10話 正しさとは
雨が降っている。
「うわああああああああああ!!」
子どもが叫んでいる。泣きながら、叫んでいる。
「人殺し!人殺し!人殺し!!」
私の刀は血に染まっていた。妖怪の血ではなく、人間の血。
私は、自分の意思で人を殺した。そうすべきだと判断したから。
間違った判断をしたとは思っていない。殺さなければ災禍は広がり、どうしようもできなくなってしまっていたから。
けれど、この子どもはそれを知らない。それを理解できない。
私が殺したのは、この子どものうみの親。私にとっては敵でも、この子どもにとってはうみの親が全て。私を責めるのは当然だろう。
「なんとか言えよ!この人殺し!!なんで皆が死ななきゃいけないんだよぉ!!」
声を出そうと口を開いて、すぐに閉じる。
真実を伝えたところで、この子どもは受け入れないだろう。なら、言わない方が良い。
どうしようもできなくなってからでは遅い。遅過ぎる。あいつらがしたことは許されて良いことではない。
……この子どもも、殺さなければ。
いつだって例外はあるものだ。例外が一つ起こればそれは『前例』となり、次からは『例外』でなくなる。
けれど、このことに関しては『例外』を作ってはならない。『前例』にしてはいけないのだ。
「あああああ、あ…?」
子どもの首を斬る。子どもの頭が地面に落ち、子どもの叫び声は途絶える。
ぎょろり。
「っ!」
咄嗟に氷の霊術で凍らせ、そのまま砕く。炎よりも安全だと思ったから。
本来ならば的確な判断だった。そう、本来ならば。
「許さぬ!許さぬぞ!!」
どす黒い泥が地面から溢れ、膨らんでいく。
泥を斬り刻むが、止まらぬまま際限なく溢れ、私を呑み込もうとする。
「殺してやる!壊してやる!!お前が死ねぇぇぇぇ!!」
「〈縛〉」
泥が縄のようなモノで縛られ、萎んでいく。
「───様、これの始末はお任せください」
この男は、確か霊術が得意な者だと言っていた。
元々、このことはこの人の管轄だったとか。そんなこと、私には関係ないが。
「…任せました」
「……言わせたままで良かったのですか?」
「………良いんですよ。だって、人を殺したのは事実ですから。この子はただ、真実を知らないだけ」
雨が降っている。
子どもがないている。
正しさなんて、その人の知識と価値観で変わってくるものだ。
私にとってはこれが正しい。それでいいじゃないか。
「……案外、何も思わないものですね」
人を殺しても、子どもを殺しても、人殺しだと罵倒されても、特に何も思わなかった。
何も知らない人は、どちらが正しいと言うのだろうか。
いや、考えなくてもわかる。子どもが正しいと言うだろう。
人殺しは悪。倫理観に基づいた『当たり前』だ。
ならば、人を『造る』のは、善になってしまうのだろうか。
◇◇◇◇◇◇◇
「美波、最近寝れてないのか?」
神殺会合から二週間。あれから驚くほど何の動きもない。
けれど、あの日から『昔』の夢を見る。悪夢のような過去。時系列はばらばらで、場面もばらばら。
朝まで寝れてはいるが、疲れは全くとれていないし、むしろ余計に疲れがたまっている。かなり酷い顔をしているらしい。
「…あまり疲れがとれていないだけです」
下手に嘘を吐くと眠剤を飲ませようとしてくる。お茶にも入れてくるし無理矢理口を開けて捩じ込んでくる。その場合お世辞にも絵面が良いとは言えないのでやめて欲しい。
「アロマも効かなかったか?」
「はい」
唯さんに押し付けられたあろま等も試してみたのだが、ただ良い香りがするというだけで特に効果はなかった。
「どうするか…」
悩むレイさんを横目に、椅子から立ち上がる。
「考えても仕方がないことです。私は調査の依頼があるのでこれで」
「倒れたら眠剤だからな」
「………善処します」
◇◇◇◇◇◇◇
─side レイ─
救護室兼俺の研究部屋にシロが入ってくる。
「レイ、何作ってるんだい?」
「眠剤」
調合の手を止めずに即答すると、ドン引きしたような声が聞こえてくる。
「ええ……いい加減睡眠薬盛るのやめてくれないかな…?と言うか医者が薬を盛らないでおくれよ…」
「仕方がないだろ。きちんと休息をとってるなら文句も言わないし薬だって盛らん」
最近美波の顔色がますます酷くなっている。
どんなに強くたって美波は人間だ。疲労で死ぬなんてこともある。充分な休息を摂らせなければ。
しかし問題は、美波の不調が悪夢から来ているということだ。
リラックス効果のある茶や、心を落ち着かせる薬など、色々なものを支障のないレベルで試してみたが、どれも効果がなかった。医者として見過ごす訳にはいかない。
だが眠剤で寝過ごすぐらい眠らせてしまえば夢を見ないのでは、と思ったのだ。
正直かなり強引ではあるが、これ以上は美波の体が保たない。勿論体に悪影響が出ないように調合しているから問題はない。
調合は終わった。美波が戻ってきたら渡すか、なんて考えていると、勢いよく扉が開けられ、二週間前に聞いた声が響く。
「お届けものよー!」
扉の方を見ると、指輪の時の少女が美波を担いで立っていた。
「美波ちゃん!?…とキミは一体誰だい?」
シロはこの少女を見たことがないから知らないのも当然だろう。
「私はアカネ。取り敢えずこの子をそこのベッドに寝かせるわよ?」
「ああ、頼む」
アカネと名乗った少女は、美波を優しくベッドに寝かせ、丁寧に刀を外し、ベッドの近くに立て掛ける。
「大量の動物に埋もれて倒れてたのよ。顔色が酷かったからここに連れてきたの。知り合いだったのね」
「仲間だからな。……というか、動物に埋もれてた…?」
「なんだいそのメルヘンな光景は」
いや、そういえばよく猫や犬や狐なんかに擦り寄られていたな。『裏界』なので大半が妖怪だろうが、動物に好かれやすいのか?
「じゃあ倒れた美波ちゃんに動物が集まってきたってこと?」
「どっちかと言うと動物に押し倒されたんじゃないかしら。その子を守るように威嚇してきていたし、抵抗したけれどそのまま眠っちゃったんじゃない?」
……容易に想像できてしまった。まあ、アニマルセラピーということで納得するしかないだろう。美波は動物が嫌いという訳ではないし、これで疲れが取れる…なら…
待て。今まで動物が擦り寄ってくることはあっても邪魔をすることはなかった。それなのに今回は明らかに邪魔をしている。
今の美波は誰から見ても酷い状態だ。『裏界』にいる動物はその殆どが妖怪で、普通の動物よりも知能が高い。美波が疲れていることもわかるだろう。
美波を休ませる為であるのは明白だが、たった一人の人間にそこまでするか?動物妖怪には人間を嫌っている者も多い。偶々人間好きが集まったにしては不自然だ。動物に好かれるにしても限度があるだろう。
「はーい熟考は後にしてねー」
シロの言葉によって現実に戻される。一度考え始めるとどうしても止まらなくなってしまう。シロはそれをわかっているから、時折こうして止めてくれる。偶に悪戯をされるが。
「…取り敢えず、ありがとう。それと俺はレイだ」
「シロだよ」
自己紹介しつつ、寝ている美波にブランケットを掛ける。この部屋は俺がいるから基本的に涼しい。暑い日によく避難所代わりにされるのは少し不服だが。
「じゃ、私は帰るわね。教団に指名手配されているから長居はできないわ」
「「…はあ!?」」
突然の爆弾発言に、シロと声が被る。
教団を目の敵にしているのだろうと思っていたが、教団もアカネを危険視していたようだ。一体どれだけ暴れたんだろうか。
驚いて固まっている俺たちを放置して、アカネは店を出ていった。
「……これ、協会に報告した方が良いよね?」
「…まあ、そうだろうな……」
◇◇◇◇◇◇◇
─side アカネ─
店を出て1番に感じたのは、夥しい程の視線と鋭い敵意。
「手を出してはいないから安心なさい」
視認できる場所には誰もいない。けれど、『何か』いる。恐らく、美波という女の子を囲っていた動物たちだろう。
動物たちは私を威嚇していた。でも流石に酷い顔色の人を野ざらしで寝かせる訳にもいかないから、「野ざらしだと風邪引いちゃうわよ」と言ったら渋々威嚇をやめてくれた。
監視付きではあったけれど。
一匹の猫が歩いてきて、私の前で止まる。
翡翠の瞳の、真っ黒な猫だ。成猫にしては小さく、子猫にしては大きい猫だ。
「………お前は神に従う者か。それとも神に仇なす者か」
青年のような声が頭に響く。テレパシーというやつだろう。
それにしても、面白いことを聞いてくる。神だとかは正直どうでもいい。敵となるなら排除する。ただそれだけだ。
少し口角が上がる。
「私は自由に生きる、それだけよ。……まあ、神ごときが私の自由を邪魔するのなら、その時に叩き潰すだけ」
運命や理でさえ、私を邪魔することはできない。そんなこと、許さない。
「神がいることは知っているわ。でもね?私は神なんて信じちゃいないのよ」
「…そうか」
「それじゃ、私はこれで失礼させていただくわ」
今言ったことは全て本心だ。そもそも嘘は好きではないのだから。
「やれやれ、これからこの世界は大変なことになりそうね」
私は最近妖怪になったばかりだから、『神殺し』のことなんて知らない。
だからこそ、わかるのだ。
一体、誰が『神殺し』なのか。
「ま、言わないけどね」