クリームにまみれ
テーブルの上には、いちごミルクの紙パック、クリームメロンパン、シュークリーム、マリトッツォがひろげられている。甘甘甘の甘。甘い物のオンパレード。
「山脇さん。甘味量半端ないけど、これ昼ご飯なの?」
「そうです。やけ食いです」
山脇は口の端についたメロンクリームを指で拭い、その指をウェットティシュにこすりつけた。
「知ってます? 鈴木さん結婚するんですって。式を挙げるから、連休をくれって部長に言ってるのを聞いたんですよ。あの鈴木さんですよ?」
「あー、何か言ってたかも」
黒崎はコンビニの袋をマリトッツォの横に置き、静かに椅子を引いて腰を下ろした。二枚のパン生地に挟まれたクリームがこれでもかと主張をしている。「私は甘い食べ物ですよ」と、その見た目から語りかけていた。食べたら胃もたれをしそうだなと黒崎は思った。
「あの鈴木さんですよ? 信じられます?」
「まぁ……驚いたけど、会社での姿とプライベートは意外と違うのかもね」
曖昧な返事をして言葉を濁す。会社の中での悪口は誰に聞かれているかわからない。コンビニ袋の中から弁当とペットボトルのコーヒーを取り出し、甘い物の並ぶ横に置く。マリトッツォから見えるクリームは薄いピンク色をしている。いちご味だろうか。いちごの飲み物にいちごクリーム。そしてメロンクリーム。シュークリームのクリームは何味だろうかと黒崎は思った。
「あの鈴木さんですよ?」
「よっぽどだね」
「キーボード叩く音すっごいうるさいし。絶対に奥さんは騙されてる。あの人はモラハラ夫ですよ。すぐに離婚するに決まってますよ」
もう黒崎は返事をしないことにした。山脇はそれでも気が収まらないらしく、食事の手を止めて話し出した。
「聞いて下さいよ。あの人、私の配ったお土産には全然お礼言わないのに、部長や課長の配るお菓子の時には起立してお礼言いますからね。差別ですよ。差別。性根が腐ってるとしか言いようがない。私のことなめてるんです。部長に結婚報告してる時にチラッと私の方を見てましたけど、私は知らんぷりしましたからね。聞こえないふりしてやりましたよ。絶対お祝いなんて言わない」
そうか、山脇さんは彼になめられていたのか。それはいろいろと思うことがあっても仕方がない。ただ、ここは社内なんだけれど……と、黒崎はコンビニ弁当を頬張りながら思っていた。思っていたよりもコンビニ弁当の麻婆茄子は美味い。
「あんな人でも結婚できるのに、私や黒崎さんが独身ってありえなくないですか? だって、別に私達嫌味な人じゃないですし。普通ですし。普通の善良な市民ですし。黒崎さんなんて、フットボールが趣味ですよね。あの人に比べたら黒崎さんの方がよっぽど爽やか好青年じゃないですか」
一瞬、麻婆茄子が喉に詰まりそうになった。
黒崎はペットボトルのフタを開け、コーヒーを流し込んだ。コーヒーと麻婆茄子はなかなかに合わない。香りが鼻腔の奥で喧嘩をしている。
山脇の言っていた言葉をもう一度思い出そうと、ほんの数秒前を振り返る。「爽やか好青年」これは褒め言葉と受け取っても良いのだろうか。もう一度数秒前を振り返ろうとしたところで、彼女は思考を遮るようにたたみ掛けて来た。
「黒崎さんは違う部署でも、聞けば丁寧に教えてくれますし。あの人は聞いても空返事ばっかりで何にもしないですからね。何で黒崎さん、私の部署にいないんですか? 鈴木さんが結婚できて、黒崎さんが独身なの絶っ対におかしい。私だったら絶対に黒崎さん選ぶのに。即決ですよ。即決!」
そう言い切ると、山脇は残りのクリームメロンパンにかぶりつき、むしゃむしゃと頬張っている。
「私、別に結婚が全てだとは思ってませんけど、やっぱり納得いきませんよ。何であの人が? これじゃあ黒崎さんが負けたみたいじゃないですか! 悔し過ぎる!」
クリームメロンパンを食べ終えた山脇は、次にシュークリームの袋を乱暴に破った。破かれた袋には「リッチチョコ」と書かれている。一応味がかぶらないように彼女なりにクリームの種類を選んだのかもしれない。
「……あのさ、山脇さんって甘いよね」
「当たり前ですよ! 甘い物食べないと、ちょっと今日はやってらんないですよ。あいつがチラ見して来た時の顔を思い出すだけでもイライラするっ」
「わかった。今日は二人で飲みに行こう。続きはその時に。ここ社内だし」
「はぁ? 良いですよ。今日は語りますから! いっぱいネタがあるんですよ。マジ、むかつく」
メロンクリーム、チョコクリーム、いちごクリーム、いちごミルク。そして目の前にいる山脇。甘甘甘甘の甘。
もう、麻婆茄子の味は良くわからなくなってしまった。とりあえず腹が満たされれば味はどうでも良いかと黒崎は思えた。それよりも大切なものを今、この時間に発見できたから。
見るからに甘そうないちごクリームのそれを今度食べてみようかと、そんな気になった。
2021年7月作成。その当時はマリトッツォが流行っていました。