6話 白の考察、彩の執着、灰簾の寵愛
─side シロ─
泣きそうな顔で出ていった美波ちゃんの背中を見送り、やれやれと肩を竦める。
別に虐めたい訳じゃない。ただ、彼女の本心を知りたかった。
美波ちゃんは矛盾だらけだった。
少女の様な体なのに、成熟しきった人の様な言動をする。
本人は二十二歳と言っているのに、自分で『老人』と言っている。
力も精神も異次元に強いのに、時偶酷く脆くなる。
まともに見えるのに、その目には確かな狂気が宿っていた。
孤独を望んでいるくせに、人を求めてしまう。
そんな美波ちゃんに、どうしようもなく釘付けになってしまった。
恋情を抱いている訳ではない。どちらかと言えば娘に対しての情だろう。伴侶などいたことがないし、作る気も全くないが。
話が逸れてしまった。長く生きていると、関係のないことまで思い返してしまう。
からり。
机に置いた指輪から音が鳴る。
「ふむ」
指輪を片手で摘み、目の前まで持ってくる。
平凡に見えるソレはよくよく見ると、嵌められている宝石が淀んでいるように見える。
「…言った方が良かったかなぁ。いや、もっと面倒なことになってただろうし、言わなくて正解かもね」
そんな独り言を漏らす。ボク以外は誰も気が付いていなかった事がある。
それは、この指輪から微かに美波ちゃんの霊力を感じること。つまり美波ちゃんとこの指輪は何らかの関係があるはず。
美波ちゃんはこの指輪に見覚えがある訳ではなさそうだった。美波ちゃんが使用していた訳ではない。
霊力を吸う神器はあるが、それなら抜け殻になることはない。
「封印…かなぁ……でもそういう記述も噂もなかった……美波ちゃんから記憶が抜け落ちたのかな…」
ぐるぐると思考が巡り、結局何もわからなかった。
美波ちゃんに関係があるのは確定だが、本人が覚えていないし、過去を話そうともしない。まあそれは別に良いのだが。
……もしかして、美波ちゃんがやけに暗い顔をしていたのは、この指輪のせいなのだろうか。
例え抜け殻だとしても、神器であった事に変わりはない。神器の能力にもよるが、無意識にトラウマを植えつけられ、覚えていなくても精神に影響が出る、なんてのは意外とよくある話だ。
だが、この神器は抜け殻になって最低でも数百年は経っているはず。数十年程度ならば、美波ちゃんの霊力以外にも痕跡があるはずだから。
いや、それならばやはり美波ちゃんが覚えているはずだ。そもそも、その場合美波ちゃんが人間ではないことになる。それはおかしい。美波ちゃんは正真正銘の人間だ。確かに少し特殊な気配がするけれど、それも人間の範疇に収まっている。
「…っダメだぁ〜!!ぜんっぜんわからない〜!!」
腑抜けた声を出し、椅子に倒れる様に凭れ掛かる。
通常よりも多くを知っていると、どうしても発想が飛躍してしまう。ボクの性格故かもしれないけれど。
思考が二転三転して、全く纏まらない。
考えたって意味がないことぐらい少しはわかっている。だけど状況が状況だし、場合によっては取り返しがつかなくなることだってある。楽観視はできない。
でも、わからないものはわからないのだ。
「流石にお手上げだよ……ま、秘密主義はボクもなんだけどね」
『十六夜』は誰も過去を話さない。話させようともしない。だからこそ居心地がいい。話さないことへの罪悪感さえも抱かせない。そんな場所。
「この指輪どうしよう……壊すわけにはいかないしなぁ……」
うーんうーんと悩んで、結局箱に仕舞うことにした。
変に霊力を使った術でも掛けてしまえば、霊力を吸われるかもしれない。普通に保管した方がよっぽど安全だろう。
指輪の入った箱は机の引き出しの奥に入れ、仕事を再開した。
店長は休みだし、副店長は休ませないと。レイも怪我してるし、美波ちゃんは巡回。今日の事務処理はボクがやらなくちゃ。いつも忙しくはあるけれど、常識の範囲内だ。
でも、今日はちょっと頑張らないと。
「……ボクも、柄になく『情』なんてものを抱いているのかな」
◇◇◇◇◇◇◇
「……あーあ。さすがに失敗かぁ」
光の差さない暗い部屋の中。机に足を置いて椅子に座っている少女が残念そうに呟く。
多色のメッシュが入り混じった黒髪。
髪のように様々な色が入った、黒かった瞳。
フリルがあしらわれた青色の軍服とミニスカート。
可愛らしい青色の軍帽。
青色の靴下を固定しているガーターベルト。
黒色の編み込みショートブーツ。
右腕をすっぽり覆う、少し濃い青色の手袋。
少女はぺらぺらと手元の書類を捲っている。
「あの指輪が唯一の手掛かりだったのに…やっぱり教団を先に潰すべきかなぁ。『十六夜』はどっちかというと味方だし……うーん、難しい…」
可愛らしい容姿とは裏腹に過激なことを言う少女の側には、ひとりの少年がいた。
所々癖のある黒髪。
薄緑の瞳。
飾り気のない青色の軍服と軍帽。
黒色の革靴。
平凡に見える少年だが、その目に光はなく、ぽっかりと穴が空いているような深淵だった。
「ね、流無はどう思う?やっぱり潰した方がいいかな?」
こてん、と首を傾げる様は、傍から見ると『愛らしい』仕草なのだろう。けれども、流無と呼ばれた少年と違い、その瞳はどろどろと酷く濁っている。
「元帥は泳がせろ、と。手札もわからない」
「ぶー!つまんなーい!あんなごみどもさっさと殺しちゃえばいいのに!」
「…軍の大将が言っていいの」
「『遊撃軍』はわたしが一番上だからいいの!」
『裏界』で勢力が強い組織は三つある。
一つ目は数々の処刑人を束ね、『表』と『裏』の治安を守っている妖呪協会。
『掟』の術の管理・点検や、無許可で製造や売買がされた呪具の押収も担っており、現在は法律の施行の準備もしているという噂がある。
上層部には千二百年前の英雄『神殺し』を崇拝している者が多く、その理念を大きく掲げている。
二つ目は、機密情報として妖呪協会により情報規制されている神霊教団。
表向きは全ての神を信奉する組織。しかしその実態は神すらも陥れ、その力を悪用し、自分たちの私利私欲を満たす悪徳組織。
かなりの昔から存在しており、実は何度も組織同士での全面戦争に負けている。
それでも直ぐに再建される、謎が多い組織だ。
そして三つ目は、神や世界に反旗を翻す違法軍事組織、世界改正軍。
理不尽な『世界』や、傲慢で自分勝手が過ぎる神々を一掃し、世界を正す事を目標にしている組織。
神霊教団とも敵対しているが、意図的に人殺しを避けている。
勿論、兵たちも個々に目的がある。しかし中には『神殺し』を崇拝している者も、当然いる。
『神殺し』はこの世界の全てを守ろうと身を削っていたのに、世界は『神殺し』に牙を剥いた。そんな世界に絶望し、世界を嫌った者たちが大勢いる。
世界改正軍は七つの軍で構成されている。
遊撃軍。
陸戦軍。
海戦軍。
空戦軍。
探究軍。
製造軍。
情報軍。
役割は名前の通り。そしてそれぞれの軍には、軍のトップである『大将』が一人ずついる。
少女は彩月。『悪姫』と呼ばれ恐れられる、遊撃軍大将である。
隣にいるのは彩月の副官、流無。彼は元々人間であり、殺人鬼でもあった。警察に追われ、捕まりそうになった所で自害。その後妖怪へと転じた。
どうして人を殺していたのか、どうして彩月は彼を副官として側に置いているのか。それは本人たちにしかわからない。
わかっているのは、妖怪に転じてからは人を殺していない、ということは揺るぎない事実だけである。
「……そういえば、最近去雪がわたしを見ると逃げるんだけど、なんでか知ってる?」
去雪とは情報軍の大将であり、大将の中では最年少である。
彼はおどおどとした性格で、他の大将を怖がっているが、最近はかなり警戒している。
「知らない。何か教えたくない情報でも掴んだのかも」
「んー、それなら仕方ないか」
去雪は『裏界』の様々な情報を握っている。例え仲間と言えど、簡単に教えられない情報だってある。用心が必要な役職なのだ。
「はぁ…仇討ちも時間がかかるね」
『神殺し』は様々な者を引き寄せ、魅了する。彼女もまた、魅了された者のひとりだ。
物語は加速する。鍵となるのは『神殺し』だけれども、複数の鍵が必要となるだろう。
『鍵』は自分が何を開けるのか、全て理解しているとは限らない。
◆◆◆◆◆◆◆
場所は十六夜。
休憩室のベッドですぅすぅと可愛らしい寝息を立てながら寝ている愛の側に、靄のような怨霊が佇んでいる。
靄は段々と形を変え、ヒトの形になる。
最初に見えるのは紫色の軍服。すらりとした足。男の様だが少し細身の体。
毛先が白色のグラデーションになっている紫色の髪。
タンザナイトの様な右目と、アメジストの様な左目。
その顔は、目の前で眠っている女性に、酷く似ていた。
愛の要素を反対にしたような人物は、休憩室に備え付けてある椅子をベッドの直ぐ側まで持っていき、そこに座る。
すり、と右手で愛の頬に優しく触れ、狂気的な笑みを浮かべる。
そして、どろどろとした瞳を更に歪ませ、言葉を発する。
「姉さん」
その言葉に、寝ている愛は苦痛に顔を歪ませ、呻き声を上げる。
「ああ、辛いだろうね苦しいだろうね。だってそういうものだから。でも姉さんが悪いんだよ?姉さんったらいつも無茶ばっかり。僕心配で心配で心配でみーんな殺したくなっちゃう。姉さんには僕だけでいいのに。姉さんは僕だけ見ていればいいのにどうして姉さんは他のゴミどもにまで優しくしちゃうのかなぁ。姉さんは僕のものなんだよ僕だけのものだ他のモノなんて見ないで僕だけ見ていればいい僕のことだけ考えていればいい姉さんには僕だけいればいい僕には姉さんだけいればいいどうしてわかってくれないの」
それは呪いの言葉だった。どろどろとして、しつこく絡み付き、決して逃がそうとはしない。
「みんな僕の感情を理解してくれない姉さんだって僕を拒絶したそんなの許さない絶対に手に入れるだって最初から姉さんは僕のなんだからみんな言ってた紫白家は僕のものなんだってたった数時間でも僕は当主だったんだじゃあ姉さんも僕のだよみんな姉さんを認めてなかったけど別にいいんだよ姉さんに危害を加えないなら別にどうでもいいでも姉さんを他の家に嫁がせようとしたり殺そうとしたりするなんて許せない僕に黙って姉さんをどうこうしようだなんて許せない姉さんは僕のもの姉さんは僕のもの誰にも渡さない」
空気が淀む。けれど部屋の外に流れ込むことはなく、淀んだ空気は愛を取り囲む。これは自分のものなのだと、知らしめるように。
「この感情に名前を付けるのなら一体何になるんだろうね。恋なんて薄っぺらい感情じゃない。そんなものと一緒にしないでほしい。執着心?支配欲?独占欲?もっとたくさんかな。姉さんはどう思う?なんて聞いても姉さんは僕が視えないもんね。ちょっと惜しいことしちゃったかも。ああでも僕が実はずっと姉さんの傍にいるって知ったらどんな顔するかな。怒るのかな。喜んでくれるかな。姉さんは自分に取り憑いているのが僕だって気づいてるのかな。取り憑かれてるのは気づいてるけど。いや気づいてないよね。だって姉さんだもん。僕の感情にも気づかないでずっーーーーーーーーーーーーーとただの愛しい弟として接してたんだから。さすがに一線は越えなかったけど添い寝なんて全然疑ってなくて逆にびっくりしちゃった。人はこれを恋と呼べるのかな。でも僕のはちゃんと純愛だもんあんな穢れた感情じゃない。あ、僕がまだ生きてたら27歳だから『だもん』は変かな。でも顔がいいから大丈夫だよね!だって僕の顔は姉さんと似てるんだから。姉さんはきれいでかわいくてかっこいいんだ。僕より姉さんのほうがきれいに決まってる。はぁどうしようかな頑張ってる姉さんが見たくてここまで頑張ってきたけどさすがに変な虫が付きすぎたなあ。唯さんは僕に忠告とかしてくるしレイさんは何かと僕を警戒してるしシロさんは僕を姉さんから引き剥がそうとしてるみたいだし。でも美波さんは僕に怯えてるのかな?なんだろう、トラウマみたいな感じなのかな。美波さんが一番厄介そうだなぁ。あーもうみーんな邪魔!!殺したら姉さん悲しむかな。怒るかな。それもいいかも。だって姉さんの目が僕に向くんだもん!刀は没収しちゃえばいいし!そういえばだぁれも気づいてないよね。意外と気づかないものなのかな。刀は頑張って細工したもんね!元は霊力が籠もっただけの刀だったけど生きてるときから15年間ずっと僕の霊力を馴染ませたんだから。ゆっくりじっくり。もしかしたら僕の気配が強すぎて逆に気づけないのかも!僕って天才!」
誰も聞く者がいないのにつらつらと独り言を重ねていく。
すりすりと手に触れ頬に触れ髪に触れ腹に触れ足に触れていく。
誰も気づけないだろう。彼が『世界』に恐れられていることなど。『世界』が愛を彼に対しての生贄にしたことなど。
そう。『世界』は彼の狂気を認めている。
『世界』は彼の狂気を『寵愛』と形付けた。実際はそうでないとわかっていながら。
彼の名前は紫白憂太。愛の実弟であり、『紫白の悪夢』と呼ばれる大量殺人事件の首謀者だ。
事実は小説より奇なり、という言葉がある。だがその言葉の原文を直訳すると「これは奇妙だ、しかし事実である」となる。
有名な言葉でさえ、原文とは少し異なってしまうことがある。ならば、この世界の特異さも、事実との差異も、否定することはできないだろう。
だって、誰かはこんなおかしなヒトを想像するだろうから。
誰も、彼ら彼女らを否定できない。
この物語は矛盾だらけだ。この物語は狂気だらけだ。この物語はおかしなことばかりだ。
誰が、否定できようか。