3話 オープニングの終わり
─side 美波─
『十六夜』が襲撃された翌日。
慣れてきた報告書作成作業をしていた時だった。
「……体が怠い…」
副店長である紫白愛がそう呟いた。
毛先が紫色のぐらでぇしょんになっている白髪。
紫水晶の様な右目、灰簾石の様な左目。
飾り気のない黒色の軍服。
そして一等目をひくのは、副店長に纏わり憑いている禍々しい怨霊。
霊力を持つ人間と持たない人間がいる。副店長は霊力を持たず、素の身体能力のみで、処刑人の頂点に立っている。
妖怪は、霊力を持たない大多数の人間から姿を隠す、霊体化という術を使える。が、副店長は見えていないのにも関わらず、鋭い勘と高い気配察知能力でで霊体化状態の妖怪を見つけ、特殊な刀で斬り捨てている。
だが、副店長は霊力を持たない。霊力を持たない者は、霊を視ることができない。
『いる』ことはわかっても、ソレが『なにか』はわからない。
人間と同じ様に、霊にも良い霊と悪い霊がいる。良い霊かもしれないのに斬り捨てることはできない。
それに、副店長に憑いている霊は、基本的に上手く気配を消している。視える者からすれば丸わかりだが、視えない副店長にはわからない。
しかし時偶、副店長に憑いている霊の機嫌が悪くなり、副店長の体調が崩れる時がある。
その場合、薬を飲んでも意味がない。
「愛、また無茶したのか?」
店長曰く、副店長に憑いている霊が不機嫌になるのは、副店長が無茶をした時、副店長が蔑まれた時が多いそうだ。店長は一目でどちらが要因かわかるらしいのだが、今日は店長がいないので、副店長に聞いてみるしかない。
レイさんの問いに、副店長は少し悩む素振りを見せたあと、ばつの悪そうな顔で口を開いた。
「……実は、昨日帰る時に、掟破りを見つけてな…ちゃんと倒したんだが怪我を少々………でも本当にそれだけだぞ。すぐに手当てもした」
どこか子どもの様に言い訳する副店長に、レイさんは頭を抱える。
そこまで大変な事態なのだろうか、と首を傾げていると、シロさんがすすっ、と椅子を持ってきて隣に座り、耳元で囁く。
「アレは、副店長が傷つくのが本当に嫌みたいだよ。罵倒された時は、とちらかというと罵倒した側に呪いが飛ぶんだよね」
私も、シロさんの耳元で囁く。
「随分とご執心なんですね。怨霊は意思がないものが殆どですが……あれには明確な意思がありそうです」
怨霊は、その身に余る程の負の感情を抱いて死んだ人間。もしくは負の感情の集合体。副店長は一体何をしたのだろうか。あそこまで纏わりつかれるのは異常だ。
「副店長自身も、何かに取り憑かれていることはわかってるみたいなんだよね」
「えっ、そうなんですか?」
思いも寄らない答えに驚愕する。
いや、妖怪や霊に関わる仕事をしているのだから、気づけて当然と言われればその通りだ。しかし、副店長は霊が視えないし、そもそも気配を感じることも、本来ならできない筈なのだ。
「びっくりだよね。規格外じゃ表現できないよ」
「じゃあ、心当たりとかはないんですか?」
「あり過ぎてわからないってさ。まあ、霊力なしで他の処刑人を凌ぐ力を持ってるからね。恨まれることぐらいあるだろう」
シロさんのその言葉に、思わず納得してしまう。
私自身も、かなり恨まれている自覚がある。そもそも、誰かに恨まれず生きれるものなど存在しない。
生きる過程で、人と全く関わらず生きることなどできない。そして、人と関われば様々な感情が渦巻く。
恨み、恨まれ、妬み、妬まれ。
所詮人間なんてそんなものだ。例えずっと隣にいる者に対しても、大なり小なり何かしら負の感情を抱いている。
「でも、それなら何故放置しているのでしょうか。わかっているのなら、祓うことなんて容易でしょうに」
「さあ?でもまあ、副店長のことだから、『自分が背負うべきものだ。逃げることはできない』なーんて言いそうだけどね」
「……そう、ですか」
書き上がった報告書を纏め、逃げるように席を立ち、他の依頼の為にそのまま店を出る。
少し歩いて、店が見えなくなった辺りで左手でぎゅっ、と刀の柄を握る。
「……背負うべきもの、か…」
私が愛さんの立場だったら、どうしたのだろうか。
もし、私に怨霊が憑いていたとして、私は、斬れるのだろうか。
──過去に囚われ、過去の幻影を見ているというのに。
……きっと、斬れないだろうな。
私は、あの時から、罪に塗れているのだから。