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とある傭兵の放浪譚 ー流離の傭兵、寂しがり家な少女と共に世界を巡るー  作者: フルツ好き男
第二章 水の都と自由の風

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2-12. 素顔を貴方に

 夜の冷気が、ひっそりと応接間の敷石を撫でていた。蝋燭の炎が柔らかに揺れ、三つの影を長く落とす。


 窓辺には重いカーテン。白壁に囲まれた広間の中央に据えられた翡翠色の椅子に、セラフィーナが端然と座る。

 対面のソファにはカイウス。肩の傷を庇うように身を預け、彼女の言葉を静かに待つ。そのあいだに立つ執事セバスが、湯気の立つ茶器を卓上に並べ、香りを確かめてから一歩下がった。


「…では、始めましょうか。明日以降の動きについて。どうか、忌憚のないご意見をお聞かせ下さい」


 セラフィーナが視線を上げる。カイウスは軽く頷いた。


「まず第一の手。旧倉庫街の崩壊については、外部勢力による襲撃であると周知します。そのため、明日中に手配を整えた上で、明後日、私の名で臨時会合を招集します」


「臨時会合……?」


「ええ。本会議に当たる評議院セナートとは異なり記録も省略されますが、貴族であれば誰でも招集が可能です。非公式ながら、緊急で意見交換するには十分機能します」


 セラフィーナは指先でカップの縁をなぞりながら続けた。


「その場で、襲撃が魔術師によるものだったことを公にし、リュミエールや王都カリオーネを含む外圧の影を想起させるのです。外圧を恐れればナヴィレザは内部結束を強め、独立への機運を高めるでしょう。自由派に票を傾ける布石として、明後日の会合は重要です」


 魔術師が攻めてきたと聞けば、誰でも身構えるだろう。カイウスは無言で頷いた。


「……ドランベルグは、どう動くと思う?」


「もちろん静観を装い、無関係を貫くでしょう。口を閉ざし、事態の転がり方を見極める……いつもの手口です」


「だが裏が透けて見えてる分、こちらも動きやすいな。昨日の騒ぎが大ごとになれば、魔術師も大っぴらには動けなくなる。牽制としては悪くない」


 カイウスが紅茶をひと口すすると、隣で控えるセバスも静かに頷いた。


「次に、第二の手です」

 

 セラフィーナがやや声を低める。


「ルザニア家を"自由派"に引き入れます」


「ルザニア家……?」

 

 カイウスが眉をひそめる。


「まだご存知ありませんでしたね。ヴァルシェ、ドランベルグと並ぶナヴィレザ三名家の一つです。彼らは“記録と秩序”を尊ぶ文書官の一族で、ナヴィレザが王国リューフェインから自治権を勝ち取った当時、交渉と文書整備を担った家系でもあります」


 セラフィーナの口調がわずかに熱を帯びた。


「現在も、彼らの元には自治権を法的に約したナヴィレザ独立基本憲章どくりつきほんけんしょうが保管されています。そこには、王国リューフェインと取り交わした正式な条文が記されており、我々が“自由都市”であることを証明する最も古く、強固な証となるでしょう」


 カイウスの瞳がわずかに見開かれる。


「……待ってくれ。そんな物があるなら、最初からその宣言書を盾に王国の干渉を退ければいい。違うか?」


「……ごもっともです。しかし、ルザニア家は“中立”の立場をとっております。秩序を尊ぶ彼らは、『自身はあくまで文書を預かる者であり、未来は民衆が選ぶべき』だと考えているのです。恐らく、評議院セナートでの趨勢を見て文書の扱いを判断するつもりなのでしょう」


「……なるほど。積極的な協力は期待できない。説得が必要なわけだ」


「ええ。しかし、あの独立基本憲章どくりつきほんけんしょうが表に出れば、ナヴィレザの空気は確実に変わります。民意も、貴族の票も、“自由”という言葉に再び呼応するでしょう。交渉の価値は十分あるかと」


「それでも、ルザニア家が動かなかったら?」


 カイウスの問いに、セラフィーナは手を組んだまま睫毛を伏せた。


「……その時は、別の手段を考えます。どんな形であれ、わたくしには独立基本憲章どくりつきほんけんしょうが必要です。あれは、ナヴィレザの未来を繋ぐ希望なのですから」


 言葉には火を抱いたような決意が滲んでいた。カイウスは何も言わず、セラフィーナを見つめ続ける。

 やがて沈黙の中でセバスが一歩下がり、静かに一礼した。


「そろそろ失礼いたします。臨時会合に備え、文官たちに連絡を。お嬢様、カイウス様。どうかご自愛を」


 扉が閉じ、応接間にはカイウスとセラフィーナの二人だけが残された。


 ――わずかな沈黙。

 あるのは慎重な駆け引きのあとのような張りつめた静けさと、紅茶の残り香。


 カイウスの傷も決して浅くはなかった。

 明日からに備え、客間で休息を取ろうとカイウスが身を起こし、腰を浮かせかけた――そのとき。


「……カイウス様。お目汚しかもしれませんが、どうかご容赦くださいませ」


 どこかそわそわと所在なげだったセラフィーナの声が夜気の中に震えた。白磁のような彼女の指先が顔飾り――純白のヴィーザへと伸びる。

 

「……家族とセバス以外の前で外すのは、初めてなのです。不慣れで申し訳ありません」


 その動きはぎこちなく、指がかすかに震えていた。

 やがて、ついにヴィーザが解かれ、ナイトローブに包まれた膝の上に落ちた。


 カイウスは、思わず息を呑んだ。

 初めて見るその素顔は、想像していたよりもずっと柔らかく、そして――美しく完成されていた。

 透き通るような白肌に通った、細く凛とした鼻筋。意志の強さを象徴するきゅっと引き結ばれた口元。ピンクに色づいた薄い唇が無防備に晒され、まるで見てはいけないものを曝け出されたような気がして、カイウスは思わず視線を逸らした。

 

「……カイウス様。わたくしは……本当は、怖くてたまらないのです」


 翳りのある睫毛と蒼瞳が揺れる。


「市井では"自由の旗手"などと言われておりますが、わたくしは……どうしようもなく、ただの少女なのです。大した力もなく、誰かを導く覚悟すら持ち合わせているのかも不確かで……。人の信頼も人生も、すべてを背負えるような強さなど、持ち合わせてはおりません」


「時々、夢を見るのです。もし、わたくしが名もなき少女だったなら、と。朝に目覚め、ヴェルディ広場でパンを買い、気まぐれに本を開き、友人と遊び……そして、誰かと出会い、恋に落ちる。そんなささやかで、ありふれた人生を」


「けれど、わたくしは……ヴァルシェ家の当主として、ナヴィレザの未来を、他人任せにはできません。それだけは――絶対に、嫌なのです」


 胸元に置かれた指が、その声と共に小さく震えた。

 

「……それを覚悟してなお。時折、思ってしまうのです。全てを投げ捨て、ここから逃げ出せたら、どんなに楽なのだろうかと。そんな空想に甘えてしまうわたくしは……やはり、弱い人間なのでしょうか」


 しばしの沈黙。カイウスは目を伏せ、低く呟いた。

 

「……わからない」


「え……?」


「逃げたいって思うことが、弱さになるのか? いつも選択肢の一つとして考えてる俺には、それすらわからない。けれど……」


 カイウスがセラフィーナを見据える。その目に曇りはなかった。


「それでも、アンタは戦ってるだろ。孤独を抱えて、多くの信頼も背負って、自分の弱さと向き合って。それでもナヴィレザの為に、前に進み続けてる。俺は、そういうふうに……己の弱さを認められる強さを、心から尊敬してる。他の誰にも、真似できることじゃない。だから俺は、アンタは……誰よりも強い人間だと思うよ」


 セラフィーナの頬に淡い朱が差した。

 カイウスは肩の傷を庇うように身体をずらして、冗談めかした口調で続ける。


「だけど……もし本気で逃げたいと思ってるなら、報酬次第でどこへでも連れ出してやるさ。あのセバスの追っ手は厄介そうだから、割増料金にはなるけど」


「まあ、頼もしい。セバスは夜目も効きますから、寝ずの番でお願いしますね。……カイウス様に寝顔を晒すのは、その……少し、照れてしまいますが」


 クスリと笑う声。

 柔らかな頬に浮かんだその笑みは、年相応の少女のものだった。あまりにも自然で、あまりにも無防備で――カイウスは言葉を失いかけた。


「……なぁ。なんか、こう……急に雰囲気が変わったな。どうしてだ?」


「……あっ」


 セラフィーナが何かを思い出したように息を吐く。

 

「失礼いたしました。カイウス様はご存知なかったのですね」


 彼女は唇に手を当て、恥じらいを含む声で言った。


「ご存知の通り、ヴィーザは元々“自己を隠す”ためのものでした。身分や素性を覆い、皆が平等になる為のものです。ゆえに……それを人前で外すという行為は、“ありのままの自分を見てほしい”という意思表示に他なりません」


 言葉を終えた彼女はほんのわずかに視線を落とし、すっかり紅潮した頬をそっと手で押さえた。


「つまり、それは――求愛の意味を含む、特別な行為なのです。わたくしのこの顔も、声も、迷いも、恐れも……どうか、カイウス様だけは、偽わりなき物を見ていただきたいと……勝手ながら、そう思ったのです」


「なっ……!」


 カイウスは喉奥で音を詰まらせた。

 思わず動かした腕に痛みが走り、表情を歪める。セラフィーナはその様子を見て、口元に手を添えた。


「まぁ……! 取り乱すカイウス様は初めて見ました! 意外に可愛いらしいところも、おありなのですね。そんな一面も、その……素敵、だと思います」


「か、揶揄うなよ……! それは俺の専売特許だ! アンタは距離の詰め方が急すぎるんだよ……! こっちの調子が狂う」


「……それ」


 セラフィーナの眉が、きゅっと寄せられる。


「……え?」


「その“アンタ”って呼び方。本当は、最初からずっと距離を感じていました。どこか一線を引かれている様で寂しいのです。……だからこれは、我儘なわたくしから、頼りになる"杖"へのささやかなお願いです」


 柔らかく揺らぐ声がカイウスの耳を撫でる。


「二人きりのときは、どうか“セラフィ”と呼んでください。幼い頃、家族がそう呼んでくれていたんです。……わたくしが本当の自分でいられる、たったひとつの名前です」


 その名を告げた彼女は、照れくさそうに、でも嬉しそうに笑った。


「……二人だけの秘密、ですね? カイウス様」

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