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(47)女王の求婚「皇帝陛下は、リクヴィルでのお約束を覚えておいでですか?」

( 47 )


 エレーヌは十八歳の誕生日を迎えた。

 百十八発の祝砲の後花火が上がり、夜会の開始を告げる。


「おねえさま、お誕生日おめでとう!」


 と、リアーヌがエレーヌの頬に口付ける。

 姪が纏うのは愛らしい薄紅色のストライプが入った夜会服だ。モントルイユ・レースのトリミングがアクセントになっている。くるりと巻いた紅茶色の髪が可愛らしい。


「ありがとう、リアーヌ。楽しい時間を過ごしてね」


 エレーヌは微笑んでリアーヌの額に口付けを返す。

 ティアラを戴く白金髪は、サイドを三つ編みにして耳の前にかけ、後ろでまとめてシニヨンにしている。


 エレーヌが身に纏うのは、深緑のトリアノン・シルクドレスだ。

 裾から胸元に向かって蝶がはためくような刺繍が金糸で描かれ、銀のラインストーンとの調和が美しい。宝飾品は宝冠(ティアラ)翠玉(エメラルド)の耳飾りのみ。首元を飾るチョーカーや手袋は白の総レースで、エレーヌの白い肌を際立たせている。


 女王と王太子の着こなしは、常に流行(モード)の先を行く。この上なく美しく愛らしい二人の盛装に、鏡の間中の賓客が注目を寄せる。


 二人はにこやかに玉座から降り、諸外国の賓客を出迎えるべく並んだ。

 まずは、エルドラード王オズワルド、そして王太子を筆頭とした六人の王子たちが現れる。エルドラード王と歓談するエレーヌの横で、リアーヌは明るく挨拶をした。


「ごきげんよう、シャルロットです。来ていただいてうれしいわ」

「ほほう。これは将来が楽しみだ。お前たち、切磋琢磨しなさい」


 とオズワルドが闊達に笑って、王子たちは照れ臭そうに目を泳がせる。

 リアーヌはにこにこと六人の王子を見ている。顔合わせが好印象に終わり、エレーヌはほっとした。


「エリザベート陛下、私の助言は役に立ちそうかな?」

「はい。かた時も忘れたことはございませんわ」


 と、返せばオズワルドは笑って去っていく。エレーヌは次の賓客を迎えるべく背筋を伸ばす。

 イシュルバート皇帝は、一番最後だ。これは、皇帝の了承も得た上で調整した。一人、二人と賓客を迎え入れるたびに、エレーヌの心臓は壊れそうなほど高鳴っていく。


「イシュルバート皇帝ヴェネディクト陛下、並びにマクシミリアン大公閣下のおなりです!」


 小姓の声が響き渡り、エレーヌの隣でリアーヌがぴょんと跳ねた。流石に走り出すことはしないが、つま先だちで人垣の向こうを見ようとしている。


「おねえさま。おにいさまよ」


 緊張で強張る叔母の手を、リアーヌが握った。エレーヌは小さな手を握り返して頷く。大丈夫。一人じゃない。

 天鵞絨の絨毯を堂々と進んできた皇帝は、両手を広げて満面の笑みを浮かべた。


「やあ、これは。まるで妖精の国に招かれたような心地だ。美しい女王に、愛らしい王太子。ご機嫌いかがかな」

「おじさま!」


 リアーヌは仔鹿が跳ねるように皇帝に抱きつく。エレーヌはひやりとしたが、皇帝はリアーヌを両腕で抱き上げ、破顔した。


「シャルロット。うんと重くなったなあ」

「おじさま、女の子になんてこというの」


 エレーヌの耳に、二人の会話はすでに入っていなかった。皇帝の後ろに控えていたマクシムと目が合ってしまったからだ。


 視線を逸らすようにマクシムが睫毛を伏せる。エレーヌの胸に痛みが走った。

 最後に会った時より、マクシムは少し背が伸びていた。しなやかな体躯を包む夜礼服は白。六年前と同じだ。しかし、受ける印象は全く違う。

 繊細な美貌はそのままに、成熟した落ち着きを備えた青年が、そこにはいた。

 エレーヌは内心の動揺を悟られぬよう、たおやかに手を差し出した。


「……ご機嫌よう。大公」

「女王陛下にはご機嫌麗しく。陛下の御代が長く続くようお祈りいたします」


 手袋越しに取られた指先は、するりと解かれる。

 刹那の熱を追うように、エレーヌはそっと手を自分に引き寄せる。型通りの挨拶と、すげない態度は予想の範囲内だ。


 エレーヌは楽団に向けて閉じた扇を振り、音楽を止めさせた。

 てっきり皇帝と女王のファーストダンスが始まると思っていた賓客たちは何事かと息を潜める。

 エレーヌは、リアーヌを抱き上げたままの皇帝に視線を向ける。


「皇帝陛下は、リクヴィルでのお約束を覚えておいでですか?」

「ああ、もちろん」


 と、皇帝が頷く。エレーヌは白百合を思わせる微笑みを浮かべた。そして、ゆるやかに賓客たちを見回す。エレーヌは自分の声が響くよう意識しながら言葉を紡いだ。


「寛容な陛下は、リクヴィルでの会談でわたくしにこうおっしゃいました。『新しき女王よ、何か欲しいものはあるか。ひとつだけ、なんでもくれてやろう』と」


 好奇心に満ちた視線が集まる。エレーヌは視線をマクシムに戻した。


「――彼を。マクシミリアン大公を、わたくしの夫にくださいませ」


 女王の声が鏡の間に満ちる。

 賓客たちはどよめいた。そのさんざめきを、エレーヌは指先を踊らせて静め、凛とした口調で続けた。


「わたくしが望むのは、あなた。あなたの、これまでとこれから。その全て。わたくしには、あなたが必要なのです。マクシミリアン大公」


 マクシムは、驚きのまなざしでエレーヌを見ていた。エレーヌは、彼の瞳に、仄火が揺れるのを見逃さなかった。エレーヌはすうっと息を吸い込む。


「偉大なるイシュルバートの陛下に申し上げます」


 エレーヌから、一歩距離を詰める。マクシムはエレーヌを見つめたまま動かない。


「この方の、頭のてっぺんから爪の先、誠実な心、全てをわたくしのものにすることをお許しください」

「……陛下」


 と、マクシムの掠れた囁きが落ちる。

 エレーヌは手を差し伸べた。あでやかな表情を浮かべながらも、手袋に包まれた指先は細かく震えていた。マクシムの手のひらが、エレーヌの震えごと指を包み込む。


「……マクシムさま」


 エレーヌは、マクシムにだけ聞こえるよう囁いた。女王エリザベートの声色ではなく、エレーヌ自身の言葉で想いの丈をぶつけた。


「マクシムさま。わたしは、あなたと家族になりたい」


 エレーヌが心を明かすのを、マクシムはじっと見つめていた。


「リアーヌにもあなたと一緒に帰ると約束してまいりました。どうか、どうか、わたしと共に生き、ファンデール国民全ての父になるとおっしゃって」


 感情が昂って、目元が熱くにじむ。エレーヌは涙を堪えてマクシムを見つめ続けた。きっと、今の自分の瞳にも、仄火がゆらめいているだろう。

 やがて、手を繋いだまま、マクシムがゆっくりと片膝を折った。


「――生涯かけてあなたを愛し、ファンデール国民の父として生きると、誓います」


 エレーヌの頬に、堪えていた涙が滑り落ちる。マクシムが立ち上がり、エレーヌを抱き寄せた。エレーヌは彼の胸に頬を擦り寄せ、背中に腕を回す。

 真っ先にリアーヌが手を打ち鳴らす。それを追いかけるようにエルドラード王と皇帝の拍手が響き、賓客からわあっと歓声が上がる。



 女王エリザベートは、イシュルバート帝国のマクシミリアン大公を王配として迎えた。

 彼女は一代で紡績産業を拡大させ、ファンデールの戦債を完済し、国を大いに富ませた。瞬く間に財政改善をなし得た女王は、教育事業の革新を図った。身分に関わらず初等教育の義務化を図り、治世中期にファンデールの識字率は、男女含めて西方大陸で最も高くなった。晩年には女子高等教育事業に心血を注いだ。次代を継いだシャルロット女王により、女子教育は最盛期を迎えることになる。

『糸つむぐ女王』と慕われた彼女の傍らには、いつも王配の姿があった。彼はファンデールの農業改革を牽引し、イルヴォンヌ大学で肥料開発に注力し、食料生産体制を確立した。その功績により、彼は『農父大公マクシミリアン』として、広く世界中にその名を広めた。

 二人の間に子はなかったが、二人にとっては問題ではなかった。二人は戴冠式の宣誓通り、命尽きるまで国中の子どもたちを愛し、慈しんだという。

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