14話 隠された本音、その一部
私は私が嫌いだった。神殺しである自分も嫌いだった。
『神殺し』は世界最強を表す称号。私がいた時代は強い者が正義だった。
『裏界』も作られたばかりで、私たちは『処刑人』という名称ですらなかった。『掟』の仕掛けも全く違った。
妖怪を知らない一般人が、今よりも日常的に死んでいく。妖怪を見たことがない人に妖怪がいると言っても信じられなくて、当時の処刑人たちは日々憔悴していった。
そんな中、私が次々に掟破りの妖怪や、悪しき神どもを始末し、『神殺し』の称号を得た。当時の処刑人たちにとっての希望になってしまった。
私の何がいいのかはわからないが、何故かどんどんと崇拝者が増えていき、私が何をしても栄誉と賞賛がついてきた。
皆が見るのは私の『強さ』で、間違っても『私自身』ではなかった。『私』を見てくれたヒトも沢山いたけれど、全てを肯定されるのは、何故だか苦しかった。
いくら強くたって、全てを守れるわけではない。実際、助けられなかった人たちが沢山いる。その中には大切な仲間も勿論いる。
最高戦力である私を守るために何人もの仲間が散っていった。
しかし、死んでいった仲間の数ではなく、私が殺した敵の数に皆が注目した。
死んでいった仲間の弔う声はすぐに消え、私を称える声ばかりが続いていく。これが当たり前のことかはわからなかったけれど、私は酷く困惑した。
どうして?どうして誰も犠牲にならなかったかのように私を称えるの?沢山の仲間が死んでいったのに、どうして皆忘れてしまうの?
そんなことを聞いたことがある。そして誰もが当たり前かのようにこう言った。
「貴方様が生き残れば犠牲など無いも同然でしょう?死んでいった彼らも、貴方様の役に立てたことを誇りに思っているでしょう。貴方様が憂うことは何もありません」
何を言っているのか、理解できなかった。
どうしてそんなことを言うんだ。それじゃあまるで、彼らに価値なんてないと言っているようなものじゃないか。
どうしようもなく怖かった。言葉にできない恐怖を感じてしまった。
私を庇ってまた仲間が死んでしまうのに耐えられる自信がなくて、死に物狂いで鍛錬して強くなった。
逆に仲間を庇えるように、反射神経も鍛えて、何度も仲間を守った。
それで怪我しても構わなかった。死ななければ、私と同じような恐怖を抱かせることはないと思ったから。
でも、結局はそれも無駄だった。
親友に言われた。
「どうしてそんなに無茶するの!?わたしたちに守らせてよ!!」
仲間に言われた。
「我々は貴方様の為に存在しているのです!我々は貴方様が望むのなら魂さえも捧げましょう!」
後に副官となる男に言われた。
「使える駒が多いんだからさ、ちょっと減っても大丈夫だろ?どうしてそんなに他人を気にかけるんだ?人間はよくわからないね」
ただ、当時の副官だけは、何も言わずに頭を撫でてきた。その副官さえも、私を庇って惨たらしく死んでしまった。
私が、彼らを狂わせてしまったのだろうか。
一体どうすればよかったのか、今でもわからずにいる。いや、正解なんてないことはわかっている。けれど、皆にとっての『正解』が知りたかった。
日が経つごとに感情に飲まれそうになって、本音も感情も、全て心の中に押し込んだ。誰にも流されぬよう、無情と冷酷を心がけた。
それからは少し楽になった。親友には心配されてしまったけれど、それも必要経費だと思った。仲間も、人々も、妖怪たちも、神々も、私の心の変化に気が付かなかった。
頭を撫でてくれた当時の副官が言っていた。「他人を騙すのなら、まずは自分を騙すんだ」と。
だから自分を騙した。私は無情だと。私は大丈夫なのだと。
その副官も既に死んでしまっていたから、誰にもばれなかった。
これが皆に望まれた『神殺し』だった。皆が望むのは『神殺しの美波』であって、『美波』を望んでいるわけではなかった。
そんな簡単なことに気づくのに時間がかかった自分に呆れていた。
『この世界』で美波を望んでいる者など誰もいない。そう考えれば考える程心が軽くなった。
実際、それが揺るぎない事実だったのだ。もう少し早く気づくべきだった。
親友が抱き着いてくる頻度が高くなったのだけが唯一の気掛かりだったけれど、割と上手くやれていたと思う。
守ってきた人々に裏切られるまでは。
◇◇◇◇◇◇◇
「い、命だけは…!」
右腕を斬られ、血塗れになった女が叫ぶ。
『神殺し』を名乗っていたのは神霊教団の者で、協会を掻き乱す為に偽りの神殺しを名乗っていたらしい。
女は全く強くなかった。剣術は少し齧った程度で、霊術に関しては完全に素人だ。あの男がどうして騙されたのかは甚だ疑問だ。考えなくてもわかるだろうに。
この女は捨て駒として使われたのだろうが、私が駆けつけた時は数々の死体を恍惚とした表情で眺めていた。死体鑑賞が趣味のようだったので女を死体にしようとしたら命乞いしてきた。なんて浅ましい。
「何人殺した。嘘を言えば殺す」
猶予ぐらいは与えるべきだろう。だが嘘を言えば殺すし、殺した数によっては猶予を与えずに殺す。昔からやってきたことだ。
しかも他人を使って私の大切な仲間を殺そうとした。それだけでも万死に値する。これでも譲歩してやってる方だ。
女はがたがたと震えたまま、惨めに涙を流している。
「『神殺し』を騙るのは別にどうでもいい。むしろどうぞやってくれ。だがそれを利用して人を傷つけるのは許さない。言え。何人殺した」
「ご、50人からは数えてない……で、でも人間なんてすぐ増えるでしょ!?だったら50人ぐらい誤差の内じゃない!!」
謎の理論で無罪を主張する女に言葉を失う。誤差?人を殺しておいて誤差はないだろう。こいつは本当に何を言っているんだ。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ本当にふざけるな人を殺しておいてその反応はもう駄目だ救いようがない殺すしかない嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ戻りたくないもう誰も殺したくないいや殺さなきゃそう決めたんだ私は神殺しだ人殺しだ人を守るために人を殺すんだ仲間なんていらない一人でいい足手まといにも慰めも支えもいらない一人で頂点に立つんだそう決めたよし殺すか神霊教団を根絶やしにすればいいそうすれば全部丸く収まるのだから。
「死ね」
泣き叫びながら許しを乞う女の首に刀を振る。許す訳が無い。
刀は簡単に女の首を切り裂き、首が呆気なく地面に落ちる。
水を撒いたような音が洞窟に響き渡り、耳障りな叫び声は聞こえなくなる。
鉄にも似た独特な血の臭いが辺りに充満し、女が死んだのだということだけが事実としてその場に残った。
女は人間だった。そして弱かった。龍煉谷はとても広い。洞窟なんていくらでもある。だから見つからないと高を括っていたのだろう。
だが私はこの辺りの地形に詳しい。隠し部屋があるこの洞窟は、昔仲間が作った場所だ。嬉しそうに私に自慢していた。隠し部屋がある洞窟を沢山作っていたが、龍煉谷には一つしかない。その仲間は使いたかったら勝手に使っていいと言っていた。
まあ、罪人の血で染めてしまったけれど。
これからどうしよう。取り敢えずもう神霊教団は潰してしまおう。何度も復活しているようだが、一回潰せば時間は稼げる。その間に情報収集をしよう。
流石に今まで住んでいた家に帰るのは愚策だろう。協会が押し寄せてきそうだ。別の隠し部屋付きの洞窟に荷物を持ってきて住むか。なんだかんだ役に立ちそうで何より。
死体をそのままにして洞窟の外に出る。
あの女が妖怪に転じることはない。人が死後妖怪になるには膨大な負の感情が必要だ。あの女が死ぬ時に感じていたのは恐怖だけ。恐怖では妖怪になれない。
この世界はかなり特殊だ。強い感情によって成長限界が突破し、理論上限界なく強くなれる。
だがその分感情に飲まれやすく、負の感情に飲まれた者は『怨鬼』という化け物になる。怨鬼になったものは理性と自我がなくなり呪いを撒き散らして暴れる。もう二度と人間には戻れない。
私は怨鬼になった仲間を殺したことが何度もある。それでも私は称えられた。私が怨鬼になったら、誰が私を殺すのだろう。私を殺したヒトは、称えられるのだろうか。
私の淀んだ心に反して、空は晴れ渡っている。いっそ憎たらしいほどに。
何も考えずに空を眺めていると、ふと影が落ちる。
後ろを振り向くと、蝶の羽を背中に生やしたアカネさんが立っていた。急いで来たのか息が上がっている。
「あんた…!あしっ…はっやいのよ……!とぶ、のもっ、つかれる…!!」
なら来なければいい。私なんて放っておけばいい。
アカネさんを置いて歩き出すと、刀を持った右手を掴まれる。
「……離してください」
「十六夜に戻るなら離すわ。店長と話をつけてきたの。私ももう十六夜の一員よ。貴方を止める権利があるわ」
だから何だと言うのか。私はもう十六夜に戻れない。戻る気もない。権利があったところで、できるかどうかは別だろう。
「十六夜に戻る気はありません。離してください」
「どうして戻らないの?」
「………言わずともわかるでしょう」
アカネさんが手に力を込める。そこそこの握力があるようで、意外と痛い。
「わっかんないわよ!あんたが何考えてんのか私には全くわからない!!」
いきなり大声を上げるアカネさんに、思わず肩を跳ねてしまう。私が口を開く前に、アカネさんがまた大声を上げる。
「そもそも神殺しだから何!?私はそんなの知らないし興味もないわよ!というかあんたが神殺しっていうことは最初っから気づいてたわ!バレっバレよ!」
「あんたはレイたちの態度が変わるかもとか思ってたんでしょうけど、これっぽっちも変わらないわ!」
真剣な顔だった。瞳に嘘は映っていなかった。
変わらなかったとしても、私はもうあそこにはいられない。いたくない。
「確かに周りの環境は変わるわ!それはどうしようもないし、だからと言って割り切れなんてことは言わない!相談しろなんて無責任なことも言わない!」
茜色の瞳に、涙が滲む。
「でも!せめて大切な人からの心配は受け取りなさいよっ!!」
「いっつも泣きそうな顔してる自覚を持て!!」
頭が殴られたような衝撃だった。
泣きそうな顔?私が?
嘘だ。そんな訳がない。だって。私は。
「……私は、泣いた記憶がありません」
私には師匠がいた。私に生きる価値を与えてくれた、大切な師匠。
師匠は私の目の前で死んでしまった。初めて人が死ぬのを見た。その時でさえ泣かなかった。そんな私が泣きそうな顔をしている?馬鹿言うな。
「………あんた、感情を抑えるのを当たり前にしてるでしょ?それじゃあ泣けないわよ。自分で泣かないようにしてるんだもの。怨鬼にならないようにしてるんでしょうけど、それじゃあ逆効果よ。偶には感情を吐き出すのも必要よ」
脳裏に浮かぶ過去の光景。私の過去の殆どは血に塗れている。
感情を吐き出したところで何も変わらなかった。むしろ悪化してしまった。
もう、あんなことは嫌なんだ。
「…………離してください」
「嫌よ」
「……離せ」
「わあこわあい」
棒読みで態とらしい。私の手を掴む力はかなり強くて、中々振りほどけない。
霊力を込めようにも力加減がわからない。アカネさんの腕を吹き飛ばしてしまうかもしれない。
「……言っておくけれど、私は貴方が思ってるより強いのよ。じゃなきゃ神霊教団相手に暴れられないわ」
「強くても意味がないんですよ。どれだけ強くても死ぬ時は死ぬ」
師匠が死んだ時のように。師匠は今の私より強かった。それでも死んだ。『世界』は理不尽なのだ。どうしようもできないことは必ずある。
皆死んでいく。私も死んでいく。誰も彼もが死んでいく。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
ヒトが死んでいく様を何度も見てきた。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
アカネさんが、悲しそうに微笑む。
「……貴方が異様に好かれる理由を教えてあげるわ」
「貴方が狂っているからよ」
音が消えたように感じた。
狂っている自覚は、確かにあった。というか、あんなことがあれば誰だって狂うだろう。けれど、それと何の関係があるのだろうか。
「貴方は狂っていることを隠して、感情を隠して、無情なフリをしている。でも、狂気が見え隠れしているのよ」
「人も神も妖怪も、隠れてるモノを暴きたくなるものよ。そうでなくても、貴方が隠している狂気に魅了されてしまう。貴方の狂気にあてられてしまう」
「全員が全員そうとは言わないけれど、貴方がこのままだったら、一生同じようなことが起き続けるわよ」
私はこの人のことを何も知らない。この人も私のことを知らないだろう。
慰めも綺麗事ももう聞き飽きた。上辺だけの言葉をたくさん聞いてきた。
けれど、こんなことを言われたことはなかった。
仕方ないじゃないか。そうすることでしか自分を守れなかった。人を殺して得た栄誉も、仲間を犠牲にして得た称号も、血みどろの過去も、ずっと私を苦しめてくる。それらから守るためには隠すしかなかった。無情であることが、一番良いと思ったんだ。
自分でも救われたいのか救われたくないのかわからない。狂っている時間があまりにも長かった。無情を演じていた時間が長かった。麻痺していたんだろう。
どれが私の本心なのかすらも、忘れてしまった。
口を開いて声を出そうとして、何を言えば良いのかわからなくて、はくはくと口だけが動いてしまう。
何から話せばいいのだろう、どう話せばいいのだろう。わからない、わからない。
「………わからない」
「ずっと、辛かった。目の前で大切なひとが何度も死んだ」
「私がひとを殺しても、敵であれば皆褒めてくれた。皆、人殺しは悪だと言っていたのに」
「皆『完璧』な私を求めているように思えた。私は完璧じゃないのに、勝手に『完璧』にされていく。どうしてそうなってしまうのか、わからなかった」
「皆が完璧を求めるなら、そうなろうと思った。それが私の価値だって思ったから。だから感情を押し込めて合理だけで動いた」
感情で動いたら皆が求める『私』ではなくなってしまう。
どれだけ人が死のうとも心を割いてはいけない。そんな時間はない。ただ淡々と敵を殺す。それこそが皆が求める『完璧』だと思ったから。
「でも、どこか怖かった」
「自分でも何が怖いのか、わからなくて」
「でも、それを言って、みんな、が、なんて、言うのか、わから、なくて」
声が震えていく。体から体温が消える感覚がする。まるで今から死んでしまうみたいだ。
「また、私の、ために、し…しんで、しまうんじゃ、ないか、って」
皆私の為に命を投げ捨てていく。私だって大切なひとの為ならば命をも投げ捨てられるだろう。
「わ、たしも、おんなじ、きもち、だから、責め、られな、く、て」
「で、も、ほんと、は」
「わた、しを」
「にんげん、だって、おもって、ほしかった」
私は、ただ強いだけ。死に物狂いで強くなっただけ。
特別な存在なんかじゃない。
頭が揺れる。声が震える。
「っ、私だって!皆のことが大切だったのにっ!それなのにっ…!」
死んでほしくなかった。助けたかった。
それでも、皆死に急いでいった。私の為に。
「どうして誰もが私の為と言って死んでしまうのか…!わからなかった…!」
妖怪を狩る道に進んだことを後悔していた訳じゃない。後悔してしまえば、私の全てを、師匠の教えを、大切な人たちを、否定してしまうことになるから。
けれど、本当にこれで良かったのか、疑問に思うことがある。誰かと一緒にいてもいいのか、わからなくなる。
今でさえ涙なんて出ない。
私は、どうすればよかったのだろうか。