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とある傭兵の放浪譚 ー流離の傭兵、寂しがり家な少女と共に世界を巡るー  作者: フルツ好き男
第二章 水の都と自由の風

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2-23. 戦士たちの休息

 窓から差し込む陽光が、白いカーテン越しに揺れている。

 カイウスが重い瞼をゆっくり上げると、金糸で縁取られた天蓋が視界に入る。見慣れ始めた、ヴァルシェ邸の来賓室だ。

 

 ――昨夜の水路回廊アクア・ストラーダでの死闘。

 応急処置をしたゲイルをヴァルシェ邸の従者たちに引き渡したあと、記憶はぷつりと途切れていた。

 おそらくその場で限界が来て、そのまま意識が途切れたのだろう。


 全身は鉛の塊を詰め込んだかのように重く、骨の奥に残る疲労がじんと疼いている。

 しかしその胸の奥では、形容し難い達成感が湧き上がっていた。

 

「……そうか。勝ったんだったな、あの魔術師に」

 

 独りごちた声に、窓辺の椅子で読書していた影が小さく跳ねる。

 リアだった。開きかけの本を膝に置いたまま、花がほころぶように表情を明るくする。


「――カイウスさん!」


 弾む声とともに、小走りでベッドへ駆け寄ってきた。その笑顔につられて、カイウスも自然と目元が和らぐ。


「よかった……! やっと目が覚めたんですね! 体調、大丈夫そうですか?」


「……やっと、って……俺、そんなに寝てたのか?」


「はい。昨夜、セラフィーナさんのお屋敷前で気を失ってから、それっきり。丸半日以上ですね。お昼も、とっくに過ぎちゃってます」


 そう言うとリアは肩の力が抜いたように微笑む。


「お寝坊さん、ですね」


「……はは、そりゃ腹も減るわけだ」

 

「ですよね。あとで食べるもの、持って来てあげますね。セバスさんが何か用意してくれるって、さっき言ってたので」


 そう言いながら、リアの視線がカイウスの右肩に落ちる。

 巻かれた包帯の中央にうっすら染みた血の跡を見つけ、彼女は小さく眉を寄せた。

 

「あっ……。傷口、また滲んちゃってる。包帯と薬、替えますね。身体、少し起こせますか?」


「あ、ああ……悪いな。いつも手間ばかりかけて」


 カイウスが上体をゆっくりと起こすと、リアは隣の机から新しい包帯を取り、自然な動作で隣に腰を下ろした。

 その距離の近さに、カイウスは一瞬だけ視線の置き場を迷う。


「……さ、さすがに手慣れてるな。手際の良さはアベルさん仕込みか?」

 

「はい、おじいちゃん直伝です! それに、カイウスさんの手当てはこれで二回目ですから」


 どこか誇らしげな声色だった。布袋から薬草の薬包を取り出し、控えめに微笑む。


「わたし、すっかりカイウスさん専用のお医者さんですね。ほら。大好きなアレシア草の塗り薬ですよ」


 口を尖らせて差し出してくる姿に、カイウスは苦笑した。


「……このままじゃ俺、この塗り薬が無いと生きられない身体になりそうだな」


「ふふっ。そしたらずっと、わたしが側にいないといけませんね」


 冗談めかして笑いながら包帯を外していく手は、丁寧で優しい。

 露わになった傷口を見た途端、リアの表情がふっと愛おしいものを見つめるような熱を持つ。

 

「……わたし。ずっと、カイウスさんに危ないことなんてして欲しくなかったんです。こんなふうに、傷ついてほしくなかったから」


 そのまま指先がそっと周囲をなぞり、彼女は小さく息を吐いた。


「でも……昨日の戦いを見てて、思ったんです。きっとカイウスさんは今までもずっと、こうして誰かを助けてるために戦ってきたんだろうな、って」

 

 視線が右腕に残る古傷へ移る。指先でそっと線をなぞりながら、穏やかな声で続ける。

 

「だからきっと、この傷たちは――それだけ多くの人が、カイウスさんに救われてきた証なんだなって。そう思ったら……わたし、少し誇らしくなっちゃって」


 言い終えたリアは手を引き、視線を落とす。耳の先がうっすら赤く染まっていた。


「……すみません。わたし、変なこと言ってますね。カイウスさんの身体なのに」


 気まずそうに目を伏せるリアを見て、カイウスは鼻を鳴らす。


「大袈裟すぎるだろ……そんな大層なものじゃ無くて、案外、野良犬に噛まれただけの傷かもしれないぞ」

 

「そしたら、それは……ひとりぼっちの野良犬と遊んであげてた、カイウスさんの優しさの証になりますね」


「解釈が甘すぎるぞ……さては俺を腑抜けにするつもりだな?」


 呆れたように言うと、リアは一瞬きょとんとしてから、くすっと笑った。その笑みにつられて、カイウスも肩の力を抜く。


 二人の視線がふと重なり、同時に吹き出した。笑い声は激戦の余韻をそっと洗い流すように、穏やかに来賓室の中を広がっていった。


***


 ――天井が、白い。

 それが、ゲイルの意識が浮上したときに最初に浮かんだ感想だった。全身は重く、まるで太い鎖で締め付けられたように怠く、しかし意識だけは妙に冴えている。

 鼻を抜けるのは、消毒薬と乾いた薬草の匂い。清潔に整えられた部屋の空気が、ここが牢ではないことを瞬時に悟らせた。


 ゲイルはゆっくりと横を向く。

 そして、自分の身体の異変に遅れて気づく。


 ――右腕が、無い。


 視界の中で、肩口にきつく巻かれた布だけが浮いて見えた。だが痛みは不自然なほど薄い。

 断面には痛み止めの薬石が丁寧に仕込まれ、支えの布も隙なく整えられている。

 手を抜くどころでない。非の打ち所のない、完璧な処置だった。

 

「……まったく……」


 漏れた声は、呆れとも諦めともつかない。


 脳裏に蘇るのは、あの一瞬。

 踏み込みの音。豪風と共に迫る剣士。切断の感触すら追いつけぬ速さで、右腕が断ち切られた音。

 己の“風”を、魔力も持たない者に破られた――完全な、敗北だった。


 だというのに、胸の奥には不思議なほど濁りはない。

 むしろ夜明けの空気を吸ったような、薄い清々しさすらあった。


(……風の魔術には、もっと極めるべき余地がある)


 敗北の直後だというのにそんな感覚すら芽生えている。肩でかすかに笑い、ゲイルは目を閉じた。


 ――そのとき。

 コン、と短く控えめなノックが響いた。

 

「失礼いたします」


 低く整った声とともに扉が開き、老執事セバスが姿を現す。その後ろから一歩進み出たのは、蒼い瞳の令嬢。


 ――セラフィーナ・エレオノール・ディ・ヴァルシェ。

 黒革の記録帳を片手に、揺るぎない足取りでベッド脇へと歩み寄る。


「目が覚めたようですね。具合はいかがですか?」


 淡々とした声音でセラフィーナが問いかける。


「……最悪だ。魔力も持たない雑種に右腕をやられるなんてな。僕の人生史上、指折りで最低な目覚めだ」


 ゲイルは唾を吐くように返す。


「そうですか。わたくしとしては、命があるだけでも僥倖だと、そう思っていただきたいのですが」


 セラフィーナは表情を変えず、ベッド脇へ立つ位置を整える。

 

「……自己紹介は不要でしょうが、改めまして。わたくしは、セラフィーナ。ここはわたくしが当主を務めるヴァルシェ邸内の医務室です。貴方には、色々と聞かねばならないことがございます。それまでは、ナヴィレザの中央牢に引き渡しません」


「……監禁とは。"自由の旗手"と謳われるヴァルシェ家のご令嬢も、中々どうして非道な手を使う」


「情報統制のためです。中央牢にもマクシミルの息が掛かった者がいるかも知れませんので。先ずは、私たちが知るべきことを正確に洗い出す。そのための処置です」


 セラフィーナは一歩前に出て、手にした記録帳を閉じた。鋭い蒼の視線が、まっすぐにゲイルを射抜く。


「単刀直入に尋ねます。四日前の旧倉庫街の破壊、ならびに昨日のラザニア家襲撃。貴方に命令を下したのは、マクシミル・ドランベルグ。背後にリュミエールは絡んでいない。違いますか?」


 ゲイルは天井に視線を戻し、盛大にため息を吐く。


「おいおい……正気か? 答える義理もないし、黙秘するに決まってるだろ」


「ええ、でしょうね。そう答えるだろうと、最初から思っていました」


 セラフィーナはわずかに笑みを浮かべる。その微笑には、氷のような冷たさがあった。


「でしたら、貴方が喋りたくなるような材料を、こちらでご用意して差し上げましょう」


 セラフィーナは記録帳を指で軽く叩きながら言葉を続ける。


「例えば、こう広めるのは如何でしょう。『バルコ旧倉庫を破壊した”風の"魔術師が、ヴァルシェ家の従者二名に挑むも、"かすり傷一つ与えられず"捕らえられた。まさにーーそよ風の如き、小物だった』と。証言と記録なら、必要に応じていくらでも整えられます」


「……!」

 

 ゲイルの視線が細く鋭くなる。セラフィーナは怯むことなく、むしろもう一歩踏み込む。


「貴方は、自らの“風”を誇りとしている。リア様から聞いておりますよ。戦闘中、貴方は自らを『蒼穹の律者』や『暴風の化身』と呼んだと。風魔術に対して、相当強い自負をお持ちなのですね」


「……ずいぶん意地の悪い手を使うな。非力な雑種の雌が」


「好んでやっているわけではありません。ただ、必要なだけです。貴方だけが、手段を選ばぬわけではないのですから」


 短い沈黙が流れた。やがて、ゲイルは苦々しい声で吐き出す。

 

「……仕方ない。別に口を割っても失う物もないからな。言ってやるさ。僕を使ったのはマクシミル・ドランベルグだ。対象はアンタ。目的は"自由派"の根絶。リュミエールは僕の故郷だが、この件には関係ない。これで充分だろ」


「やはりそうですか。想像より話が通じる素直な方で、大変助かりました」


 セラフィーナは滑らかな手つきで記録帳に書き込み、ぱたりと閉じた。セバスに軽く合図し、踵を返す。


「それでは、わたくしはこれで失礼致します。明日の評議院セナートに向けて、調整すべき事が山積しておりますので」


 そして扉に手をかけたところで、ふと振り返る。


「……忘れるところでした。明日の評議院セナートには、貴方にも重要証人としてご出席いただきます。もちろん、拒否権などありませんよ。……ああ、この部屋から魔術で逃げようなどとも、考えないことをお勧めします。そこに控えるセバスの実力を感じ取れないほど、貴方も鈍くはないでしょう?」


 淡々と告げられた言葉に、ゲイルが歯噛みする。


「……アンタ、本当におっかねぇ雌だな。性格がキツいとか言われないか?」


「言われません。先ほども言ったでしょう? 本来なら、尊厳を踏み躙るこの様な方法は取りたくないのです。恨むなら、わたくしの覚悟を恨みなさい」


 続く声の色が、ほんのわずかに鋭くなる。


「それと……先ほどから耳障りでしたが、“雑種”や“雌”など、他人を侮蔑する言葉は慎みなさい。不快なだけでなく、貴方自身の器を疑われます。次に口にしたら――わたくしが直接、"教育"して差し上げますから」


 セバスが控えめに咳払いした。

 セラフィーナは何も言わず、扉を――冷静な彼女には珍しく、はっきりと音を立てて閉めた。


「……なんだよ。アイツと同じこと言いやがって」


 ゲイルはしばらくの間、閉ざされた扉をただ静かに見つめていた。

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