序 ーー 藤村 若菜 ーー (4)
リップクリームを棚に戻すと、本来の目的である風邪薬の棚へと渋々戻った。
気にならないわけではない。
後を追いかけるべきか躊躇してしまうけれど、そこまで必死になることもないか、と冷静さもあった。
何より、本来の目的を逸れようとすると、脳裏に姉の目を吊り上げた表情が浮かび、足を止めさせた。
まぁ、いいか。
目当ての風邪薬を手にすると、そのままレジで精算を済ませた。
突然の命令に、足代とばかりにジュースやお菓子といったものを買い漁り、姉からお金を要求するべきか悩んだが、ぐっと堪えた。
大量のお菓子を買って帰っても、横暴に怒鳴られるか、無視をされるは明白。
お金は帰ってこないだろう。
胸の前で右手をギュッと握り諦めた。
情けないな、まったく。
自分の気弱さが空しくなる。
情けなさから出る溜め息を堪えながら、店を出た。
生温い風が待ち構えていたみたいに頬を撫でていく。
冷房で冷えていた体に触れる風はどうも気持ちを乱しそうだ。
慰めにはまったくならず、より心を滅入らせていく。
生温さに否応にも、夏が近づいているのを実感させられる。
小雨は今はやんでいた。
空を見上げると、もとから雲が重たく広がっていたけれど、夜が更けて浮くことにより、より街を闇に誘おうとしている。
地上を照らそうとする星は雲に遮られ姿を消していた。
家に着くまで雨は大丈夫そうだ。
早く帰ろう。
ドラッグストアの近くに駅があり、足早に向かおうと横断歩道に体を向けたとき。
「なんのつもり?」
面倒な依頼を終え、つい大きくあくびがもれてしまいそうなとき、突如、後ろからぞんざいに声をかけられた。
思わず無様に口を半開きにしたまま硬直してしまう。
刺々しい敵意を剥き出しにした女の子の声。
どこか聞き覚えのある声に、口を開いたまま、ゆっくりと振り返った。
すると、後ろにはすでに帰ったと思っていた藤村若菜の姿。
左肩にかけていたトートバッグの取っ手を右手でギュッと握り、まるで身を守るような体勢でこちらを睨んでいた。
手に力を込めているのは脅えているからなのか、メガネ越しの大きな目は、優弥をじっと捉えて放そうとしない。
鋭い眼光に口を閉じ、唾を飲み込んでしまう。
風なんかよりもより冷たい声は、ナイフみたいに鋭く、つい緊張が走った。
風が二人の間を通ると、若菜の髪を揺らす。
突然呼び止められ、呆然とする優弥の横を、サラリーマンらしき男が通りすぎていた。
「何が目的なの?」
重苦しく鎮座する沈黙をなぎ払うように、静かに、それでいて重い口調で若菜に問われた。
声がどこか震えているように聞こえた。
よく見ると、それまでの鋭さは消え、目が泳いでいた。
それはどこか後ろめたさを持っているように見えてしまう。
まさか、ね……。
オドオドする姿に、胸に芽生えていた疑念がより確証に傾こうとしていく。
不安を抱えつつ、正面に向かい合った。
声に出すことを多少は躊躇し、辺りを見渡した。
通行人の誰もが二人を気にしている様子はない。
聞くべき…… だよな。
小さく息を吐き、
「お前、さっき盗もうとしてなかったか?」
疑念が確証になろうとしても、どうしても歯にものが詰まったみたいに辿々しくなる。
別に責めるつもりはなかった。
けれど、“盗み”と聞いて若菜にも多少の動揺が走ったのか、右手に力がこもるのを見逃さなかった。
……当たりってことか。
若菜の態度に確信すると、急に背筋に氷を這われたみたいで寒くなってしまう。
なぜか胸の奥が締めつけられ、寂しくなってしまう。
これまで、噂程度には話を聞いたことがあった。
クラスのなかでは、万引きを自慢げに話している連中もいた。
この前の収穫はどれだけだ、とか。
噓か本当なのか、確信はないけれど、優弥はそんな話をどこか冷めた目で眺めていた。
きっと、そんな話をする人物は、自分を大きく見せようとする威嚇だと、どこかで蔑んでいたのかもしれない。
実際、優弥の友人の間では、そんな犯罪を犯す者もいない。
万引きとは、遠い話と捉えていた。
だからこそ、実際に直面して優弥自身が動揺したのかもしれない。
「わかってんのか、自分が何をしたのかって」
こんなの、放っておけよ。
内心、語気を強める自身を宥めるのだけれど、抑えられなかった。
きっと体裁悪くなっているだろうけれど、優弥は詰め寄ろうとした。
無視しておけばいいのに、さらに責めようとしてしまう。
じっと睨んでいると、若菜は首筋を強く擦った。
フッと緊張を解くよう息を吐いた。
そして、大きな目でメガネ越しに睨んできた。
それまでにない凶暴な眼差しに、萎縮してしまう。
それでも逃げずに踏み留まった。
しかし、一気に威勢を失った優弥を見て、若菜はクスッと笑った。
「何、そんなに必死になってんのよ」
「ーーお前」