最終話 二人の誓い「……渡したいものがあるんだ」
( 48 最終話 )
戴冠式の一週間前、エレーヌとマクシムは、お忍びでモントルイユに訪れた。
今年、モントルイユでは豊穣祭の期間を長くとって秋の実りと女王の戴冠を祝っている。規模も例年より大きく、修道院の街は人々の明るいざわめきに満ちていた。
にぎわう外とは対照的に、トロワジェーム大聖堂の中は静謐な時間が流れている。
二人が内陣に立つと、トロワジェームの聖母像が優しく手を広げて迎え入れた。
聖母像は、真新しいモントルイユ・レースのヴェールを被り、眼下に優しい眼差しを注いでいる。
エレーヌとマクシムは内陣に膝をついて祈りを捧げた。
祈りを終えたマクシムはエレーヌを見た。雪のように儚いヴェールを被った横顔は、ひたむきに傾けられている。
(……まるで夢を見ているみたいだ)
手が届くとは思っていなかった花が、傍らで咲いている。
俄には信じがたくて、マクシムはじっとエレーヌを見つめてしまう。やがて、エレーヌが顔を上げてヴェール越しにマクシムを見上げる。
「マクシムさま?」
「……エレーヌ」
マクシムはエレーヌの手を取り、そっと立ち上がらせた。ゆっくりと両手を伸ばし、ヴェールの端をつまんでエレーヌの頭の後ろに下ろす。
祭壇にともされた蝋燭の灯が、どことなく潤んだ青玉の瞳を不思議な色合いに見せる。久しぶりにおろした白金の髪は長く、柔らかな体の曲線に沿うように流れている。
「……渡したいものがあるんだ」
マクシムは上着の隠しから、綺麗に折り畳んだレースのリボンを取り出す。
たおやかで繊細なレースをエレーヌの手のひらに落とし、マクシムは緊張した様子で告げた。
「エレーヌが好きだ。俺と、結婚してほしい」
エレーヌは唇を震わせて、レースのリボンを広げた。そこには、美しいミモザの花が咲いていた。青玉の瞳が瞬く間に濡れて、涙がこぼれ落ちる。
「……エレーヌ」
マクシムがそっとエレーヌを抱きしめる。エレーヌの細い両腕がマクシムの首裏に回された。マクシムは愛しい温もりを強くかき抱く。
「わたしも、好きなの。ずっと、ずっと好きだったの……!」
エレーヌは想いの丈を涙に滲ませて伝えた。マクシムは頷き、腕の力を強めた。
可愛い妹。妹みたいに大事な子。昔のマクシムはエレーヌに対してそういう気持ちを抱いていた。
否、もしかしたら最初から自分は彼女に惹かれていたのかもしれない。
それが恋だと自覚したのはいつだったろう。
エレーヌは、高いたかい場所に咲く花で、決して届かない存在だ。
マクシムが手折ることなど許されない。そう言い聞かせるのも辛抱できなくなって、いっとき攫ってしまおうとした。
彼女は、本物の女王になった。その瞬間から、マクシムにとって夜空に浮かぶ月のような存在となった。彼女を照らす太陽になれないと、マクシムは全てを諦めた。
けれど、エレーヌはありったけの勇気を振り絞ってマクシムを夫にしたいと言ってくれた。彼女の心に、一生をかけて応えたい。――愛したい。
「……この、リボン……」
エレーヌが涙に声を詰まらせながら、言葉を紡ぐ。マクシムは優しく微笑んだ。
「修道院の坂の下にある店で買ったんだ」
「……女の人が店主の?」
「うん。揺り椅子に、薔薇のレースをつけたおばあさんがいた」
エレーヌにとって、ミモザの下で踊った思い出は何ものにも変え難い。マクシムもまた同じだったのだと知り、エレーヌは涙をこぼす。マクシムは彼女の耳元で囁いた。
「……レースのリボンを大事な女の子に贈る意味も、教えてもらったよ」
モントルイユ・レースのリボンを、男が女に贈るのは求婚の証。
それを、マクシムが叶えてくれた。嬉しくて、愛しくて、エレーヌはマクシムにますます縋りついた。
「……髪に、つけたいです。つけてくれますか?」
「喜んで」
「あ、待って、後ろにはつけないでください。見えなくなっちゃう」
エレーヌは髪を一本の三つ編みにして、胸の前に降ろした。見たことのない髪型に、エレーヌの雰囲気がまた違って見える。
マクシムは衝動のままにエレーヌを自分の胸に押し付けるようにして抱き締めた。
「エレーヌ。好きだよ。……愛してる」
腕の力を緩めてできた隙間で、エレーヌが顔を上げる。エレーヌは微笑み、また新たな涙をこぼした。
愛しい人と巡り合い、その人と想い合う未来が来るなど、戦争に行った時のマクシムは思いも寄らないだろう。
(生き残れて、よかった)
何度も道を迷いながら、彼女に辿り着いた自分を、誇りに思う。自分を生かしてくれた全てに感謝せずにはいられない。
マクシムは濡れた頬に手を添えて、ゆっくりと顔を傾けた。
お互いの瞳の色が、混ざり合う。やがて、ためらいがちに、エレーヌのまつ毛が伏せられる。無言の了承を得て、自分の唇を花色に染まった唇に重ねた。
触れるだけのキスを交わす恋人たちを、トロワジェームの女神だけが、慈愛の眼差しで見下ろしている。
二人がトロワジェーム広場の踊りの輪に紛れ込むのは簡単だった。
周りは同年代の男女ばかりで、みんな明るい顔でステップを踏んでいる。
宮廷のダンスとは違い、型はあってないようなもの。エレーヌはレースのリボンを揺らして、マクシムのリードについていく。
音楽と、絶え間ない笑い声が夜に明かりを灯す。
ふわりとターンして、マクシムの腕の中に収まった時、エレーヌはそのままつま先立ちになった。そして、恋人の頬に唇を寄せる。マクシムの頬に、小鳥の羽のように軽やかな口づけが触れる。
「……愛してます」
エレーヌは頬を赤くして体を離そうとするが、マクシムは恋人の動きを封じた。
先ほどよりも深くマクシムがエレーヌの唇を奪う。
生まれて初めての情熱的な口付けにエレーヌは全身が熱くなるのを感じた。吐息を弾ませながら、マクシムが囁く。
「俺と、家族になろう」
「はい。よろこんで」
マクシムは再びエレーヌの唇を啄んだ。エレーヌは頬を染めながら口付けに応える。
周囲の人々は拍手をし、囃し立て、若い恋人たちの門出を祝った。
踊りの輪を見守っていた老人たちの手により、無数の提燈が一斉に放たれる。
モントルイユの夜空を、希望の灯火が彩った。




