21話 真相
泣き声が、聞こえる。小さな子どもの泣き声だ。
「どうして、どうしてわたしはふかんぜんなの?」
聞いたことのある声だった。
少女が口にした名前は聞き取れない。空白だったから。
「お前はいいよね。存在を認めてくれた人がいて。わたしにはいないのに」
私ではない誰かに向けた言葉。その言葉には、強い憎しみが込められていた。
「わたしは死にたいと思っても死ねない。わたしは自由に生きられない。わたしは誰かを想うことすらできない。お前がわたしをそうしたから」
「お前は私利私欲でわたしをつくった。誰のためにもならないのに。お前の『大切』が傷つくことになるのに」
「お前は傲慢で、強欲で、それでいて怠惰だ。自己中心的だ。己を顧みない。他者を鑑みない。だからお前の『大切』はお前を見ない」
「お前も、その仲間たちも愚かだ。優しさを履き違えている。崇拝は優しさじゃない。自己犠牲は誰のためにもならない。だから気付けなかった。お前たちが『大切』を狂わせていることに」
「色褪せた断片を見ることしかできないわたしでもそれがわかるのに、お前たちは見て見ぬふりをした。だからお前たちの『大切』はお前たちの手から離れ、お前たちを見なくなった。他者のもとへ行き、戻ろうとはしない」
「全てお前たちの自業自得だというのに、また犠牲者を増やすのか。わたしだけでは飽き足らず、お前たちの『大切』までも傷つけて。お前たちは、一体何がしたい」
「世界中の誰もが、お前の『大切』さえもが、もう二度とお前を愛さない。お前がわたしを愛さないように。わたしがお前を愛せないように」
「わかっているだろう。お前はもう、全ての敵だ」
少女は、随分と大人びた口調で、諭すように誰かを責めていた。
その顔は見えず、見えるのは後ろ姿だけ。
幼子としか思えない小さな体。
青色の軍服。
多色の差し色が入った黒髪。
右腕を覆う、青色の手袋。
会ったことなどないはずなのに、どこか既視感を覚えた。
少女はゆっくりと振り向く。
「…!?」
その顔には、見覚えがあった。けれど、どうしてか、本人とは思えない。あの子と瓜二つなのに、別人のように思える。
少女は少し驚いた顔をして、涙を流している目を、様々な色が入り混じった瞳を、ゆっくりと細めた。
「……ごめんね、お前を傷つけて。『取り戻す』のがもう少し早かったら、お前に後遺症は残らず、すぐに目覚めていたのに」
直前の記憶は曖昧だ。それでも、途方もない悪夢を見ていたことは覚えている。
「……あなたは、誰ですか?」
「…………わたしは彩月。遊撃軍大将。……でも、そんなことが聞きたいんじゃないんでしょ?」
「…ええ、まあ」
少女は少し俯いた後、手袋を外した。
そして顕になったのは、血とは違う禍々しい『赤』に染まった右腕だった。
「わたしは、『セツナ』が切り落とし、無理矢理魂を埋め込んだ『セツナ』の断片。わかりやすく言えば、『セツナ』の人形。この体は確かにわたしのものだけど、時折『セツナ』に体を奪われる。その全てが、お前に関わる時」
セツナ。それは、私の親友だ。
当時名もなき少女だったセツナを助け、名を与えた。セツナは自ら望んで私の隣に立った。
そして、セツナは私と出会う前から、妖怪の血肉を取り込み、その呪いを身に宿していた。
本来、人間が妖怪の血肉を口にしたとて何かが起こるわけではない。しかし、数多の妖怪を喰らい続ければ、妖怪の負の感情が体に溜まり、ヒトではなくなる。
最悪の場合、怨鬼になってしまう。
けれども、セツナは怨鬼になることはなかった。その理由を知ることはなかったが。
「………セツナは、生きているのですか?」
あれから千二百年もの時が経っている。普通なら、生きていることも、私を覚えていることもあり得ない。
長い時を生きれば生きる程記憶は薄れ、自我を保てなくなる。妖怪の血肉を喰らい続けているのなら、尚更。
「生きてるよ。どこにいるかはわからないけど。……セツナは元からおかしかった。『愛』というものに貪欲だった。セツナに親と呼べるものはいなかったから。小さな村の孤児だったセツナは、虫や小動物を喰らうことで日々生きていた。そんな中、お前に出会った」
初めて会った時、セツナは妖怪を喰らっていた。
強い妖怪だった。訓練をしていない人間の子どもが勝てるような妖怪ではなかった。それなのに、セツナはその妖怪を容易く仕留め、剰えその血肉を貪っていた。
服とは言えない汚れた布を身に纏い、髪はぼさぼさで、乱雑に切られた跡も見えた。
妖怪の血で濡れた口元と手は、刀を持った私を見ても、妖怪の肉を口に運び咀嚼することを止めなかった。
セツナに手を差し伸べたのは、幼少期の自分を思い出してしまったからだろう。私は妖怪の血肉を口にしたことなどないが、師匠に出会う前の私は孤独でぼろぼろだったから。
「そうしてセツナは『愛』を知った。お前を愛すようになった。でも、日が経つごとにそれでは満足できなくなった」
「お前がセツナを愛していたことを、セツナもわかっていた。セツナは愛すことも愛されることも得意だった。だが、お前はどちらも苦手だった。下手だった。セツナも、それをわかっていた」
「それでもセツナはお前を愛していた。その感情は酷く濁っていて、既に恋や愛などという綺麗な感情ではなくなっていた」
「お前が感情を抑え込むようになってから、セツナは気がついてしまった。お前の心には、既に誰かが住んでいると。その『誰か』の影響は、セツナがお前に与える影響よりも大きいと」
「セツナは許せなかった。我慢できなくなった。自分だけを見て欲しかった。そして、お前が死んだ」
「セツナはその事実を受け止めきれなかった。お前やセツナがいた組織は解体され、セツナは各地を流浪した。しかし、セツナの体は限界だった。身も心も怨鬼になりかけていた」
「だから都合の良い傀儡をつくった。わたしは基本的に自由行動をしているけれど、セツナは時折わたしの体を乗っ取っては好き勝手に行動している。最初は成すすべもなかったけど、最近はなんとか抗えるようになった」
「セツナはそれをよしとしなかった。セツナの怒りを買ったわたしは、この精神世界に閉じ込められた」
「ちょっとずつ精神世界に穴を開けて、セツナを引っ張ってたんだけど…」
彩月は少し暗い顔をする。
セツナのことは、正直に言ってまだ何も言えない。頭がぐちゃぐちゃで、整理する時間が欲しい。
彩月はセツナと瓜二つの容姿だけど、性格は全然違うようだ。
「……確かに、セツナのやり方は気に食わない。でも、あなたを責めたりはしませんよ。教えてくださり、ありがとうございます。あの、ここでの会話はセツナに聞かれていないのですか…?」
「大丈夫。セツナは今、し、しろ?っていう、お前の仲間に気絶させられてるから。それとわたしとセツナの繋がりを切ってくれた。今度、お礼しにいくね」
「ですが、立場的に大丈夫なのですか?」
「わたしは長のひとり。それに十六夜や協会とは敵対してないから。………そろそろ出ないとだね」
その言葉の後、思考が覚束なくなる。
「それと後遺症についてだけど、これからひとの感情が色でわかるようになると思う。でもコツを掴めばオンとオフを切り替えられるから、無理しない程度に練習してね」
◇◇◇◇◇◇◇
─side シロ─
「っ、はぁ……ごめん、取り乱した。術についてだけど、術者が作った夢に閉じ込めるものだ。ちょっと待ってて、今解けるか試してみるから」
涙を拭い、表情を取り繕った彩月は、先ほどまでとは全く雰囲気が違った。違うどころか、真逆と言っても良い。
「…キミは、本当に彩月かい?」
「本当だよ。さっきまでがニセモノ。信じなくてもいいけど、主導権維持しながら術に干渉するって結構難しいから邪魔はしないで」
そう言って目を瞑る彩月。
じっ、と彩月の『中』を見る。すると、彩月の『中』で2つの魂がせめぎ合っている。『外』に追いやられそうなのが彩月の言うニセモノなのだろう。
仕方がない。
「少しじっとしていてね」
彩月の『中』にいるもう一つの魂をそっと掬い上げ、ついでに余分な縁を切り、霊力で膜を作って保護する。が、諦めたのか魂がボクの手の中から消えた。元の肉体に帰ったのだろう。
彩月はマヌケな顔でボクを見上げている。
「い、いま、なにした、の…?」
「そのセツナ?っていうやつの魂を掬い上げて縁を切っただけだよ。まあ勝手に帰ったから後は知らないけどね。大方、セツナってやつに体を乗っ取られてたとかでしょ?色々と話を聞かせてもらうよ?」
「え、あ、う、うん。………セツナの声がしないの、初めて、かも…」
これは重症かも知れない、と思わず頭を抱えてしまう。
「と、取り敢えず、美波に掛けられた術は解いたから、自然に目覚めると思う」
「なるほどね?念の為一緒に十六夜に来てもらえるかい?」
「え、うっ、うん!!」
彩月は幼子のようにボクに駆け寄ってくる。彩月はきゅ、とボクの服の端っこを握る。
びっくりして振り返ると、彩月は首を傾げる。無意識のようだ。
これは本当に重症だ、とこれから起こるだろう騒ぎに頭を抱えながら店に転移した。