4話 激動の始まり
「あはは!」
少女の声が響く。まだ成熟していない少女の声。
楽しげに聞こえるそれは、他の声が聞こえなければ、遊んでいるように思われただろう。
いや、少女にとっては、所詮『遊び』なのだろう。
──例え、その体が血に濡れていようとも。
◇◇◇◇◇◇◇
──side レイ──
美波が店を出ていったことを、視界の端で捉える。
美波には謎が多過ぎる。何かしら思うところがあったのだろうが、その『思うところ』が何なのか、それがわからない。
たった一ヶ月しか経っていないとはいえ、美波のことは大切な仲間だと思っている。仲間が傷つくことは避けたい。
「取り敢えず、怪我をしたなら言え!悪化したらどうする!」
「…すまない」
申し訳無さそうに項垂れる愛。
ちらり、と愛に靄の様に纏わり憑いている怨霊を盗み見る。
愛と初めて会ったのは十一年前。まだ『十六夜』がなかった頃。その頃には既にこの怨霊が憑いていた。
だから、少なくとも十一年は憑かれていることになる。
「じゃ、俺は失せ物探しの依頼に行ってくるから。無茶するなよ!」
「わかっている…」
どこか力なく呟く愛を背にして、俺も店を出る。
あの怨霊については、何も知らない。唯は何か知っていそうだが、敢えて聞いていない。
だって、この店はそういう店だから。
何かしら、人に言えない事情を抱えたあぶれ者。
店長である唯は、意図的にそういう者たちを集めているらしい。何故かは知らないし、知ろうとも思わない。
態々、居心地の良い場所を壊したくはない。
はてさて、どうしたものか。これからは荒れそうだな。なんて思っていたら、依頼の場所に着く。
依頼は、失くした呪具の回収。呪具は製造、所持、売買が禁止されているが、その制度はないも同然だ。禁止されている事自体知らない者もいる。
依頼人の妖怪も、禁止制度の存在を知らなかった。
取り敢えず呪具を探して、効果を確認してから依頼人に返そう。効果によっては依頼人もろとも妖呪協会に突き出す、とは伝えてある。
俺は呪具の製造、所持の許可を持っているから、心配なく調べることができる。
ただ、この依頼の問題点は、依頼人も呪具の効果をわかっていない、というところ。
依頼人は、呪具の見た目が気に入って買ったそうだ。
小さなレッドスピネルが嵌められた銀色の指輪。それが依頼の呪具だ。
写真も見せてもらったが、至って普通の指輪のように見えた。依頼人によると、好みのものではなかったが、心から惹かれて買ったそうだ。
何かしら精神に作用する力があるのだろうか?
どちらにしても、早く見つけなければ。まずは、依頼人が呪具を買ったという現場を調べる。
その現場は割と近くで、店から歩いて五分の所にある廃工場。その工場は元々、とある違法軍事組織の呪具製造工場だった。しかし四十二年前に工場が何者かに潰されてからは、ずっとそのままになっている。
『裏界』にはそんな建物がいくつもある。そしてそこを根城にしたり、取引場所にしたりするのもよくある話だ。
「……また、ここか」
思わずそう呟いた。ここには何度か来たことがある。
予感がする。ここで何か起こると。
あの時も、『十六夜』に誘われたのも、この工場だった。何の変哲もない廃工場だけれど、この工場に来るたび、俺にとって変化を齎す出来事が起こる。どうしてなのかは、全く見当がつかないけれど。
正面の、扉があった場所に行く。壁に大きな穴が空き、冷気が漂っている。正面だけでなく、色々な場所に傷が付けられ、かなりボロボロだ。
少し頭を下げ、入り口を潜る。
中はかなり殺風景で、機械すらない。コンクリートの床には、少しだけ金属片が散らばっているが、ただそれだけ。窓も全て割れているが、ガラス片などはない。
きょろきょろと見渡す限り、指輪らしきものはない。正直期待はしていなかったので、落胆することはない。
とは言え、どうしたものか。こうなったら虱潰しに探すしかない。
『何でも屋』だから仕方がないけれど、妖怪に絡まれそうで少し不安だ。
ほら、今だって。
ビュン!と目の前に銀色のものが飛んでくる。一歩右にズレ、銀色を避ける。
ついさっきまで立っていた床を見ると、赤い持ち手のプラスドライバーが刺さっていた。
「………」
プラスドライバー??????????
頭の中に大量の疑問符が湧く。仕事上、武器を投げられることは多い。慣れてはいる。
だが、プラスドライバーは果たして投げるものだったのだろうか??俺が知らない内に常識は書き換えられてしまったのだろうか?
いや、確かに工具は武器になり得る。しかしあくまで人間相手なら、だ。俺は戦闘が不得意だが、それでも普通の武器はあまり効かない。工具なんて以ての外だ。
相手は妖怪のことを知らないのか?『裏界』にいる以上妖怪についての知識は自然と身に付けられるものだが、しかし何も知らないのに喧嘩を売るものか?
いや。
待て。
まさか。まさかまさかまさかまさか!!
「っ!」
急いでプラスドライバーから離れようとする。が、その努力は虚しく、眩い光を放ち、大きな音と共に視界が回転する。
「いづっ…!」
爆風で壁ががらがらと崩れていく。
鉄筋が見えかかった、壁だったものに背中を強く打ち付け、強い痛みが体中を駆け巡る。
砂埃が喉に入り、思わずゲホゲホと咳き込んでしまう。右手で口を覆い、生理的な涙を浮かべて咳をする。
「くそっ…なんだってんだ…!」
少し掠れた声で、どうにもならない悪態をつく。
恐らく、持ち手の中に小型の爆弾が仕込まれていたのだろう。確か、あの違法軍事組織の発明品に、高威力小型爆弾なんてものがあった筈だ。だが今は大量生産をすることはできない。
なら、爆弾での追撃はない。
「凍れ!!」
地面にダン!と右手をつく。
すると、けたたましい音を伴って、辺りが氷で包まれる。
冷気を操る、それが俺の力だ。
自然体の状態でも冷気が漏れ、周りが凍ってしまうので、いつもは意識して冷気を封じ込めている。
それを、解放する。
「早く出てこないと、凍死するぞ?」
やろうと思えば都市一つを凍らせることだってできる。やるつもりはないが。
ぐっと力を込め、冷気の出力を上げる。
瞬間。
プラスドライバーが右頬を掠め、壁に突き刺さる。
しかしプラスドライバーは直ぐに凍り、俺が軽く叩くと塵となって消えた。
「あら、外しちゃった」
そう言って現れたのは、ひとりの少女。
茜色の瞳。
ハーフアップにされた、瞳と同じ茜色の髪。
マニキュアで染めたにしては色が自然な赤色の爪。
首をすっぽり覆い、反対に腹を大きく出した黒色のインナー。
所々に赤色のアクセントが施された薄手の紫ジャケット。
黒色のミニスカート。
脚をすっぽり覆う白タイツと、黒色の厚底ブーツ。
身長は百六十後半といった所か。容姿は高校生程に見えるが、顔はもう少し幼く見える。
容姿のバランスに違和感はないが、なんとなく幼く思ってしまうのだ。
「……いや、狙いは良かったぞ?だが、如何せん戦闘は避けられない職業だからな。ただの慣れだ」
実際、頭を左に傾けていなければ眉間に突き刺さっていただろう。伊達に命を狙われ続けていない。まあ、誇れることかどうかは判断に困るのだがな。
「俺は仕事でここに来ててな。赤色の宝石が嵌められた銀色の指輪を探してるんだ。お前は何か知らないか?」
正直に話すとは思えない。が、ダメ元だ。戦闘になったらその時はその時。勝つことができなくても、負けなければいいのだ。そういった小細工は昔から得意で、数少ない長所になる。
どうやって逃げるかを考えていると、目の前の少女はきょとん、とした顔を見せ、ジャケットのポケットから何かを取り出した。
「えっと、これかしら?」
それは、依頼された呪具だった。
まさか本当にこの工場に落ちていたのだろうか。だとしたら、何故依頼人は気付かなかった?そもそも、そんなに気に入ったのなら、肌身放さず大事に持っておくだろう。
思考の海に入りそうだったが、取り敢えず浮上し、困惑した表情の少女に返答する。
「ああ。それがどういうものかは全く知らんが、失せ物探しの仕事でな。悪いが渡してくれないか?」
「え、ええ?いや、渡すのは良いのだけれど…」
本気で困惑している少女に首を傾げる。もしかしたら、認識の違いがあったのかも知れない。
そう思っていたら、少女は何かに気がついた様子で、気まずそうに口を開く。
「ええっと、もしかして『神霊教団』のやつらじゃないの…?」
神霊教団。まさかこんなところでその名前を聞くことになるとは思わず、面食らう。
しかし、成る程。少女は俺の事を神霊教団の奴らだと思っていたのか。神霊教団は色々と悪どいことをやっている。過剰に敵視するのも納得だ。
だが、そんな奴らと同じだと思われるのは不快だ。
「俺は『十六夜』という何でも屋に所属している。信じられないなら今度来てみればいい。ここからも近い。違法なことでなければ処刑人の仕事も引き受ける店だが、神霊教団の様な事は絶対にしない」
力強くそう言えば、少女はあたふたと慌てた表情をして、ばっ!と勢いよく頭を下げる。
「ごめんなさい!てっきり教団のやつらだと思って攻撃しちゃったわ!そ、その、えっと…と、とにかくごめんなさい!」
次はこっちがきょとんとする番だった。
狂気的な笑みを浮かべていた少女が、子どもの様に慌てて、素直に頭を下げている。やっぱり、チグハグだ。
「別にいい。まあ、爆発には驚いたがな。あの爆弾はどうやって調達したんだ?」
正直、こういったことがあり過ぎて、手違いなら気にしなくなってしまっている。感覚が麻痺しているのだろうが、今は爆弾の件だ。
あの違法軍事組織の警備は厳重の筈だ。簡単に盗める訳がない。
もしも、俺が知っている程の組織でなくなっていたとしたら。
その時は、心底軽蔑する。
少女は顔を上げ、先程の狂気的な笑みを浮かべた。
「ちょっとおいたをした妖怪がいたから、痛めつけてお願いしたのよ」
「……そうか」
嘘はない。そもそも、この少女がそんな嘘を吐くとは思えない。
出会って数分程度だが、なんとなく、この少女はつまらない嘘を吐く人物ではないと思ったのだ。
「じゃ、あげるわね」
と、俺の掌に指輪を置き、コツコツと工場を出ていった。
「…っはぁぁぁぁぁぁぁ…!」
周りから気配が消えたことを確認し、盛大に溜め息を吐く。
「……これ、愛には怒られるし、唯にはいじられるだろうなあ…」
氷の城と化した工場を見上げながら、そんなことを呟いた。
「いいえ、お手柄ですよ」
どこか怒気を孕んだ声が氷の城に響いた。