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雨に疼く  作者: ひろゆき


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37/74

 五  5  ーー 恋人 ーー  (5)


 消灯時間がすぎ、二時間近くが経った午後十一時。


 見回りに向かおうと、懐中電灯を手にしてナースステーションを出ると、ふと視線が止まった。

 右の喫煙所のソファーに座る一人の患者を見つけた。

 薄暗いなか目を凝らすと、藤村若菜であった。

 美樹は見回りに向かう前にそちらに向かっていた。


「もう消灯時間はすぎてるわよ」


 うつむく若菜の前に立つと、諭すように優しく声をかけた。

 しかし、若菜に届かなかったのか、しばらく反応はない。


「……藤村さん?」


 もう一度やんわりと声をかけると、ハッとして若菜はようやく顔を上げた。

 すいません、と頭を下げるが、立ち去ろうとはしない。

 困り顔で唇をへの字に曲げてみるが効果はない。

 ふうっと溜め息をこぼして美樹は若菜の隣に腰を下ろした。

 若菜の手には、自販機で買ったのかペットボトルのお茶が握られていた。


「眠れない?」


 若菜は静かに頷き、またうつむいた。


「だよね。子供じゃないんだから、九時に寝ろって言われも無理よね」


 主任に聞かれれば問題よね、と内心毒づくと、若菜は苦笑してかぶりを振る。


「そうじゃないんです」

「じゃ、彼のことでも考えてた? よく来てくれる優しい子よね」


 夕方に見た、谷口優弥という男の子を思い出し、口にすると、微かにだが若菜の横顔が綻んだ気がした。


「羨ましいな」

「羨ましいって、看護師さん、恋人いないんですか?」


 おっ、と美樹は含み笑いをしてしまう。

 大人しそうに見えて、顔を上げると挑発か、と聞いてきた。


「ま、一応ね」


 と、さりげなく左手をかざして見せた。左手の薬指に光る指輪を。

 ここは勝ち誇らせてもらおう。


「まぁ、こういう仕事柄、擦れ違いは多いんだけどね」


 大人げないな、と自嘲しながらも、申し訳なさげに頭を下げる若菜に得意げに言った。


「もう退院したら、どこかに遊びに行こうとか約束したの?」


 大人を挑発した罰だと言わんばかりに、嫌味っぽく笑って茶化してみた。

 すると、ふて腐れた様子で若菜は唇を噛んだ。


「……確かユウくんだっけ?」


 昼間に聞いた呼び名を口にすると、小さく若菜は息を吐き、表情を曇らせながら手にしたペットボトルを眺めた。


「……だといいんですけど」


 顔を上げて苦笑する若菜は、静かに立った。

 これ以上、茶化されるのが辛いのか、逃げ出したくなったのかは掴めないが、美樹も続けて立つ。


「病院って暇かもしれないけれど、ベッドで横になってるだけでもいいから」


 と、病室に戻ることを促すと、若菜は素直に病室へと体を向けて歩き出した。


「さ、私も見回りに行かないとね」


 まだ自分には休む時間はなく、気持ちを鼓舞すると、若菜の後に続こうとすると、不意に止まってしまう。

 若菜がふと立ち止まった。


「ユウくんとの約束は叶いません」


 静かに呟く若菜。


 どこか弱々しい声に、「ーーえっ?」と美樹は問い返すけど、若菜は深く会釈して急ぐように先に進んだ。

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