五 5 ーー 恋人 ーー (5)
消灯時間がすぎ、二時間近くが経った午後十一時。
見回りに向かおうと、懐中電灯を手にしてナースステーションを出ると、ふと視線が止まった。
右の喫煙所のソファーに座る一人の患者を見つけた。
薄暗いなか目を凝らすと、藤村若菜であった。
美樹は見回りに向かう前にそちらに向かっていた。
「もう消灯時間はすぎてるわよ」
うつむく若菜の前に立つと、諭すように優しく声をかけた。
しかし、若菜に届かなかったのか、しばらく反応はない。
「……藤村さん?」
もう一度やんわりと声をかけると、ハッとして若菜はようやく顔を上げた。
すいません、と頭を下げるが、立ち去ろうとはしない。
困り顔で唇をへの字に曲げてみるが効果はない。
ふうっと溜め息をこぼして美樹は若菜の隣に腰を下ろした。
若菜の手には、自販機で買ったのかペットボトルのお茶が握られていた。
「眠れない?」
若菜は静かに頷き、またうつむいた。
「だよね。子供じゃないんだから、九時に寝ろって言われも無理よね」
主任に聞かれれば問題よね、と内心毒づくと、若菜は苦笑してかぶりを振る。
「そうじゃないんです」
「じゃ、彼のことでも考えてた? よく来てくれる優しい子よね」
夕方に見た、谷口優弥という男の子を思い出し、口にすると、微かにだが若菜の横顔が綻んだ気がした。
「羨ましいな」
「羨ましいって、看護師さん、恋人いないんですか?」
おっ、と美樹は含み笑いをしてしまう。
大人しそうに見えて、顔を上げると挑発か、と聞いてきた。
「ま、一応ね」
と、さりげなく左手をかざして見せた。左手の薬指に光る指輪を。
ここは勝ち誇らせてもらおう。
「まぁ、こういう仕事柄、擦れ違いは多いんだけどね」
大人げないな、と自嘲しながらも、申し訳なさげに頭を下げる若菜に得意げに言った。
「もう退院したら、どこかに遊びに行こうとか約束したの?」
大人を挑発した罰だと言わんばかりに、嫌味っぽく笑って茶化してみた。
すると、ふて腐れた様子で若菜は唇を噛んだ。
「……確かユウくんだっけ?」
昼間に聞いた呼び名を口にすると、小さく若菜は息を吐き、表情を曇らせながら手にしたペットボトルを眺めた。
「……だといいんですけど」
顔を上げて苦笑する若菜は、静かに立った。
これ以上、茶化されるのが辛いのか、逃げ出したくなったのかは掴めないが、美樹も続けて立つ。
「病院って暇かもしれないけれど、ベッドで横になってるだけでもいいから」
と、病室に戻ることを促すと、若菜は素直に病室へと体を向けて歩き出した。
「さ、私も見回りに行かないとね」
まだ自分には休む時間はなく、気持ちを鼓舞すると、若菜の後に続こうとすると、不意に止まってしまう。
若菜がふと立ち止まった。
「ユウくんとの約束は叶いません」
静かに呟く若菜。
どこか弱々しい声に、「ーーえっ?」と美樹は問い返すけど、若菜は深く会釈して急ぐように先に進んだ。




