九 3 ーー 疼く ーー (3)
憎しみや怒りに耐えられないはずなのに、動いてくれない。
『……いやっ、やめてっ』
いくら優弥に話したとはしても、記憶の奥に閉じ込めていたはずだった。
もう誰にも言わない、と決意していたはずの光景が、脳裏に鮮明に蘇っていく。
聞こえてきたのは、カラオケボックスでの出来事の音声。
忘れたくても、忘れられない声。
頭を殴られたような強い衝撃で視界は霞み、全身から力が抜けると、ナースコールのスイッチを落としてしまう。
若菜の動揺に、優は音声を切った。
「ま、何かあったときの保険にな。さて、これを聞けば、彼氏はどう思うだろうな」
汚い脅しに、奥歯を噛むしかない。
「でも、あれは未遂でしかーー」
「未遂でも、ここだけだとどう思う? 彼氏が発想力の豊かな奴だったらなおさらな」
ーーっ。
「ーー最低っ」
得意げにスマホをかざす優に、声を噛み殺すしか若菜はできない。
心を打ち砕かれ、若菜はうなだれると、優は「さて」と一息吐き、うなだれる若菜に近づき、顎を掴むとクイッと無理矢理顔を上げさせた。
「お前はもう人形なんだ。逃げられるなんて思うなよ」
抑揚を押さえ、重い口調で脅す優。
口調とは裏腹に、目は笑っている。
脅える若菜を睨む狡猾さに、全身を掴まれているみたいで震えてしまう。
「と、まぁ、客に渡す前に遊ぶのもいいか……」
独り言みたいに呟く優はようやく顎から手を放し、上体を起こすと、不意に左の壁を眺めた。
「二つ隣の病室、空室になっていたよな」
吸い込まれるように、若菜も左の壁を眺めてしまう。
「消灯時間が済めば、人気もないし、目立たないよな。その時間、俺も病室で待っててやるよ」
「ーーはっ?」
途方に暮れていると、またしても顎を掴まれた。
今度は先ほどよりも強く、強引に顔を優の前に向けされられた。
「そこで遊んでやるよ。意味はわかるよな」
そこに感情はなかった。
触れるものすべてを切り裂く狂気が若菜の心を縛りつける。
口角を上げ、唇をゆっくりと舐めた。
刹那、若菜の頬を涙が伝った。
逃げられない……。




