九 7 ーー 疼く ーー (7)
静寂した病棟内。
テーブルの上で作業している音が響くなか、患者の急変がないことを静かに願っていた。
「明日、旦那とどっか行くの?」
「何、バカなこと言ってるの。私ら夜勤なんだし、帰ったら寝るわよ」
「でも、一日丸々休みなんだし」
げんなりする美樹を茶化す三枝。
どこかふざけている様に、ペン回しをして唇を尖らせた。
「まぁ、できれば二、三日は休みほしいんだけどね」
「まぁね。でも……」
「無理だよね」
本音がついこぼれ、最後は二人の諦めの溜め息が重なった。
考えていることは同じで、なぜか向かい合っている姿が滑稽に見え、クスッと笑みがこぼれた。
静かな病棟に二人の小さな笑い声が弾けた。
決して患者には見せられない顔をしていたが、不意に三枝の動きが止まる。
次第に弾けていた笑顔が次第に強張り、眉をひそめていく。
「……どうしたの?」
血の気が引いていく三枝を怪訝に思っていると、
あれ、と恐る恐る美樹の後ろを指差した。
ちょうどナースステーション脇の通路を。
三枝の態度を不快に思い、体を反らして振り返ってみた。
「ーーっ」
刹那、美樹は絶句してしまう。
「あれって、藤村さん?」
不安に潰されそうな声が震える。
信じられないまま、咄嗟に立ち上がった。
異様な姿で通路に現れた、藤村若菜を見つけて。
薄暗い通路を、まるで壊れたブリキの人形みたいに体を左右に揺らし歩く若菜。
上半身、下着姿の異様な若菜。
訳がわからない異様さに、咄嗟にそばにあった大きめの白いタオルを取り、ナースステーションの外に飛び出した。
「藤村さんっ」
美樹の呼び声に、揺れていた体を止めた。
若菜の前に飛び出すと、美樹は思わず口元を手で覆い、目を見開いてしまう。
顔から上半身の白い肌が血だらけになった、若菜を目の当たりにして。
「何があったのっ」
どんなことがあれば、こんな大ケガをするのか、と疑問が脳裏を巡り、混乱してしまう。
混乱して硬直しそうなのを耐え、
「三枝っ、先生呼んでっ」
ナースステーションのなかでも、三枝は動転して固まっていた。
美樹の叫び声に我に返り、デスクに急いだ。
駆けつけた美樹の姿に、一瞬若菜は笑みを浮かべる。
そして、全身から力が抜けたのか、倒れそうになる。
咄嗟に体を支え、持ち出したタオルを若菜の肩にかけ、とりあえず肌を隠した。
「……どういうこと?」
そのとき、若菜の異変に気づいた。
頭から血で汚れ、上半身も血まみれであるのに、若菜の細いからだに、傷といえるものがなかった。
まるで、返り血を浴びたみたいに。
「ねぇ、何があったの?」
肩を擦って聞くと、若菜はうなだれるように、床の一点を見据えていた。
それでも、焦点は合っておらず、小刻みに目が動いていた。
すると、若菜は右手にパンク色のペンを握っていた。
よく見ると、ペン先は潰れた様子で、より血で汚れていた。
何かに無理矢理押し潰しているみたいに。
「ねぇ、何があったのっ、ねぇっ」
つい美樹も語気を強めてしまう。
若菜は美樹の声を拒むように、ゆっくりとかぶりを振った。
「ごめん……」
若菜から微かな声がこぼれた。
「……ごめん、谷口くん……」
「谷口くんって、あの子がどうしたの?」
「……ごめん」
かぶりを振り続ける若菜。
壊れたみたいに、何度も謝ってしまうなか、おもむろに右手に持っていたペンを両手で握り直し、拝むように顔の前に上げた。
「……ごめん」




