12話 今更な感情
『人殺し!人殺し!人殺し!!』
怨霊はそう罵りながら、その泥のようなカラダから触手のようなものを出し、ひたすら私を攻撃してくる。
「レイさん皆の避難を!」
このままだと怪我人にも当たる。今は捌ききれているが、長期戦になるとこちらが不利だ。せめて一対一に持ち込みたい。
「わかったが一人で大丈夫なのか!?」
「大丈夫です!早く!」
「無理するなよ!」
怨霊を押し出し、少しずつレイさんたちから遠ざける。
動ける人たちは怪我人を支えながら避難し、レイさんは冷気で鎮火しながら先導している。
『この偽善者めがぁぁ!!』
泥が肥大化していく。霊術で燃やしたり凍らせたりしながら、怨霊のカラダを斬り刻む。
苦戦する程ではないが、幾ら斬ってもすぐに再生し肥大化する。決定打を与えられない。
そもそもこいつに『急所』というものは存在しない。封印するか戦意を失くすしか方法はないのだ。
だがどうするか。相手だって封印を警戒しているはずだ。どう考えても封印できる程の隙がない。
『死ね!死ね!死ね!死ねぇ!!』
攻撃は一層激しくなるばかり。
…別に、消滅させる手段が無い訳ではない。私なら容易にこいつを消すことができる。
けれど、それでは意味がない。それをすれば昔の私に逆戻りだ。私が『私』である必要性さえなくなってしまう。
それは、嫌だ。
『死ね!死ね!壊れろ!!全部全部なくなってしまえぇぇぇ!!』
駄目だ。時間が経つほどこいつは強くなる。説得も封印も不可能だ。
どうして?どうしてこうなってしまうの?変わろうとしたのが間違いだった?『私』であろうとしてはいけないの?
どうして?どうして?どうして!?なんで!!
『ぎゃっははははははは!!』
泥が、黒く、暗く、澱む。
いつもそうだ。私には判断の時間さえ与えられない。戦いはすぐに終わりを迎える。良いことだ。
良いこと、なのに。
私は、何を迷っているのだろうか。
感情だけで動くのは愚かだ。現実的に考えれば、今すぐこいつを消すのが最善。そうすれば被害も最小限に抑えられる。何も迷うことはない。
私一人の我儘で大勢を傷つける気か?私一人の感情と大勢の命、どちらに天秤が傾くかなんて考えなくてもわかるだろう。
大丈夫。今までずっとやってきたことだ。
敵に情けをかけない。自分の感情は後回し。それで全て解決する。そうやって解決してきた。
『変わりたい』なんて思うな。非情のままでいろ。冷酷のままでいろ。
刀に霊力を込める。
私が編み出した無双の一撃。何者をも殺す無情の技。
「消え去れ。殺──」
「氷鎖万縛!」
透明な鎖が現れ、怨霊を縛り、地面に縫い付ける。鎖は冷気を放っており、陽の光を反射している。
刀に込めた霊力が霧散し、腕を誰かに掴まれる。
「!?」
「一応はじめましてかしら。昨日貴方を運んだアカネよ。爆発音が聞こえたから来てみたのだけれど、大変だったのねぇ」
「ほんっとにな」
怨霊の後ろから、息が上がった様子のレイさんが歩いてくる。
レイさんが向かったのは反対方向の筈だが、一体どういうことなのだろうか。
「怪我人を避難させた後、こいつが来たんだよ。んで挟み撃ちしようと別れたんだが、お前が暗い顔で刀を振ろうとしてたから、嫌な予感がして咄嗟に縛り付けちまった」
「お陰で私の出番がなくなっちゃったわ」
この鎖はレイさんの術だったのか。息が上がっているのは走ったからだろう。
また、迷惑を掛けてしまった。
『あああああああ離せ離せ離せ離せぇぇぇ!』
怨霊が鎖を解こうと暴れる。が、かなり強固なようで、怨霊がどれだけ暴れようとびくともしない。
「…本来、この鎖に捕まったらすぐに凍って砕けるはずなんだがな」
「えげつない術使うわね…」
『また殺すのか!人殺し!人殺しぃぃ!!殺されるぐらいなら私がお前を殺してやる許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!』
怨嗟の声は止まらない。この怨霊──……いや、この子どもからすれば私は憎悪の対象で、この感情は当たり前のものだ。私がこの子どもを批判することはできない。
「人殺し、ねぇ?この子が理由なく人を殺すなんて思えないけれど」
『でも殺した!私の父さんたちを殺したんだ!私は見たぞ!泣き叫ぶ父さんたちを殺したのを!!それでも殺してないなんて言うのか!?』
「……美波、どういうことか、説明してくれ」
子どもはずっと私を睨んでいる。あの時と同じように。いや、あの時よりも私を恨んでいるのかもしれない。
説明、すべきなのだろう。けれど、知らない方が良い。特に目の前の子どもは。
『さっさと話せよ!まただんまりか!?そうやって逃げ続ければいつか解決すると本当に思っているのか!!』
解決しないさ。そんなこととっくにわかっている。
いい加減、覚悟を決めなければ。
「すぅ…はぁ……」
落ち着け。感情を動かすな。同情なんてするな。同情なんて誰の為にもならないのだから。
「……まず、あなたの出生についてお話します。あなたが知ることのできなかった事実を」
子どもは私を睨んだまま何も言わない。本人も知りたかったようだ。
もう一度、深呼吸する。
そして、告げる。残酷過ぎる現実を。この子どもが辿っていた運命を。
「……神霊教団による生体複合実験と魂魄創造実験にて造られた成功作のひとつ。個体識別番号-九。………それが、あなたです」
『………は?』
「あなたは、妖怪や人を継ぎ接ぎにして模造の魂を植え付けられた存在です。あなたのうみの親は神霊教団の研究者たち。多くの妖怪や人の命を犠牲にして造られた存在を、人を殺すために使用していたので、彼らを罪人として殺害。その後、操られていたとはいえ数多の罪を犯した実験体たちも殺しました」
子どもも、レイさんも、アカネという少女も、驚愕した表情で固まっている。
それが当たり前だ。許されていいことではないから。
今の時代、相手が例え沢山の人間を殺した者であっても、処刑人が自らの意思で人間を殺すことは許されていない。けれど、『昔』はそうではなかった。寧ろ相手が人間を殺したものであれば直ぐ様殺せ、というのが基本的な方針の一つだった。
昔はそれだけ人の命が軽かった。顔見知りが死んだとしても、心の底から悲しむことはできなかった。悲しんでいる間にまた人が死ぬから。
それに、例え死んでも妖怪に転じる場合だってある。敵になる時もあるけれど、そのまま処刑人として活躍する時もある。
必要以上に他人に対して心を痛めるべきではない。それが昔の共通認識だった。
『今』は随分と人の命が大切にされている。喜ばしいことだ。それ故にこういった事に耐性がない。
神霊教団に倫理観や共感性などないと思った方が良い。そんなものがあるのなら、こんな実験をする筈がない。
妖怪たちもこんなことを許さなかった。元々、双方の合意なしの実験は禁じられている。魂魄の創造もだ。それは『世界』の理から外れ過ぎている。
だから私が実験に関わっていた者を全て殺した。
人殺しを正当化したい訳ではない。そもそも、あんな奴等を人間だと思いたくない。
でも人を殺したのは事実。本当は、私の罪を誰かに裁いて欲しかった。
しかし実際に与えられたのは賞賛と栄誉。
戦争と同じだ。戦果を上げれば英雄と称えられる。人殺しと罵られることはない。
『人殺し』と言われて、なんだか心が軽くなってしまった。そうであってはいけないのに。救われたような気がしてしまった。
この子は正真正銘の『子ども』だった。造られたばかりで、精神も幼子から成長できない。真実を伝えたところで信じることができない。理解することさえ難しかっただろう。
「……あなたが怨霊として長い間この世に留まっているのは、本物の魂じゃないからです。本来なら、首を落とした時に模造の魂は消滅していました。おそらくは、研究者たちの負の感情が積もり積もって怨霊へと昇華したのでしょう」
我ながら残酷だ。存在自体が間違いだと言っているのようなものなのだから。
…こういう時、どんな言葉を掛ければいいのかわからない。慰めなんてできない。そんな半端なことをしていい話じゃない。
私たちは敵同士だ。情けなんてかけるべきじゃない。
ぱん、とアカネさんが手を叩く。
「取り敢えず、この子をどうするか決めましょう。ずっとここに縛り付ける訳にもいかないでしょう?」
『……いや、私はこのまま消える』
「………え?」
思わずそう零す。
いや、何を驚いているんだ。敵が自ら消えてくれるんだ。喜ぶべきだろう?それが当たり前だろう。
それなのに。
「……美波、泣きそうな顔してるぞ」
どうしてこんなに、悲しいと思ってしまうのだろう。
一度は殺した相手だ。しかもこの子が人を殺した所を見たんだぞ。少女のような声を上げて、楽しそうに笑いながら、遊んでいるように人を殺していた。
私はこの子の性別だって知らない。声や姿は少女に思えるけれど、顔は縫い目ばっかりで元の原型がない。
このまま消えなかったとしても、協会は死を言い渡す。結局この子は消える。輪廻にも行けず、本当の意味で死ぬことになる。
悲しいなんて思うな。私にその資格はない。何人殺したと思っている。今まで何も思わなかった筈だ。
なんで、今更。
『……もう、疲れた。どうせあそこで死んでいたはずなんだ。完全に割り切れたわけじゃない。……でも、もう誰も恨みたくない…』
「………そう、ですか」
『…ごめんね』
そう言うと、徐々に泥が溶けていく。
やがて蒸発するように消えていき、跡形も残らなかった。まるで、最初から存在しなかったみたいに。きれいさっぱり消えてしまう。
よく見てきた光景だ。妖怪や霊は、死ぬと跡形も残らず消える。例外なんてない。
それなのに、悲しいと思ってしまう。
本当に、今更だ。