15話 それは誰のため?
自分の手が、凄く冷たい。
アカネさんは、一体何と言うのだろうか。私には、他人の感情がわからない。他人がどんな感情を抱くのかわからない。
怖くて、目を瞑る。
がさ。
植物が揺れる音と共に、四つの気配を感じた。
音がした方を向くと、唯さん、愛さん、レイさん、シロさんが気まずそうな顔で立っていた。
「……っ!?」
まずい、聞かれてしまった。怖い。それはどういう感情なんだ。失望?失望されてしまった?
そうぐるぐると考えていると、何かに気づいたシロさんが私の目を両手で覆う。それと同時にずっとアカネさんに握られていた右手が解放される。
なんだか血相を変えていたように思う。
「キミ、キミねぇ!取り敢えずそのとんでもなく怖い顔をやめてくれないかな!?美波ちゃんに見せられないぐらい怖い顔になってるよ!?」
「……へ?」
想像していた言葉とは全く違う言葉が耳に入ってくる。
アカネさんのことを言っているのだろうか?私に見せられない?どういうことだ。
「あら〜……」
唯さんの困惑しきった声が聞こえる。本当に何もわからない。どういうことだ。
「気持ちはわかる。わかるが取り敢えずそのプラスドライバーを仕舞え!!てかどっから出したんだよ!?」
ぷらすどらいばぁ。確か頭が十字型になっている螺子を回すための工具だったはずだ。どうしてその名前が今出てくるんだ?
シロさんの手を解こうとするが、シロさんが制止の声を出す。
「ダメ。美波ちゃん、今あの子を見ちゃダメだよ。すっっっごい顔してるから。規制入るレベルだから」
「いやあ〜……ほんっと〜にすっごい顔してるわね〜……ほぼ初対面だけれど〜…すっごく怒ってるのが伝わってくるわ〜……」
「え?怒ってる?」
どういうことなのだろうか。というか規制が入る表情ってどんな顔だ?
これは聞いても大丈夫なのだろうか。
「怒ってるわよ!なんなのそいつら!?勝手に崇拝してるくせに勝手に命捨てて!しかも美波のこと全然見てないじゃない!ばっっかじゃないの!?全力でぶん殴ってやる!!」
「だからドライバーを出すな!!」
「そもそもなんでプラスドライバーなんだい…?」
「先が尖ってるから刺突もできるし本体の部分を持てば殴打もできる。しかも簡単に手に入るのよ?これでも一ヶ月ぐらい前までは人間だったんだから!」
「うちには理解できない領域だわ〜」
「目が遠くなってるぞ」
「お前もな。武器は今度俺が造ってやるからドライバーを降ろせ!おいこら素振りするな!」
「素振りはじめました!」
「そんな冷やし中華始めましたみたいに言わないでくれないかな!?」
思わず恐怖も緊張も霧散してしまう。そう言えば、こういう人たちだったな。
真面目な話も、気まずい雰囲気も、誰かの一言で楽しくてくだらない話になる。ひとり増えたんだから尚更。
『昔』とは全然違う。皆対等なんだ。私が一方的に崇拝されている訳じゃない。
刀を鞘に納める。
「…取り敢えず、一度戻りましょうか。天月家がどうなっているか気になりますし」
シロさんの手が私の顔を離れ、ようやく視界が晴れる。
五人は驚愕した表情で私を見て、そして微笑んだ。
私は、ここにいていいんだ。
◇◇◇◇◇◇◇
六人が去っていく様子を眺めている者が一人いた。
顔を完全に覆うガスマスク。
フード付きの黒いノースリーブパーカー。
黒色のショートパンツに黒色のタイツ、黒色のスニーカー。
肩まですっぽり覆った黒色の手袋。
黒色に身を包んだ者の正体は、世界改正軍の情報軍大将、去雪であった。
去雪は謎に包まれた存在であり、性別すらもわからない。
首すらもガスマスクやらパーカーやらで遮られているため視認できず、ガスマスクに付いている変声機で声も変えている。このような怪しすぎる恰好をしているのは、自分の正体を知られないようにするため。
去雪にとってはあらゆるものが情報の源であり、自分の容姿もそれに含まれている。
わかっているのは、去雪が『臆病』であること。それすらも本人の自己申告であり、真実かどうかはわかっていない。
だが去雪の態度は全て『演技』だと確信している者が大半であり、去雪の自己申告を本当に信じている者は殆どいない。
なぜなら、去雪は仕事になると『臆病』な性格が鳴りを潜め、他の軍の大将を手玉に取ることすらあるからだ。
故に臆病な性格はカモフラージュであると思われている。
しかし、本当は仕事時の態度こそが演技であり、臆病な性格は本当なのである。
去雪がガスマスクをしているのは顔をすっぽり覆って表情を見られないようにするため。仮面は息ができなくなった為、変声機や他の機能も付けることを考えてガスマスクにしているのだ。今は抵抗がなくなっているが最初は涙目になりながら被っていた。
去雪は臆病でもあり、極度の怖がりだった。仕事時も大体心の中はかなり荒ぶっている。勿論、今も。
(びっくりしたぁぁぁぁぁ!!もう嫌だなんでピンポイントでここに来るのぉ!?天月家にいったばかりだったはずなのに足速すぎだよ!バレなくてよかったけどもしかしたら泳がされてるだけ!?見た目は中学生みたいなのに!あんなに淡々としてるせいで何考えてるかぜんっぜんわかんないよぉぉぉ!)
ガスマスクで表情を隠されているため、去雪の荒ぶりようを知ることはできない。本人はよく「怖い」「帰りたい」と口にすることがあるが、絶対に曲解される。大将たちに関しては、去雪が口を開く度に「何か企んでいる」と思う程だ。
去雪には仕事時の演技の参考相手がいるのだが、その相手を忠実に再現したために現在進行系でこの悲劇が起こっている。当然去雪は気づいていない。
(もぉぉぉなんであんなに堂々と『神殺し』宣言しちゃうかなぁ!?自分の影響力わかってよ!こんなに早く知れ渡ったらすんごく大変なことになるのに!情報操作する僕の苦労!!口止めと情報規制、それと部下たちが神殺しさんを発見しちゃわないように調整して……あ、でもアルビノさんが認識阻害かけてるから大丈夫かな?いや僕に効いてないから過信するのもやめた方が良いかぁ……)
去雪は元々、妖怪の存在を知らない普通の人間だった。そのため神殺しを信奉していない。しかしその影響力は理解している。美波の情報が広まれば『裏界』は大騒動となる。去雪としてもそれは避けたいところだった。
本来の性格は兎も角、去雪の能力はずば抜けている。裏界どころか、表の世界の全情報すら操れる程。
そのため、美波が復活したことも知っていた。が、上司である元帥にさえそれを報告していない。
さて、どうしてそこまでするのか。臆病で怖がりな去雪が、どうしてそんなに危ない橋を渡ろうとするのか。
それを知るのは本人のみ。
(取り敢えず、証拠隠滅と口止め)
音もなく跳び上がり、近くの木の細い枝に着地して、木と木を移動する。
少し離れた場所で止まり、そこにいた男の背中に回り、男の口を塞ぐ。
「こんにちは。今日は天気が良いですね」
男は美波が殺した女に神殺しを名乗らせていた者だ。そして唯一の目撃者。
男は必死に藻掻くが、男はただの人間で、去雪は妖怪。物理的な力に差があり過ぎるため、振りほどくことはできない。
「心配しないで。傷つけたりしませんよ」
掟に縛られているため人を殺すことはない。まあ縛られていなくとも人を殺すことは殆どあり得ないのだが。
「貴方にはこのことを黙っていて欲しいのですよ。本当にそれだけです。もし誰かに話したら……」
態と言葉を濁し、男の反応を見る。
男は瞳に恐怖を宿し、千切れんばかりに首を縦に振る。
去雪は手を離し、男から数歩離れる。もういいですよ、と言って。
ばたばたと喧しい音を森に響かせながら逃げ帰っていく男の背を眺めながら、去雪は内心で深い溜め息を吐く。
去雪は溜め息を吐くことも独り言を話すこともできない。それすらも情報という弱点になり得るから。
(言い訳考えないと……でも何言っても反感買うよね…!?よしもうその場のノリと勢いに任せていざとなったら逃げようそうしよう!!)
臆病なくせに何も考えず勢いだけでなんとかしようとする悪癖のせいで勘違いが加速していく。それに気づいている者がひとりいるのだが、彼女がそれを指摘することはない。
それが去雪のためになると確信しているから。
◇◇◇◇◇◇◇
─side 美波─
あの後シロさんの転移能力で天月家に戻ったが、柄裂さんがちらちらと様子を伺ってくるだけで特に何もなかった。
まるで何もなかったかのように。
じっ、とシロさんを見つめると。
「ちゃんと了承貰って記憶消したから!当主くんはバラさないだろうからそのままだよ!」
と、とてもいい笑顔で言ってきた。どうしてこのひとがまだ捕まっていないのか不思議だ。了承を得たからと言って記憶を消しても良いという訳でもないはずだが。
いずれ容疑者というだけで地下牢に入れられてしまうのではなかろうか。
そんなことを考えていると、柄裂さんが話しかけてくる。凄く気まずそうな顔をしている。
「あー…ええっと……」
「……別に今まで通りで良いですよ。寧ろ畏まられる方が困ります」
柄裂さんは、あの怨霊を封印した術者、崇行の子孫だ。自分で言うのは途轍もなく嫌なのだが、崇行はかなりの狂信者だ。昔は彼が苦手で、必要がない時は彼を無意識に避けていた。そして都合の良い解釈をされてしまい、結果的に悪化してしまった。
流石に子孫まで影響されているとは思いたくはないが、そもそも妖呪協会は私の信者が多いらしい。柄裂さんはまだましな方だろう。
「……協会の件だが、上の奴らは貴方を反逆者として殺そうと画策している」
敬語になっているが、取り敢えずそれは横に置いておこう。
それにしても反逆者、か。酷い言いようだ。
『神殺し』に対しての否定的な物言いが癪に触ったのだろう。別にそのくらい気にしなくても良いと思う。上の者たちの自己満足に付き合っていられない。
「私だけを狙っているのならどうでもいいですね」
襲ってきた時に撃退すればいい。態々潰しに行くのは面倒だ。
柄裂さんは少し言い淀み、意を決したようにもう一度口を開く。
「……十六夜を潰そうと、している、とも、聞いた」
「ここは穏便に圧倒的暴力で解決しましょう」
「へい美波ちゃん、穏便って言葉の意味を辞書で引いてきてくれるかい?」
「そんな野蛮な事はやめましょう?ここは肉体言語でディベートよ」
「お前も同じこと言ってるぞ」
刀を抜こうとすると、シロさんに全力で押さえられる。アカネさんはレイさんに羽交い締めにされている。
私個人を狙うならば慈悲を与えるが、仲間を傷つけるならば慈悲も容赦も情けも与えない。
どうやって敵を炙り出そうか考えていると、唯さんが手を叩いて仕切り直す。
「取り敢えず〜、4人は十六夜に戻って通常業務とアカネちゃんに業務の説明。うちと愛は協会に問い質してみるわ〜。く!れ!ぐ!れ!も!カチコミなんてしないように〜!」
ぐいぐいと唯さんに背中を押され、結局十六夜に戻って仕事に戻ることになった。「くれぐれも」という所に圧を感じる。
アカネさんは拗ねたような顔をしていたが、渋々といった様子で歩いていった。
ただ、レイさんは少し難しい顔をしていた。私以外は気づいていなかったため、知らないふりをした。