22話 歩いていこう
─side 彩月─
わたしの最初の記憶は、セツナという女だった。
セツナは言った。
「貴方はわたしのお人形。美波を、青目の少女を見つけてね」
わたしは美波なんてどうでもよかった。だって会ったことなんてないから。セツナの記憶は色褪せていて、断片的だ。
確かに美波は魔性だ。でも、わたしはあまり惹かれなかった。
だけど、わたしに拒否権なんてなかった。
最初は掟破りの妖怪を狩りながら旅をしていただけだった。美波の顔はセツナの記憶で知っていた。
2ヶ月ほど経ってからだろうか。時折セツナに体を乗っ取られるようになった。
セツナに乗っ取られている最中のわたしは精神世界で眠らされていた。
数百年経ったあと、セツナが勝手に世界改正軍という組織に加入した。「出世しといてね」とわたしに言ってきた。
改正軍に7つの軍があるのは、協調性がなかったからだ。
当時のわたしはセツナの横暴さに苛々していて、命じられるままに暴れていた。そしてあっという間に大将まで登り詰めた。大将の上には元帥という最高司令官がいるが、当時は殆どわたしが指示を出していた。
改正軍が大きくなっていき、7つの『隊』ができた。だが、その7つの隊は協調性がなかった。それはもうびっくりする程なかった。
結局改正軍直属の『隊』ではなく、それぞれ独立した『軍』になった。分かりやすく言えば業務提携のようなものだ。
『世界を改正する』という共通の目標のもと、協力はしているが、基本的には好き勝手に活動している。7つの軍の基地もバラバラだ。
目標が同じだから、基本的に他組織からは『世界改正軍』と一括りにされているが、正直全ての軍が同時に協力することなんてないので、協力関係にあるだけで仲間とは言えない。
話が大幅に逸れてしまったが、遊撃軍の大将として仕事をしつつ、セツナに乗っ取られる日々を過ごしていた。
ずっとやられっぱなしは嫌だったから、意地で抵抗していたら、セツナの反感を買った。それが大体170年前。それ以来ずっと精神世界に閉じ込められ、ただただセツナの行動を傍観させられていた。
セツナの行動が目に余るので、無理矢理主導権を奪った。170年も掛かるとは思わなかったけど。
「──それでシロにセツナとの縁を切られて、美波と精神世界で会話して、今に至る」
目の前には美波を含む十六夜の面々。美波は十六夜に着いてすぐに目覚めた。今はわたしの過去を洗いざらい話していたところだ。
「通りで、俺が知ってる彩月と違うわけだ」
興味深そうにわたしを観察しながらそう言うレイ。
「その…レイは隠してないの?」
「全く。聞かれてないから言ってないだけだ」
レイは堂々とそう言い放つが、アカネという少女と美波は話の内容を理解していないのか、首を傾げている。
店長の星川唯と副店長の紫白愛は事情を知っているのか特に何も反応していない。
「俺は元々情報軍、探究軍、製造軍の兼任大将をやってたんだ。10年前に辞めたがな」
アカネと美波が驚いた顔をして声を上げる。
「うっそぉ!?改正軍にいたこともびっくりだけど、3つの組織の長を掛け持ちしてたの!?」
「それぞれの本拠地は別々なのでしょう?どうしてそんな面倒なことをしていたのですか?」
「その3つの軍の大将が碌なやつじゃなかったからな」
レイが兼任大将になる前の大将たちは性格の悪い凡人だった。傲慢だが実力が伴っていなかった。詳しいことはわからないが、レイは前任を徹底的に潰していたということだけは知っている。セツナの目を通じて見ていた。
それにしても、今のレイはわたしが見ていた記憶とはかけ離れている。雰囲気と表情が随分と柔らかい。わたしに対しても優しい気がする。
不思議に思ってじー、とレイを観察していると、わたしの視線に気づいたレイがわたしの頭を優しく撫でる。
「俺が大将だったときに冷たかったのは俺が荒れてたのと、お前を乗っ取ってたセツナの考え方が気に食わなかったからだ。お前のことは知らないが、少なくとも俺が嫌いなタイプじゃない。なら冷たくする理由なんざねぇよ」
思わず顔が熱くなる。レイの手を払い除けようかとも思ったが、怪我をさせてしまうかもしれない。行き場のなくなった手を空中でわたわたさせていると、全員が微笑ましそうな表情でわたしを見ていることに気づく。
「はいはい、そこまでよ〜。続きを話しましょ〜?」
パン!と星川唯が手を叩いて話を戻す。
「それで〜、美波ちゃんのことは知られているのかしら〜?」
「少なくとも表沙汰にはなってないと思う。流石に大将たちは気づいてると思うけど……気を付けるべきなのは3人、かな」
情報軍大将の去雪は問題ない。勘違いされやすいけど本当に臆病なヒトだし、なんで軍にいるんだってぐらい善人だ。
海戦軍大将の鈴はあんまりわからないけど、少なくとも美波の信者ではない。
陸戦軍大将の萌は勝てない勝負はしない主義だから、美波に喧嘩を売るとは思えない。箍が外れると面倒だけど、美波は萌の琴線に触れはしないだろう。
問題は他の3人だ。
「まず絶対に警戒しないといけないのは、探究軍大将の水刃。美波の狂信者で、美波に付けられた傷をわざと治さずそのままにしてる」
「え、何故ですか?」
思わず口を噤む。理由は勿論知っている。しかし、他人に理解できるようなことではない。言ってしまっても良いものか…
レイも首を傾げている。そう言えば、他人には絶対話さないように、と水刃に釘を刺していたっけ。だからレイも知らないのだろう。
これを話さないと水刃の危険性がいまいち伝わらない。言うしかないな。
「えっと……その…傷を残しておけば美波を感じられるから、らしい……」
沈黙。というか、全員引いている。
水刃は掟を破ってはいないが、ギリギリのラインを攻めていた。美波はおそらく半殺しにすることで反省させようとしたのだろう。
確かに悪事を働くことはなくなったそうだが、何故か美波に傾倒するようになった。しかも、物凄く厄介な方向で。
最初この話を聞いた時、思わず元帥に泣きつきそうになった。世界はわたしが思っているよりもずっと広いのだと思い知らされた。
「……それで、二人目は?」
美波は頭を抱えながら、掠れそうな声を出した。美波としては短時間とは言えど敵対していた相手から執着されているのだ。良い気分ではないだろう。
「2人目……というか、残りの2人は空戦軍大将の酩と製造軍大将の雅藍だね。酩は戦闘狂で、雅藍はスリルを求めてる。酩は強い相手と戦えるなら死んでもいいって思ってる。雅藍は妖怪になる前人間だったんだけど、死ぬ時に特殊な進化を果たしたんだ。本人もよくわかってないみたいなんだけど、実質の不老不死なんだ。そして死んだ時の感覚に囚われてて、危険なことをしてスリルを求めてる。だから美波に絡んでくると思う。酩は正々堂々と戦うだろうけど、雅藍は卑怯で惨忍で倫理観のない手を使ってくる。その時はわたしを呼んで」
今は契約で雅藍を抑えつけているが、力づくで契約を破ってくる確率が高い。その時はわたしが雅藍を殺す。
雅藍は確かに不老不死と言える体質を持っているが、それも完全ではない。脳と内臓を引きずり出せば雅藍は死ぬ。いざって時はわたしが雅藍を血の一滴すら残さず喰ってしまえばいい。
「じゃあ暫く俺が美波と行動するのはどうだ?俺はサポート専門だから美波と相性は良いだろ」
レイの能力はあまり知らない。冷気を操るということは知っているが、それ以外はわからない。
セツナはレイのことが気に入らなかったのか、全く近づこうとしなかったし調べようともしていなかった。だが軍の大将になれたんだ。そこそこの力はあるのだろう。
「う〜ん…でもレイは最終防衛ラインだし……あ!ちぃちゃんを暫く雇うのはどお〜?」
「千秋か。あいつなら信用できる。自己肯定感が低いのが玉に瑕だが…」
千秋、という人物は知らないが、この2人がそこまで言うのなら信用はできるのだろう。だがあの3人は一筋縄ではいかない。
「その千秋はどのぐらい強いの?あの3人は物凄く強いし厄介だよ」
酩は武器や能力の性質が厄介だ。雅藍は性格が面倒だし、水刃は何もかもが面倒臭い。
私は全て完封できるが、そこら辺の人間や妖怪では対処しきれないだろう。
レイ、星川唯、紫白愛は少し引き攣った顔をする。
「う〜ん…ちぃちゃんはものすっごく強いのよ〜?それこそうちや愛を飛び越えて美波ちゃんに並ぶくらい……でもあまりにも強さに貪欲過ぎて…」
「無意識に自分の力を制限しているんだ。10年以上前に対面した『壁』を悠に越えているのに、それに気づいていない。そして自分の力を制限していることにも全く気づかず、自分を弱いと思い込んでいる」
「そもそもあいつと対峙したら動けない奴が多いってのになんで自分の強さに気づけねぇんだろうな…」
んん?よくわからないが、美波と同等の強さを持っているということか。それなら安心だが、寧ろその千秋とやらが狙われそうだ。
「取り敢えず!今からちぃちゃんに連絡するわね〜。彩月ちゃんはどうするの〜?」
星川唯が端末を取り出し、わたしに聞いてくる。
「わたしは軍に戻るよ。170年も乗っ取られてたから、事情説明からしないと」
「じゃあね〜」
「またな」
「気をつけろよ」
「無理はしないでくださいね」
「今度着せ替え人形にしたいから遊びに来てちょうだいね」
最後のことは聞かなかったことにして店を出る。
すると、セツナが拾ってきた副官のルナが店の前に立っていた。
第一の関門だ。精神世界に閉じ込められている間は寝ている時が多かった。だからルナのことをあまり知らない。感情が無に等しいということだけはわかっているが、セツナは放任主義だったからどんなことをするのか想像もつかない。
どう切り出そうか悩んでいると、ルナが口を開いた。
「話はなんとなく知ってる。俺が見てきた彩月は偽物なんだろ」
思っていたよりも低い声が耳に入って少し驚く。
容姿は中性的だが、よく見ると喉仏が見えている。声も低いからちゃんと男だ。無表情で眉も動かない。
「……そうだよ。これから基地に戻って説明をするつもり」
「皆知ってる。もう少し元に戻るのが遅かったら偽物抹殺計画が始動してた。古参は物凄く心配してるから早く帰ってこいって言ってた」
その言葉に面食らってしまう。それと同時に、どこか嬉しくなる。所詮わたしはセツナにとっての都合の良い操り人形でしかなく、いつかは斬り捨てられ、虚無に沈むだけの存在だったから。
しかしセツナとの縁は既に切られ、蝕まれることはなくなった。
これからはセツナのことなんて気にせず、自分だけの大切なものを見つけても良いのかもしれない。
視界がぼやけ、頬が湿る。地面に雫が落ち、右腕を覆う手袋が少し濡れる。
目が熱い。ああ、そうか。泣いているんだ、わたし。
「…帰ろう。俺は慰め方を知らない。お前がどんな感情なのかわからない」
ルナの表情は変わっていないはずなのに、どこか気落ちしているような雰囲気だ。もしかしたら、感情が物凄く希薄なだけで、優しい人なのかもしれない。その過去が、血に塗れていたとしても。
「……うん。帰ろう」
わたしの体は幼児のように小さくて、ルナの体は大きい。ルナは何も言わず大きな手を差し出してくる。わたしはルナの大きな手に小さな手を重ねた。
そっか。わたしは人間じゃないけど、人間らしく生きてもいいんだ。
なら、進んでいこう。セツナに奪われ、抉られた穴を埋めるように。
だって、わたしは『わたし』だから。もう、セツナじゃない。