25話 神殺しと不死身と
千秋さんと仕事をするようになってから4日。少しは打ち解けてきた、とは思う。でも日が経つにつれて、罪悪感と後ろめたさが増えていく。
聞きたいことも言いたいことも沢山あるのに、それらが喉の奥で詰まって吐き出せない。千秋さんはそれに気付いておきながら、待っていてくれている。とても、優しい人だ。
それなのに、私はずっと逃げている。ようやく前を向けるようになったのに、また逃げてしまっている。それじゃ駄目だ。
今日こそは、と覚悟して店で千秋さんを待っているが、いつまで経っても現れない。時計を見ると、もう十三分も経っている。おかしい。この4日間、千秋さんは必ず5分前には店に着いている。
店長や副店長も疑問に思ったようで、先程から携帯に連絡をいれているが、音沙汰は全くない。
───嫌な予感がする。
この予感がするときは、いつも取り返しがつかないことが起きる。
「…っ…!」
私も携帯を取り出し、不慣れな手つきで千秋さんに電話を掛ける。
お願いだから出てくれ、無事でいてくれ、と願っていると、耳に当てている携帯から声が聞こえる。
けれど、その声は知っている声ではなかった。
『小娘の安否が知りたければ南南西にある廃工場まで来い』
ただそれだけ言って、電話は切られた。頭から血が引くような感覚がして、弾かれたように店から飛び出た。
店長たちの制止の声が私の脳に届くことはなく、脳裏に浮かぶ昔の惨状が繰り返されていないことばかりを願っていた。
◇◇◇◇◇◇◇
指定の廃工場を見つけ、ぼろぼろになった鉄柵に赤黒い血が着いているのを見て、焦燥感を募らせる。
人の気配を探して走っていると、空から黒い羽が降ってきた。
空を見上げると、見覚えのない鴉天狗が私を見下ろしていた。その右手には長い刀が握られていて、刀身からは血が滴り落ちている。
「来たか」
そして、その足元には。
「千秋さんっ!!」
鴉天狗の足元には、刀を握ったまま血塗れで倒れている千秋さんがいた。傷だらけで、服も髪も血に染まっている。
血溜まりに膝をつき、千秋さんの体を起こそうと肩に触れた時、気付いてしまった。
「っ……!」
冷たくて、固くて。千秋さんの口元に耳を近づけても呼吸音は聞こえなくて、血の巡りも心臓も止まっていた。
───死んでいる。
私は、また間に合わなかったのだ。よりにもよって本来関係なかったはずの人を、死なせてしまった。
それと同時に、もう一つ気が付いた。この鴉天狗には掟破りであることを示す青い鎖が着いていない。それはあり得ないのだ。この世界で生まれた妖怪ならば、『掟』の術式によって縛られている。千秋さんを殺したのなら、この鴉天狗に青い鎖が着いていないとおかしい。
なら、こいつの正体なんてひとつだけだ。
「異界からの、訪問者ですか」
『世界』は必ずしもひとつとは限らない。様々な世界があり、様々な宇宙があり、様々な星がある。この世界もその中のひとつでしかない。
本来ならば他の世界に干渉することはできない。だがその理を越え、世界を渡る存在がいる。この男も、そうなのだろう。
鴉天狗はゆっくり千秋さんの近くに降り立つ。
「今まで会ってきた者の中に、貴様のような者は腐る程いた。その者たちは確かに強かったが、僕に届くほどではなかった。けれど、この娘は違う」
「僕はどんな傷も一瞬で癒してしまう不死の体を持っている。この娘は28回も僕の急所を斬り、刺した。僕が不死でなければ既に死んでいただろう」
駄目だ。この男には勝てない。勝てるわけがない。だからといって逃げるという選択肢があるとも思えない。
ならば封印術で少しでも動きを止め、その間にシロさんへ連絡する。空間を操るシロさんならば鉄壁の封印を施せる。実際、シロさんも『できる』と言っていた。
「この娘が僕のように再生能力を持っていれば、あるいは……我ながら惜しいことをした。このような娘には中々巡り会えないだろう」
男の一人語りを無視し、髪の一房を三つ編みにして纏めている紐を解き、後ろで髪をひとつに纏める。
覚悟を決めろ、美波。怒りを抑え、力に変えろ。
ゆっくりと刀を抜いた私を見て、男がほんの少しだけ口角を上げる。男の真っ黒な目には、飽きるほど見てきた狂気が宿っていた。
千秋さんとの関わりはたった4日。その上大した話もできていない。
でも、『千秋』と言う人物は信頼に値する。本当は、本人が気付いていないことを伝えたかったけれど。
もうそんな機会は訪れない。せめて、ちゃんと葬送してあげたい。
「すぅ……はぁぁぁ………」
心を乱すな。心が乱れれば太刀筋も乱れる。一瞬の隙ができれば、封印術を叩き込める。
一撃必殺の技で男を斬る。そうすれば一瞬の隙ぐらいはできるはずだ。その直後一秒にも満たない時間で、精密かつ強固な術を組み立て、発動する。そんなこと、今まで何度もしてきただろう。
刀を構える。霊力を練り、刀に流す。
「───消え去れ。殺神煉夜」
青色の鎖を伴った剣閃が迸り、男の半身を消し飛ばす。
この技は千二百年間私を封じてきた術を破り、森を更地にした一撃。神々と数多の妖怪、術者が協力して編み込んだ封印を破った技だ。男も目を見開いている。
今だ。
「〈封〉」
一瞬で編み上げた術を放つと、半身だけになった男の目が閉じられ、そのまま倒れる。
喜ぶ暇もなく、ぽけっとから携帯を取り出してシロさんに連絡する。送っためっせぇじはたった二文字。
『来て』
シロさんにはそれだけで充分だ。私たちの携帯には位置情報を発信する装置が組み込まれており、私たちの位置は常にシロさんへと送られている。すぐに既読がついたので、今すぐシロさんが───
グサリ。
「……へ?」
左足の太ももに鋭い痛みが走る。刀で刺されたような痛み。思わず膝から崩れ落ちる。
目線を移動させるが、太ももには何も刺さっていない。刺し傷と流れ出る血があるのみ。
まさか、と思って男の方を見ると、倒れたはずの男が立っていた。半身も再生していて、封印術も解けている。
いや、それ以前に。何故シロさんがまだ来ていない?
疑問が尽きない。けれど、わかったこともある。
まず、こいつに封印術はもう効かない。2度も隙を作らせてくれるほど甘い相手ではないからだ。
殺神煉夜は効くが一瞬で再生される。
そして何より厄介なのは、太ももにできた傷を霊術で治せないということ。
まずい。策がない。策は思いつくけれど、こいつ相手に通用するものがない。
ぐるぐると思考を巡らせていると、男が恍惚とした顔を浮かべていることに気が付いた。
「僕は貴様を見縊っていたようだ。一瞬封印されてしまった。こんな感覚は久方ぶりだな……ああそれと、今この場に空間転移しようとしていた者がいたから妨害させてもらった。貴様に逃げ場はないぞ」
「………そのようですね。私にできることは、シロさんが妨害を乗り越え、転移してきてくれることを信じて一秒でも長く生き残るぐらいです」
刀で上手く袖を切って包帯のようにし、怪我をしている太ももに巻く。痛みに気が付かないふりをしながらゆっくり立ち上がる。
「僕の刀は頭で思い描くだけで相手を傷付けることができる。だが相手に隙がなければ狙った場所からズレる………僕は確かに心臓を狙ったのだがな。その上太い血管も避けている」
なるほど。わざと急所を外したのではなかった、と。ならば時間稼ぎはできそうだ。
「………」
雑念を追い払い、男に斬り掛かる。
千秋が沈んでいる血溜まりに小さな波紋ができたことには、誰も気付かなかった。