9話 それを知ったところで
「ふあぁぁ………んん…」
欠伸を噛み殺し、本を閉じる。
会合の後私は協会に残り、図書室で本を読み漁った。
正直鍛錬以外にやることがないから、というのもあるが、私には知識が少ない。処刑人の歴史も殆ど知らない。
無知は時に致命的な隙となる。少しでも知識を蓄えるために協会の蔵書を読んでいたのだが、内容は兎も角、意外と楽しかったので昼食を取るのも忘れて閉館時間直前まで居座ってしまった。
水分補給は小まめにしていたが、それ以外は休まずに本を読んでいた為、流石に疲れた。
基本的に十時に寝て五時に起きているのだが、昨日は中々寝付けなくて日を跨いでしまった上に叩き起こされてしまった。
出した本を元の位置に戻し、図書室を出る。
今の時間は丁度七時。夜でも協会は多忙だ。ばたばたと忙しなく動く人たちを横目に、長い廊下を歩いていく。
「………」
ちらちら。ひそひそ。
何故だろう。かなり注目されている気がする。神殺会合でのことは基本的に口外されないと聞いたのだが、どこかで漏れてしまったのか?
声が小さ過ぎてどんな会話をしているかわからない。霊術で聴覚を強化しようにも、こんな所で霊術を使えば問答無用で拘束されてしまう。
「……何故目立つのか」
「会合の正装でいたら目立つに決まっているだろう」
後ろから声が聞こえたと思ったら、大きなコートを掛けられる。
後ろを振り返ると、妖呪協会の制服である黒の軍服を着た天月柄裂がいた。
天月柄裂は心底呆れたと言うような顔で私を見下ろしている。
おや?確か会合の時は私とあまり変わらないぐらいの身長だったはずだが。
ちら、と彼の足下を見ると、俗に言う『厚底ぶうつ』を履いていた。成る程、それで身長を誤魔化しているのか。ある意味賢いとも言える。
「おい。おい貴様今何かとても不愉快な事を考えていないか?」
物凄く不機嫌な声が聞こえる。ふむ、これはどう返すのが良いのだろうか。どう返しても怒られそうだが、何も言わなかったらそれはそれで怒られそうだ。
ここはもう正直に言ってしまおう。
「それだけ高いと足を挫きそうだな、と思っただけです」
「貴様それは侮辱と取るぞ。というかせめて顔を見て言え足下を見るな」
「物理的に足下を見るぐらい良いではありませんか」
「物理的に潰すぞ」
物騒だ。それにしても、身長低いの気にしているんだな。確かに高い所にある物を取りたい時は凄く不便だが、小回りが効く。一長一短と言えるだろう。
「……それにしても、何故その格好のまま図書室に行ったんだ」
「…?態々家に帰って着替えるのは手間でしょう」
「…………せめて布面は外せ」
「あ」
忘れていた。布面はちゃんと目が見えるようになっている為、不便はなかった。
確かに、真っ白な着物と真っ白な布面に、真っ白な下駄、真っ白な足袋だなんて、他人から見れば不審者この上ない。目立つに決まっている。
天月柄裂は再び溜め息を吐き、私の腕を掴む。
「来い。人が少ない裏口に案内してやる」
引っ張られるまま歩いていくと、段々と人が少なくなる。
数分間歩いた所で、灯りのない場所に案内される。そこには簡素な扉が一つあり、天月柄裂が上着のぽけっとから出した小さな鍵を挿し、扉を開ける。
「今の時間なら処刑人は少ない。急いで帰れ」
「ありがとうございます。……あ、外套返しますね」
外套を脱ごうとすると肩を抑えられる。なんだ、と顔を見上げると、天月柄裂が顔を逸らす。
意味がわからなくて首を傾げていると、ぺちっ、と頭を軽く叩かれる。
「……着物がはだけているぞ」
声を絞り出すように呟く。
着物を確認してみると帯が緩んでおり、襟が広がっている。さらしがちらちらと目に映るし、裾の隙間から細い足も見えており、かなりみっともない姿になっている。
取り敢えず襟をなおし、布を軽く引っ張ったりして足が見えないようにする。
扉を潜ると、ごちゃごちゃとした施設が目に入る。
施設の屋根を観察し、『道』を確認して屋根に飛び移る。
「!?おい!」
焦ったような声が聞こえるが、それには答えず、布面を外す。
唾を飲み込むような音も完全に無視だ。
冷たい風が吹き、髪が靡く。そういえば、昔は長い髪を一つに纏めていたな。
元の長さまで伸ばすには時間が掛かりそうだ。
「外套は後日洗って返します。それと、私の名前は星川美波。ありがとうございます、天月柄裂さん」
天月柄裂さんは目を見開き、何かを悟ったような顔をして、微笑んだ。
「柄裂と呼べ。家名は好きではない。それと、外套は今度でいい。暫くここには帰れないからな」
「…そうですか。それでは」
屋根伝いに家へと向かう。
やっぱり、あの顔に見覚えがあった。誰かは思い出せない。そもそも、思い出しても良いのだろうか。
あの時から一体どれだけの時間が経っているか。それを考えれば、所詮は他人だ。
過去を懐かしんではいけない。清算すると決めただろう。
乱雑に斬られた髪の毛の先が視界の端に映る。
「………」
『何かを作るより、何かを壊す方が圧倒的に簡単』だと、ある人が言った。
その人は私たちの前で惨たらしく死んでしまった。
私は、過去を『過去』として区切りをつけることが、できるのだろうか。
「やっぱり、『あなた』が生き残るべきでしたよ」
誰にも届かぬ独り言は、澄んだ夜空に消えていった。
─side 柄裂─
ひらひらとコートを翻しながら屋根を伝って去っていく背中を見送り、家に向かう。
家に帰ると、見慣れた女中たちが出迎えるが、全て無視して一人で地下室へと進む。
天月家の地下室は何百年も前から存在しており、その頃から景色が変わっていない。
暗くて寒い石造りの廊下を、灯りも付けず静かに歩く。幼い頃は父親にしがみついて怯えていたが、今はなんの感情も抱かない。
これは、天月家当主の義務なのだから。
廊下の先には、木でできた格子がある。そこには怨霊が封じられている。
いや、正確には違うのかもしれない。
「懐かしい気配……忌々しい女の力………そうか、まだ生きていたか」
形すら保てていない泥のような霧のような怨霊。こいつは自らここにいる。勿論封印術は施されているが、効果があるかはわかっていない。こいつは出ようとなんてしないから。
「…封印の点検をする前に、一つ聞くぞ」
天月家当主の義務。それは封印の点検。こいつが自分の意思で封じられているとはいえ、こいつを世に解き放つ訳にはいかない。
負の感情だけでこの世界に何百年も留まるだなんて、そう簡単な事ではない。封印術を施されているなら尚更。
それでも禍々しい自我を保っているのだから、相当の感情を持っているのだろう。
怨霊のカラダが少し揺らぐ。
「…その『気配』のことか」
「そうだ。星川美波という青目の女を知っているか」
怨霊のカラダが大きく揺らぎ、封印を破ろうとする。
咄嗟に封印を強める。
「ふははははははははははははははははははははははははははははははは!!そうか!やはり生きていたか!!お前もそこまで堕ちたか!無様だなあ愚かだなあ!!」
幼い頃からこの怨霊を知っていた。しかしこれ程の憎悪をぶちまけたことはなかった。
「落ち着け!あの青目の女はなんなんだ!」
「あの女は罪人だ!咎人だ!ただの人殺しだ!!あの女は無辜なる民を殺したのだ!!」
怨霊の憎悪は止まらない。
けれど、あの青目の女がそんなことをするとは思えない。
「だがあの女は人間だ!妖怪じゃない!!」
ぴたり、と怨霊の動きが止まる。こいつに『目』という部位は存在しないはずなのに、目が合っているような感覚がする。
「…それは真か」
「ああ、間違いない」
「……ならばその女をここに連れてこい。本人でも子孫でも殺す」
「それを聞いて連れて来る訳がないだろう。情けで生かされていることを忘れるな。封印は強めておく。暫く反省していろ」
それからは沈黙が流れた。黙々と封印術の強化を行う俺を見ながら、怨霊は何かを考えているようだった。
封印術の強化が終わった後、何も言わずに地下室から出た。
美波という女の事は当然何も知らない。気になるのは、会合にて『青月』と呼ばれていたこと。名前を隠しているのではないのか?どうしてあっさりとその名を口にした?
そもそもあいつの話が本当ならば、人間であるはずの星川美波が何故生きている?妖怪の気配も、神の気配も、呪いの気配も感じなかった。
『神殺し』の件といい、神霊教団といい、一体何が起きているんだ?
「……考えても無駄だな」
そうだ。俺は処刑人。掟破りを処刑すれば良いだけ。
今は、それだけでいい筈だ。