならなおさら、あの紙を渡すのはアンタの哲学に反する行為じゃないのか?」


「えぇ。まったくもって、大いに反しますな」


 しかし、と彼は声の調子を落とし穏やかな声音で続けた。


「……一昨日の夜。魔術師が襲来する直前のことでした。セラフィーナ嬢が我が邸を訪れ、危機が迫っていると警告を寄越しに来たのです。自らも巻き込まれる危険があったのにも関わらず、それでも彼女は……我らを見捨てなかった」


「……だから借りを感じて、というわけじゃないんだろう?」


「ええ、違いますな。政治家というものは、基本的に打算でしか動かぬもの。私も当初、彼女の善意を“駆け引き”と捉えていた。情報の対価として必ず独立基本憲章どくりつきほんけんしょうを求めてくるだろう、と」


 だが――と、マルチェロが続ける。


「……彼女は、何ひとつ求めなかったのです。見返りなど要らない、と。『この街の人々が理不尽に傷つくのを、黙って見てはいられません。わたくしにとっては、マルチェロ殿も護るべき愛するナヴィレザの民の一人なのです』。はっきりと、そう言い切ったのです」

 

 その言葉にカイウスの瞳が細まる。


「……綺麗事だと思わなかったのか?」


「えぇ、えぇ。最初はそう思いましたとも。何とも青臭い。まるで未完成のオペラの様に理想だけが先行し、現実味を帯びて居ないと」


 そこで区切る彼の声が一変した。芝居じみた調子は消えさり、誠実さが声色に表れる。


「――しかし。その碧眼を見た時、私は言葉を失いました。打算も嘘も一切含まない、ただ“人のみを想う”、あまりにも純粋な眼差し。"ああ、これは本物だ"と……思わず、心が動いたのです」


「……」


「我がルザニアが歴史の傍観者となり幾星霜。理念を掲げる政治家たちを幾人となく見てきました。しかし……それを体現した者は、ほんの一握りでした。そして“他者の幸せ”そのものを己の誇りにできる為政者など……私は、彼女以外に知りませぬ」


 マルチェロが誇らしげに空を見上げる。


「私は、思わされてしまったのです。"ナヴィレザの未来が市民によって紡がれるべきならば、ただ市民の幸福を心から願えるこの者こそが、きっとナヴィレザの次の一頁を書くに相応しい者なのだ"と」

 

「我らルザニアは、中立の筆として歴史を綴る者。その信念はいまでも変わりませぬ。ですが……たった一度だけでも、その筆を寄せてもよい未来があるとするならば、それはきっと……この堅物の心すらを揺らした、彼女が描く道に違いない。そう感じたのです」


 カイウスは息を吐き、口元をわずかに緩めた。


「……意外だな。失礼だけど、アンタはそういう感情論とか通用しないタイプだと思ってたよ」


「全くもって無理もないですな。かく言う私自身、自分がここまで絆されるとは思ってもいなかったのですから」


 マルチェロは静かに微笑む。

 

「だが……記録者も結局、ただの人間なのです。時には理屈を超えて、真に美しいものを目にして心を動かすのは……人として、決して間違いではありますまい」

 

 言い切った彼は、壇上に向かってゆっくりと頭を垂れた。


「――さぁ。どうぞ続けてくださいませ、セラフィーナ嬢……いえ、我らがナヴィレザの“自由の旗手”よ。ルザニアが託したその"過去の歩み"が、ナヴィレザの"未来への旅路"を照らすことを、心より願っておりますぞ」


 ふと視線を彷徨わせたセラフィーナの蒼瞳が、群衆の中のマルチェロを捉えた。そしてごくわずかに頷く――感謝と、敬意を込めて。


 やがて、声が放たれる。


「皆さん……ナヴィレザに生きる、すべての同胞の皆さん。まず初めに、わたくし達の眼前には、直視しなければならない一つの“現実”があります」


 その一語一語は聴衆の胸に染み渡っていった。

 

「……改めて。このゲイルという魔術師の襲撃は、王都カリオーネの命を受けて行われたものでした。つまり王都カリオーネは、ナヴィレザとの間に締結した憲章を……明確な意志をもって、破ったのです」


 彼女は手元の羊皮紙に一瞬だけ視線を落とし、再び顔を上げると広場全体を見渡した。

 

「先ほどのマクシミル殿の言葉を思い出して下さい。彼が語った中には、確かに否定し得ぬ“真実"が含まれていました」


「『法が破られた以上、法は我々を守れない』。事実、魔術師の暴威からこの街を救ったのは法でも憲章でもありませんでした。わたくしの傍らに立ち、命を賭けて支えてくれた……二人の勇敢な"友人"たちだったのです」


 彼女はそっとカイウスとリアに視線を送る。少しだけ顔を覗かせ鼻を鳴らすリアを背に、カイウスも黙って腕を組む。

 

「だからこそ、わたくしは皆さんに問います。憲章が破られた今。わたくし達は一体、何を拠り所とすべきなのでしょうか?」


「誰かがより強固で確実な自治権を王都カリオーネと取り交わすのを、ただ黙って待つべきなのでしょうか? それとも……マクシミル殿が仰る通り、この街の舵を力ある他者に委ねるべきなのでしょうか?」


 その問いに応える者はいなかった。

 声――いや、咳払いすらも消えた静寂のなか。セラフィーナは手元の基本憲章きほんけんしょうをゆっくりと掲げる。


「……この書は、かつて王都カリオーネがナヴィレアの自由を認めた証です。自治権を憲章に託し、文字として刻んだ……わたくし達にとって、大切な自由の“象徴”でした」


 けれど――と、セラフィーナは首を振る。


「今やわたくし達は知ってしまいました。この“象徴”が、暴力の前ではあまりにも無力だということを。ただの“紙切れ”では、もはや私たちの自由は守れない。それが現実なのです」

 

 目を伏せたその声が、過去に触れる。


「……皆さんもご存知でしょう。この街が王都カリオーネの直轄領だった時代のことを。わたくし自身は、その時代を生きてはいません。けれど……時に祖父母の言葉で。時に記録に残る証言で。何度も何度も当時の話を聞きました」


「"王都の支配は絶対"。街は意図的に作られた格差によって断絶され、異議を唱えれば密告され、家族ともども罰せられる。ただ隣人に助けの手を差し伸べようとした者が、ある朝忽然と姿を消す――そんな悪夢の様な時代だったと聞いています」

 

「……その時代、人々は黙っていたのではありません。ただ……黙るしか、なかったのです。“助けたい”と思っても、その手を伸ばせない。"おかしい”と感じても、言葉にすれば罪になる。そんな異常な日々が、このナヴィレザにも確かに存在していたのです」


 彼女の蒼い瞳が、広場全体を見渡す。


「……わたくしは強く思うのです。きっと本当の自由とは、“自身の良心と信念に従って、行動できること”。"正義の声を上げるのを、躊躇わないこと"。それが、“自由”を名乗る都市に必要な魂なのだと」

 

 そして、彼女の手が羊皮紙に添えられた。

 

「……だからこそ、皆さんにどうか大切な事を思い出して頂きたいのです。ナヴィレザの自由を守ってきたものとは、一体何だったのかを」


 セラフィーナが一瞬、目を閉じる。

 深く息を吸い込み、そして――その手で掲げていた基本憲章きほんけんしょうを、裂いた。


 ビリッ……ビリッ……

 羊皮紙が引き裂かれる音が、静まり返った広場にはっきりと響く。誰もが固唾を飲んでその光景に目を取られていた。


 ビリッ……ビリッ……

 やがてその断片は風に舞い、空へと攫われていく。セラフィーナはその風の行先を見つめながら凛と語り出した。

 

「……この独立基本憲章どくりつきほんけんしょうは、確かに自治の“象徴”ではありました。ですが……ナヴィレザを真に自由都市たらしめてきたものは、決してこの"紙切れ"ではなかったはずです」


 彼女は腕を伸ばし、広場を埋め尽くす人々を指差した。


「それは、貴方です。貴方であり、貴方――そう。それは、ここに集う、一人ひとりの“意志”なのです!」


 胸に手をあて、今度は声に力を乗せる。


「自らの正義に耳を傾け、支配に抗い声を上げ! 身分や貧富の垣根を越え、手を取り合い共に助け合ってきた……その“心"と"勇気"こそが! この都市の礎なのです!」


「自由とは、先人からただ与えられるものではありません! 飾っておくだけの古びた誓文でもない! 今を生きるわたくし達一人ひとりが、自らの良心と信念を胸に行動し続けること! その“誇り”こそが、自由そのものなのです! ナヴィレザを守ってきたのは、法でも憲章でもない! いつだって――誇り高き“人”なのです!」


 その言葉に人垣が揺れる。

 涙を拭う者、拳を強く握りしめる者。演説を聞きながら、皆が一様に何かを感じ取っていた。


「このヴェルディ広場は、ナヴィレザの心です。今日に至るまで、ここで多くの人が笑い、時には泣き、幾世代もの歩みが紡がれてきました。だからきっとこの場所は……わたくしたちが踏み出す"新たな旅路"に、相応しい出発点となってくれるでしょう」


 彼女の声が、鐘の音のように突き抜ける。


「……わたくし、セラフィーナ・エレオノール・ディ・ヴァルシェは、この名の下に、皆さまの高潔な民意を問います! わたくしは、この美しく、かけがえのないナヴィレザの自由を……その未来を、守り続けたい! そのために、"王都が認可する自由都市"という在り方に限界があるというのならば……!」


 一拍の間。息を呑む静寂。


「わたくしは、ここに提案いたします! ナヴィレザ"共和国"としての、新たな独立を! そして、サンクリューフェイン王国と対等の立場による、友好条約を締結することを!」


 拳を握りしめ、叫ぶように言葉を続ける。

 

「決して平坦な道ではないでしょう! 心を挫くような困難も、あるでしょう! ですが、それでもわたくしは選びたいのです! 皆さまと共に、誇りある生き方を! いつの日か、この広場を歩くわたくし達の子孫が、『あの日この場所で、先人たちが勇気ある決断を下したのだ』と、そう語ってくれるように!」

 

「……ま、まやかしだァアァァアッ!」


 演説台の脇から叫び声が飛ぶ。まだ地面に尻をついたままのマクシミルが、必死に喉を震わせていた。


「み、皆さまァ、この女狐に騙されてはなりませんぞォッ! ば、馬鹿げているッ! よ、よりにもよって……国として、独立するだとォッ!? そんなこと、国王陛下が許す訳がないしょうがァッ! 徹っっっ底的に潰されますぞォ! このナヴィレザを消すつもりか、この煽動者がァッ!!」


 唾を撒き散らしながら、言葉を叩きつける。


「いつだって、長いものに巻かれていれば良いのだッ! それがいちばん、安全な生き方ッ! 絶対普遍の、正解なのだァァッ! こ、こんな簡単なことが、なぜ分からんのだァァァアッ!」


「……ならば貴方は、その“安全な生き方"のために、魂まで差し出せと言うのですか?」


 セラフィーナがマクシミルを睨みつけ毅然として応じる。マクシミルがぎくりと震える。


「全てを奪われ、死んだように生きろと……? 屈辱に目を伏せ、考えることを放棄し、声を押し殺し続けろと……? そんな生き方を……このナヴィレザに、強いろと言うのですか?! それが本当に、市民の代弁者たる貴族が主張すべきことなのですか?!」


「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れェェェ!! 何も知らん小娘が、喧しいのだァッ! 現実はそんなに甘くはないッ!! 世間知らずの貴様が考えつくようなお花畑の夢物語で、民が救えるかァッ!!」


「たしかに、わたくしはまだ若く未熟です! その自覚も大いにございます! しかし、それを恥じることはあっても、信ずるべきものや自らの責務から目を背ける理由には致しません!! 何故なら――」


 純粋な視線がマクシミルを射抜く。


「――“弱さを知ることで人は何処までも強くなれる"と、そうわたくしに教えてくれた方がいたからです! 貴方は本当に、一度でも想像したことは無いのですか?! 愛するナヴィレザが国として独立し、その誇りを掲げ、永劫に繁栄し続ける……そんな"未熟で青臭い"、夢物語のような未来を!!」

 

「……ッ……そ、それは……ッ!」


 言葉を失ったマクシミルが歯を食いしばった。

 セラフィーナはさらに明瞭に、そして深く、彼の胸底に届けるように語りかける。


「……マクシミル殿。恐怖に屈した道に、未来はないとわたくしは思います。だから……いまこそ、共に希望を信じる道を選びましょう。誰かに与えられる“安泰”ではなく、自ら掴みとる“尊厳”を目指すのです」


「……ッ、……グ、グウウ……ッ」


 否定の言葉はもう続かなかった。マクシミルはただその場に項垂れる。

 セラフィーナは壇上からゆっくりと視線を巡らせ、広場の一人ひとりを確かめるように見渡した。


「皆さん。このナヴィレザという大きな帆船は、誰か一人の力では前に進みません。ここに集う全員が手を添えて、はじめて推進力を得るのです。だから……だから、どうか! 共に舵を握ってください!」


 拳を高く掲げ、最後の声を放つ。


「この街が“国”として歩み出す、その新たな航路を進めるように! わたくしたち自身の手で、この意志で! その帆に――“自由の風”を吹かせるのです!!」


 ――時が止まったかのような静寂。

 言葉の余韻が広場の空に溶ける中、誰もが息を呑みただ立ち尽くしていた。


 やがて――


 ……ぱちん。


 それは、広場の片隅から聞こえた。

 ひとりの市民が、震えるように掌を打ち鳴らした音。


 ……ぱちん、ぱちん、ぱちん。

 ふたつ、みっつと続き、躊躇いがちだった拍手は少しずつ連なり始めた。


 ……ぱちぱちぱちぱちぱち。

 十、二十、三十。やがて地を這う波が石畳に反響し、波紋のように広がってゆく。


 ――バヂバヂバヂバヂバヂバヂ!!!!

 ――ワァァァアァァア!!!

 五十、七十、百。地響きの様な拍手と歓声が大波のごとく唸りをあげ、ヴェルディ広場を歓喜の渦へと呑み込んだ。


 涙に潤んだ目で、帽子を高く掲げる老人。

 隣同士と肩を抱き合い、拳を突き上げる青年達。

 嗚咽を漏らしながらも、拍手を止めない女性。

 ――その誰の瞳にも、演説の前にはなかった希望の光が宿っていた。


「……なるほど。いやはや、そう来ましたか……!」


 熱気の波に包まれながら、マルチェロが肩を揺らし愉快そうに笑った。


「依代だった基本憲章きほんけんしょうを敢えて破棄することで市民の誇りに火を灯す……! なんと大胆、そして見事な一手か! それにしても、ルザニアの名を冠したあの古文書が、時を超えここまで多くの心を揺り動かすとは……まこと、感慨深いものがありますな……!」


 言葉の端には抑えきれない誇らしさが滲んでいた。

 その傍らで、リアが感極まったようにカイウスの袖をきゅっと引く。


「カ、カイウスさん、カイウスさんっ! み、みんなのこの反応……っ! こんな凄い歓声、わたし、初めて聞きました……!」

 

「……あぁ、見事にやってのけたんだ。俺たちの"お姫様は"……!」


 カイウスは自然と笑みをこぼし、演壇を見上げた。

 そこに立つセラフィーナは、まさしく都市の希望そのものとして民の熱狂を受け止めていた。


***

 

 ーーカアァン。

 

 星影の会堂(ステロンブラ)の鐘楼から、澄んだ鐘の音が街に響く。

 それは演説の終わりと、評議院セナートの投票開始を告げる合図だった。


 熱気を背に、貴族たちが次々と会堂へと歩を進めてゆく。

 その様子を見たマルチェロがふと振り返り、カイウスとリアに微笑みを向けた。


「さて……私もそろそろ、投票者として務めを果たさねばなりませんな。この歴史的瞬間に共に立ち会えたこと、まこと光栄に思いますぞ。黒い剣士殿、そして赤いご令嬢」


 芝居がかった所作で深々と一礼する。カイウスも軽く肩を揺らし、揶揄うように応じる。


「……そうか。じゃあ、ひとつよろしく頼むよ。"歴史の代筆者"として、感情に流されない冷静な一票をな」

 

「これはこれは……また無茶を仰いますな、黒い剣士殿。先ほども申し上げましたでしょう。歴史の代筆者とて、所詮は一人の人間。この胸の昂りを完璧に抑え込む術など――あいにく、私は持ち合わせておりませぬよ」


 そう言い残し、マルチェロは片手を挙げて会堂の中へ歩み去った。陽光が差し込む背中には、冷めやまない熱の名残が見て取れた。

 

 ――この投票で、この街の行く末が決まる。

 だが開票を待たずとも、このヴェルディ広場にいた全ての者が心で理解していた。

 

 ナヴィレザという都市が、いま確かに。自由へと続く新たなる航路へ、その最初の一歩を踏み出したのだと。

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