5話 いつかの指輪、闇の一部
─side 美波─
依頼されていた掟破りの始末が終わり、さてどうしようかと考えた所で、店の近くで氷の城が展開された。陽の光を反射してきらきらと光る透明な城は、どう考えてもレイさんが創造したものだった。
本人や周りが気付いているかは知らないが、レイさんはかなり特殊な様に思う。本人は「戦闘が不得手」だとか、「支援専門」だなんて言っているが、そうは思えない。だって、一瞬であんなに大きな城を創ってしまえるのだから。
「……行きますかね」
刀を振り、血を払う。
左手で鞘を支え、刀を納めて歩き出す。
かつて人間だったモノが、灰となる様を一瞥して。
◇◇◇◇◇◇◇
すっかり履き慣れた靴で壁を蹴りながら、建物と建物を乗り継いで氷の城へと向かう。
そう言えば一週間程前に、シロさんを抱えて同じ事をしたら、「キミ本当に人間???」と化け物を見る様な目で見られた。
確かに人間ができる動きではないのだろうが、霊力で脚を強化して速度も上げているので、やろうと思えば人間でもできると思う。
そんなことを考えながら、あっという間に着いた氷の城の壁を、とんとん、と駆け上っていく。いつでも戦えるように、左手で鞘を支えながら。
少し登った所で、壁に凭れ掛かるレイさんと、どこか幼さのある女性…いや、少女だろうか。とにかく、レイさんと茜色の少女を見つける。
氷の壁を霊術で少し溶かしてその部分に掴まり、耳を澄ます。
「あ─。それがど──うもの─は全く知らんが、失せ物──の仕事でな。悪──渡してくれないか?」
「え、ええ?いや、渡す──良──だけ─ど…」
…聞こえにくいな。
霊術で聴覚を強化し、もう一度耳を澄ます。
「ええっと、もしかして『神霊教団』のやつらじゃないの…?」
「………は?」
自分でも驚愕する程低い声が口から溢れる。
神霊教団。神霊教団だと?
何故だ。何故奴らが今も存在している。探したって見つからなかったのに。
何故?何故?何故!!
「何故貴様らは私の邪魔をする…!」
嗚呼、やっぱり私は変われていない。
レイさんは怒られる、と嘆いているが、事情を話せば怒られることはないだろう。
もう一度氷を溶かし、城の中に飛び入る。
とっ、という音と共に降り立ち、レイさんに向けて口を開く。
「いいえ、お手柄ですよ」
レイさんは顔を上げ、呆けた顔を見せる。
「…美波、か?なんでここに…?」
所々にある擦り傷と、そこから流れる血が、どこか痛々しく見える。先程の少女にやられたものなのだろうか。
「ここまで派手に力を使えば誰だって気が付きますよ。…それで、その傷は?」
「さっきの女の子にやられたんだ。まあ、勘違いだったみたいだがな」
そうですか、と一言だけ言い、少し深呼吸をする。
「……美波は、神霊教団と何かあったのか?」
気まずそうに、こちらを気遣うようにそう問い掛けてくるレイさん。
何か、か。そうですね。そう思うのが普通だ。確かに、私は神霊教団と深すぎる関係がある。それこそ『何か』なんて簡単に言えない程。
「…昔、いろいろと。まだ存在しているとは思っていませんでしたけど」
「……そう、か。…神霊教団は、妖呪協会での重要機密だ。今までも目立った活動はなかった……でも、あの女の子は知っていた。……一体、何が起こってるんだろうな」
実際にここ一ヶ月間調べてみても、神霊教団の影すら見えなかった。てっきり、既に消えたのかと思っていたのに。
体の中では身を灼く程の怒りと憎悪が渦巻いているのに、辺りに漂う冷気が、無理矢理感情の炎を鎮めようとしてくる。それが、どうしようもなく苦しかった。
どうすればいいのか。こういう時、何を言えばいいのだろうか。私だって、何が起こっているのかは全くわからない。それなのに、何を言えというのか。
「……ひとつ、聞いてもいいか?」
既に立ち上がり、真っすぐと私を見つめるレイさん。
口を開く気力がなくて、こくり、と小さく頷く。
「お前はなんで、『十六夜』に入ったんだ?」
なんで。そう言えば、私はどうして店に入ったのだろうか。
唯さんに誘われて、成り行きで。明確な理由なんてなかった。ただ、そうするしかなかっただけ。
でも、強いて理由を付けるなら。
「自分の罪を、清算するため」
私は罪を犯した。幾つもの赦されざる罪を。
それなのに更に罪を犯そうとしている。赦されようとしている。
私は、『昔』の出来事を、ずっと引きずっている。
赦されないとわかっている。忘れてはいけないことだって、わかっている。
それでも、前に進まなければならない。世界は待ってくれないのだから。
罪を背負って前に進むことが、未だできないでいる。あんなに長い時間が経っている。いい加減、清算しなければ、ならないのだろう。
「…そうか。お前のことは何も知らない。だから『無理するな』なんて言えないが、せめてもう少し俺たちに感情を吐き出せ」
「俺たちは仲間だろ?」
「…!そ、です…ね」
帰るぞ、とレイさんに手を引かれ、店へと歩き出す。
握られた手は死体の様に白くて冷たく、レイさんが人間ではないことを明確に知らしめてくる。
レイさんは、いや、『十六夜』の四人は、私を信頼してくれている。毎日それをひしひしと感じている。
けれど、私はあの人たちを信頼できない。信用もできない。
仲間は時として致命的な隙となる。ただの足枷でしかない。
ならば、適切な距離をとって警戒し続けた方が良いに決まっている。
それなのに、どうして私は、この手を振り払えないのだろうか。
手を握る力は強くはない。こんなもの、容易に振り払えるのに。
嗚呼、やはり仲間など作ってはいけなかったのだ。
仲間なんて、私にはいらないのだから。
「おーい、大丈夫かー?」
白い手が目の前でひらひらと舞っているのに気が付き、意識を浮上させる。
「…すみません、考え事をしていました。大丈夫なので気にしないでください」
「そうか?」
思考が悪い方向へ傾いてしまっていた。
皆を嫌っている訳ではない。それは断言できる。
やはり、割り切れていない。過去の経験とやらは、しつこく絡みついて私を侵蝕していく。
思考が陰気な方へ向かっている間に店の前に到着する。
「……俺、怒られないよな…?」
レイさんがぶるぶると震えながら、私の背に隠れてそう呟く。隠れると言っても、私の方が遥かに身長が低いので全く隠れられていないが。
「大丈夫でしょう。あの少女を追っていけば、神霊教団の尻尾が掴めると思いますよ」
「うぅ……愛はキレると怖いんだからな…!?冗談抜きで手が付けられないんだぞ…!」
震えているレイさんの手を引き、店の扉を開ける。
「只今帰りました」
「か、帰ったぞ…」
覇気のないレイさんを見て異変を感じ取ったのか、綿の詰まった長椅子に深く腰掛けていた愛さんが立ち上がる。
そして紫水晶と灰簾石の瞳を少し細め、傷だらけのレイさんを注視する。
「レイ、美波、何があった」
「レイさんが神霊教団の者と間違えられ、妖怪の少女に襲われたようです。その少女は神霊教団と何らかの関わりがあると見て良いでしょう」
「……成る程。取り敢えずレイは自分の傷の手当てを。美波はその指輪を調べてくれ」
「はい」
「お、おう!」
少し情けない顔をしていたレイさんだが、怒られないとわかり、私に指輪を渡した後、ほっとした様子で救護室に入っていった。
私は赤色の宝石が嵌められた、ありふれた指輪を眺めた。
呪具という話だったが、霊力を全く感じない。
「…呪具には見えませんね」
そもそも呪具とは、製造段階で霊力が多分に含まれ、何らかの効果を持った道具の事だ。
ただ単に壊れないだけのものもあれば、それこそ世界をひっくり返せる程の力を持つものもある。
その為、基本的に一目見れば呪具であるかどうか分かるのだが、依頼人はどうしてこれが呪具であると思ったのだろうか。
……待て。少しおかしくないか?
状況から鑑みるに、茜色の少女はこの指輪を拾ったか、もしくは奪ったと考えていいだろう。
そして何故、工場に探しに来たレイさんを、神霊教団だと思ったのか。
それはこの指輪を、神霊教団の奴らから奪ったからではないのか?
なら、呪具探しを依頼した者は、神霊教団の関係者…?だが、この指輪には霊力がない。
何故、この指輪を狙った?
がちゃり。資料室の扉が開き、書類の束を持ったシロさんが現れる。
「おや?美波ちゃん、珍しいものを持っているね」
「……珍しいもの?この指輪のことですか?」
シロさんは私の言葉に首を傾げ、私の手にある指輪を取り、まじまじと眺める。
……私のすぐ目の前で。
顔が近い。なんでだろう。私の知人は総じて距離が近い気がする。
一頻り眺めた後、シロさんは顔を上げ、少し不機嫌そうな顔をした。
「やっぱりそうだ。これ、霊力がなくなって抜け殻になった『神器』だよ」
「……神器!?抜け殻!?どういう事だ!!…っう…」
愛さんは悲鳴にも似た怒鳴り声を上げながら、シロさんに詰め寄る。
が、大声が体に響いたのか、片手で頭を押さえて倒れそうになり、咄嗟に愛さんの体を支える。
「…っ……だ、大丈夫だ……そんなことより、さっきのはどういう事だ」
「神器も呪具も、元々の性能よりも凄いことをやると、中の霊力と使用者の霊力を吸い取ってしまうんだ。そうすると呪具は砕け散る。でも神器は側だけが残るんだ。大量の霊力を注げば、神器に元通りさ」
「ま、そんなことする奴は滅多にいないけどね」と付け加え、掌の中で指輪を転がすシロさん。
霊力を注げば元通り。だが、滅多にないということは、知っている者は少ないということ。
それでも、警戒ぐらいはするものだろう。何故態々、『呪具』だと言って探させたのだろうか。
「……一体、何が目的なんでしょうか」
「さあね。でもまあ、ロクでもないことではあるんだろう。……どんな神器かは流石にわからないからね?」
「…いや、充分、だ……」
辛そうに息をする愛さんを休憩室まで運んで寝かせ、いつもの部屋に戻る。
「……神霊教団は、これを何に使ったんでしょうか」
「いくらなんでも、神霊教団を目の敵にし過ぎじゃないかな?」
いつもの飄々な表情が抜け落ち、真剣な顔で私を見つめるシロさんに、私も表情が消える様な感覚がした。
「……随分と怖い顔をするんだね。何があったのかは聞かないけれど、もう少し肩の荷を降ろしたらどうだい?」
そう言うシロさんに何も言わず、巡回のために店を出ていこうとする。
「逃げるのは良い手段だ。でもそれで自分を傷つけてちゃ、何も意味がないよ」
扉を開ける直前に、そんなことを言われてしまう。
逃亡という手段は時に命を救う。恥だとか外聞だとか、そんなことは言ってられない。
私が逃げるのは、何も言いたくないから。いや、言えないんだ。
真実とは、余りにも荒唐無稽が過ぎるモノだ。何度奇怪な結果になったか。例え本当にあったことでも、見ていなければ、嘘だと思える。
私の過去が全て嘘で、夢だったならば、私はもう少し正気を保っていたのだろうか。
嗚呼、駄目だ。思考がどんどん悪い方向へ向かっている。
「………それで死ねるなら、私は喜んで自分を傷つけましょう」
口を突いた本音。言った瞬間に過ちに気付き、両手で口を塞ぐ。
勢いよく振り返り、シロさんの表情を伺う。
ふわり、と風が頬を撫でる。窓を閉めた室内に風なんて吹く筈がないのに。
シロさんは私を覆い隠す様に見下ろし、口を塞いでいる私の手を解き、握る。
「あまり、『死』という概念を軽視しない方が良い」
慈愛の籠もった瞳で見つめられ、胸が痛む。
「『死』は常に全ての隣にあるけれど、とても遠い存在だ。死ぬ時は死ぬし、死なない時は本当に死なない」
この一ヶ月間で、シロさんは他人に心底興味がない事がわかった。
時折人ではない様な顔をするけれど、私含む『十六夜』の四人以外には飄々とした昏い笑みしか浮かべない。
私達四人に対しては、かなり表情豊かだが、こんな、こんな、心の底から愛しそうな顔はしない。
まるで、娘でも見るような、そんな、顔。
「別にさ、死を望むのも、死を恐れるのも、その人の勝手だよ。それこそが人間の性さ」
「死んだ時、その人という『概念』と『魂』が分離して、魂は輪廻に還り、概念はその世界の冥府へと行く」
「『死』という概念さえ、一種の通り道でもあり、終わりでもあり、救いでもある」
「けれど、その人がいなくなることは確かなんだよね」
息が詰まるようであった。
シロさんは握っていた私の手を離し、私の両頬を覆う。
「キミは人間だ。ボクやレイからすると、キミたちの命は短すぎる」
「頼れ、なんて無責任なことは言えないさ。キミの苦痛なんて、ボクには知る由もないからね」
「でも、もうちょっと甘えて欲しいと思うのが自然だと思うんだよ」
「詳しいことは言わなくて良い。辛いことがあったとか、嬉しいことがあったとか、そんな曖昧で良いんだよ」
シロさんの綺麗な赤色の瞳に、私の忌々しい青色が映る。
「ねぇ、どうしてキミは他人を求めるくせに、孤独であろうとするのかな?」
その綺麗な瞳に、優しい表情に安心してしまう自分が怖かった。全て話してしまいそうだった。
シロさんの肩を軽く掴んで押し退ける。
「おっと」
勢いよく扉を開け、再び店を出る。
「はぁ、はぁっ…!」
別に体力がない訳じゃない。寧ろ体力には自信がある。
それなのに、何故か呼吸ができない。
何も見たくなくて、路地裏の奥の壁に寄りかかる。
両目を手で塞ぎ、ずりずりと音を立てながら崩れ落ちる。
「耐え、なければ…忍耐……忍耐……大丈夫………大丈夫……私は…私は大丈夫……」
初めて失った時から、ずっと唱えてきた言葉。
大丈夫と言えば、私は大丈夫だから。
よろよろと立ち上がり、歩き出す。
特にやらなければならない依頼もないので、巡回をする。
『裏界』は『表』と同じ広さだ。それぞれに担当の処刑人が大量にいる。
『十六夜』の周りにも処刑人がいるが、『十六夜』も巡回を担当している。だから、これは無駄ではない。
大丈夫。大丈夫。私は耐えられる。大丈夫。