19話 物語と夢物語
─side シロ─
美波ちゃんが神殺しであるということを知ってから四日が経った。最初は少しビックリしたけれど、様々なことに合点がいった。
それにこの店には訳アリな者しかいないから、正直すぐに慣れた。ボクだって訳アリの自覚ぐらいはある。
美波ちゃんは少し気まずそうにしていたが、そんなこと気にせずいつも通りに接していた。
他人の気持ちをどうこうできるわけがないし、気持ちを推し量るのでさえ至難の業だ。本人が勝手に立ち直るのを待てば良い。
美波ちゃんと店長以外は既に店にいて、それぞれ仕事をこなしていた。
ふたりとも遅いね、なんて話していると、店の扉が大きな音を立てて開かれる。
扉から入ってきたのは店長で、かなり焦った顔をしていた。息も上がっている。
「美波が拐われた!」
ガタン!
レイとアカネちゃんが椅子から立ち上がる。勢いよく立ち上がったせいで、椅子が倒れてしまった。
「さっき用事があって家に行ったけど靴と服があるのに美波だけいなかった!布団もぐちゃぐちゃのままだし霊力の痕跡もあった!」
いつもの口調も消え、息継ぎもせず捲し立てる店長。
ボク以外の四人はかなり混乱していたけれど、ボクはどこか冷静だった。ボク自身、拐われたことが何回かあるからなのかまでは、流石にわからないけれど。
ただ、誰が美波ちゃんを拐ったかはわからない。候補が多すぎるせいで絞りきれないのだ。個人でやったのか、集団でやったのかもわからない。
そもそもの話、敵の可能性もあれば、美波ちゃんの信奉者の可能性もある。
まあ、霊力の痕跡を追えば自ずと犯人に辿り着く。すぐに犯人がわかるだろう。
「じゃあまずは美波ちゃんの家に──」
「……いや、その必要はない」
ボクの言葉を遮ったのはレイだった。レイは柄にもなく暗い顔をして俯いている。
「犯人は『悪姫』だ。あいつ以外に考えられない」
まるで『悪姫』のことを深く知っているかのように、確定した言い方をするレイ。その目に光は灯っておらず、氷のように冷たかった。
レイが十六夜に入る前に何をしていたかは知らない。店長と副店長でさえ、元の職業しか知らないと言う。
だが今の言葉でなんとなくわかった。レイは元々改正軍にいたのだろう。そうでなくとも、『悪姫』と近い仲であったのは確かだ。
「……じゃあ仮に、『悪姫』が美波ちゃんを拐ったとして、その理由は?」
「………『悪姫』は、美波に執着している。矛盾した考えを抱くほどに。……良くて監禁だろうな」
良くて監禁。つまり早く見つけないと手遅れになるということか。
「で、どこにいるか心当たりはあるのかい?」
「ある。………だが俺たちが行っても焼け石に水だろう。…シロ、頼んだ」
そう言って地図を渡してくるレイに、思わず目を見開いてしまう。
焼け石に水だというなら、ボクが行っても無駄ではないか?そもそも何故ボクなんだ?『悪姫』と知り合いであるレイの方が、助けられる確率は高いのでは?
「全員で殴り込むのは駄目なの?」
「駄目だ。全員で行けば返り討ちにされる。あいつの能力も鑑みれば、シロがひとりで行くのが一番安全だ」
レイの言葉の意味がわからず首を傾げる三人。レイは、真っ直ぐにボクを見据えている。泣きたくなる程、綺麗な天色の瞳。
──ああ、気づかれている。
誰も知らないボクの秘密に、この子は気づいてしまっている。その上で静観している。
動揺しているのを気取らせないように少し息を吐き、覚悟を決める。
「……わかった。行ってくるよ」
地図を広げ、位置を確認する。美波がいるだろう場所に赤色でマークが入っていて、書き込みまでされている。レイは一体どこまで先を読んでいるのか。
「なんか私たち完全に空気だったわね」
「正直美波が暴れていないかどうかも心配する点だと思うんだが」
「それもそうね〜」
いつも通りのくだらない掛け合いをする三人。だが、その目は笑っていない。『いつものおふざけ』をすることで、なんとか激情を抑えているようだ。
その様子に、少し笑ってしまう。ボクたちに湿っぽいのは似合わない。
地図を綺麗に畳み、ポケットに入れる。
「それじゃあ、囚われのお姫サマを迎えに行ってくるよ」
ひらひらと手を振って、転移する。いつも通りの日常に戻すために、大切な仲間を取り戻す。
なんだか、物語みたいだ。
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─side □□□─
シロがあの場所に転移したのを確認し、ほっ、と息を吐く。あくまで心の中で、だけど。
私の一挙手一投足、果ては足音までも今後に大きく関わってくる。去雪と同じように、私も常に気が抜けない。まあ、その理由は全く違うけども。
彩月は今頃錯乱しているだろう。思った通りに事が進まなかった上に、『闇』を知ってしまったのだから。
でもまあ、半分以上は自業自得だ。境遇がかなり特殊だとは言え、彼女の行動は彼女自身で決めたこと。責任は取らないと。
「何もしないのだな」
聞き慣れた低音が耳に入る。
ゆっくり後ろを振り向くと、中華風にアレンジされた青色の軍服を来た黒髪黒目の青年、酩が立っていた。
今の私の身長は181cmと高身長の部類なのだが、酩はなんと189cm。私は椅子に座っているので必然的に酩を見上げることになる。
何が言いたいのかというと、首が痛いのだ。あと数cmぐらい縮んでくれないだろうか。
「…貴様またおかしなことを考えているだろう」
酩は無駄に綺麗な顔を顰める。こいつはスイッチが入らなければまともなのになあ、なんて思ったけど、まともだったらこんなところにいるわけないか、と思い直す。
「なに、少し首が痛いと思っただけよ。少しは老体を労ってほしいものだ」
今や聞き慣れた声が自分の喉から出てくる。最初は毎回びっくりしてたけど、意外とすぐに違和感がなくなった。
酩は顰めっ面のまま腕を組む。
「…このまま彩月を放置する気か?」
「ああ。問題はない」
「問題しかない」
酩は少し苛立っているようだ。酩は神殺しの信者ってわけじゃないし、そもそも神殺しが復活しているのも今知った。極一部の者を除けば、去雪の情報統制は完璧だ。
だけど、彩月は神殺しの復活にいち早く気づき、慎重に『準備』を進めてきた。彩月のことだから、神殺し専用のレーダーのようなものが標準装備されているに違いない。
今助けても彩月は諦めないだろうし、もっと面倒なことになる。下手すれば神殺しが後戻りできないところまで行ってしまう。
私たちは放置するのが最善策だ。
「儂とて鬼畜ではない。しかし苦しみや犠牲なくして勝利は得られぬ」
我ながら残酷だとは思う。でも、夢物語が現実になることはない。
「神殺しにはひとつの試練として、割り切ってもらわねばならん」
私が知っていることは数少ない。その少ない情報だけでも、美波が過酷すぎる人生を歩んでいることがわかってしまった。
追い打ちを掛けることになるのは重々承知だ。けれどご都合主義なんてものは現実に無いし、綺麗事は無責任で、何よりも残酷だ。
夢であれと、嘘であれと願ってしまうような光景こそが現実だ。
酩は少し俯き、拳を握り締める。私が酩を見上げているので、嫌でもその顔は見えてしまう。
怒っているような、やるせないような、そんな顔をしていた。
「……僕には、あの女の考えがわからん。大切に思うのなら、何故傷付けるような真似をする…?大切なものは傷付けぬように守るのが当たり前ではなかったのか…?」
「………」
酩は特殊な妖怪だ。愛情や劣情という感情が極端に薄い。それ故、『大切』というものがわからない。
私はゆっくりと立ち上がり、酩に背を向ける。彼の顔を見ないように。私の顔を、見られないように。
「薬や酒を過剰に摂取すれば毒となる。愛もそれと同じだ。強すぎる愛はいずれ歪み、厄介な呪いになる。放置すれば毒は進み、身を滅ぼすだろう」
「だがな、何が薬になるかはわからぬものよ」
酩の返答を聞かずに歩き出す。
案外、思いも寄らないものが毒を癒すこともある。『治らない』と決めつけて諦めるのは早計だ。まあ、本人がそれでいいのなら何も言わないが。
彩月も元は被害者だったが、自分から望んで加害者となった。『愛』は誰もが望む甘美なものだけれど、それと同時に、誰もが恐れる『呪い』でもある。彩月はそれを知らなかった。
『知らなかった』で済まされるほど甘い世界はない。
「無知は罪。それが変えられない理のひとつなのだから」