1-3. 【アーカイブ】トリィヤと祈りの大樹
出典:「あゝ我が豊穣の故郷ノルヴィア 御伽噺大全」
著者 : 不明
(村の酒場「風の壺亭」」店内の書物棚から拝借)
「トリィヤと祈りの大樹」
むかしむかし。
まだノルヴィアの村に、名前もなかったころ。
村には草も生えず、空はまるで、涙を忘れたように乾いていました。
村の人たちは言いました。
「もう、この土地はだめだ」
「雨も来ないし、麦も育たない」
「いっそ、山を越えて出ていこうか」
でも、ひとりだけ、まだここに残りたいと思っていた少女がいました。
その子の名前は、トリィヤ。
手伝いもへたくそで、泣き虫で、よく転んでは、しくしく泣いていた子でした。
けれど、ある日だけは、泣きませんでした。
それは、家族が村をでてゆく支度をしていた日のこと。
畑が焼け、家の小麦も底をつき、「もうだめだ」と、大人たちがあきらめていた日のこと。
トリィヤはこっそり、丘の上へ登りました。
手には、ひと粒の種。
これは、おばあちゃんが昔くれた、“花も咲かない”麦の種。
でも、トリィヤは信じていました。
だって、おばあちゃんはこう言っていたのです。
「咲かぬなら、咲かせてあげなさい。祈りがあれば、土はきっと応えるよ」
少女は種を土に埋め、胸に手をあてて、空を見上げました。
「おねがい。神さま。女神さま。どうか、この種を、花にしてあげてください。だれも信じなくても、わたしは信じます。だから……もし、わたしの祈りが届くなら、見ていてください──」
その夜、村の空に、ひとすじの光が走りました。
だれも気づきませんでした。でも、少女は知っていました。
翌朝、丘の上には、
ちいさな芽が出ていました。
そしてそれは季節をこえて、年をこえてーー
やがて村の守り木、《祈りの大樹》になったのです。
それからというもの。
村には雨が降り、麦が実り、いつしか人々はこの土地を「豊穣の地」と呼ぶようになりました。
そして大樹の根元には、
手を胸にあてた少女の像が立ちました。
顔は彫られていません。
なぜなら、それは誰にでもなれるから。
「この世界に、もう一度、花を咲かせたい」。
そう願った人すべてが、この祈りを受け継いでいるのです。
――おしまい。