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(45)宿題の答え「これ、おにいさまのことでしょ?」

(45)


 王の執務室に帰り、長椅子に腰を下ろして。エレーヌはやっと一息つくことができた。


「珈琲を淹れますね」

「ありがとう」


 エレーヌは時計を見た。昼の一時である。

 予想していたより早く謁見が終わった。亡命貴族については宰相と大法官に任せて、戴冠式までの祝賀期間に向けて切り替えなくては。


「陛下、少し休みませんと」


 エレーヌの傍らに、薫り豊かな珈琲が置かれる。カップの隣に黄李のジャムクッキーを置いて、マノンは片手を腰に当てた。


「ありがとう。でも、それはマノンにも言えるわ。試験が終わったばかりじゃない」


 マノンは女官業の傍ら、イルヴォンヌ大学商工学部で学生をやっている。先日、二年の短期課程コース修了試験を終えたばかりだ。


「むしろ元気が有り余ってます。何と言っても、明日は陛下の誕生日ですもの。そして、二週間後は戴冠式。陛下と王太子殿下のお支度は誰にも譲りません」


 マノンの強気な発言に、エレーヌは頬を緩めた。彼女の真心は変わらず、エレーヌを勇気づけてくれている。


「ありがとう。そういえば、クルトさんが今日いらしてるのよね」

「ええ。王太子殿下に算数を――」

「ただいま、おねえさま! ねえねえ、これみて!」


 叩扉音なしに扉が大きく開き、リアーヌがお下げを揺らして飛び込んでくる。

 どこで覚えたものやら、リアーヌはまるで小鳥のように飛び回る王女になっていた。


「……おかえり、リアーヌ。算数の授業はどうしたの?」

「今日は社会科見学になったの! 朝のマルシェで、お買い物をしてきたわ!」


 リアーヌは、はきはきと答えた。マノンがこめかみを抑える。エレーヌは苦笑した。


「クルト先生はどちらにいらっしゃるの?」

「厨房に行って、野菜のシチューを作ってるわ。マノン先生にたべさせるんだって」

「あの馬鹿……。陛下、ちょっとお灸を据えてきても?」


 マノンは眉を寄せているが、彼女の耳は真っ赤である。エレーヌはころころ笑った。


「もちろんよ。わたしもリアーヌとゆっくり休憩するわ」


 マノンは小走りに退室していく。

 エレーヌはリアーヌのために紅茶の準備を始めた。リアーヌは目ざとく銀盆の上にジャムクッキーを見つけた。


「わあ、ジャムクッキー!」

「あまり食べ過ぎないのよ。明日のドレスがきつくなってしまうわ」

「はあい。あ、いけない。わすれるところだった! これみて!」


 リアーヌは猫足のテーブルに新聞を広げた。彼女が貸本屋で新聞を借りてくるのも、いつものことだ。リアーヌに牛乳(ミルク)入りの紅茶を差し出してから、エレーヌはおっとりと一面に目を通す。


「……北部の収穫量は安定してきているようね。あ、待って、黄李(ミラベル)の蒸留酒、新大陸への輸出量激増――」


 リアーヌはちゃっかり黄李のジャム瓶を抱えて首を振った。


「そこじゃなくて、ここ!」


 紅茶にジャムをたっぷり三杯入れてから、リアーヌが新聞の端を指す。


「これ、おにいさまのことでしょ?」

「……あ……」


 エレーヌは危うくカップを取り落とすところだった。


 新聞の隅には、マクシミリアン大公がキーシュで綿花栽培を成功させ、ナドルヴィアの混合農業導入にも大きく貢献したことが記されていた。


 エレーヌはたった数行の記事を、何度も読み直す。その傍で、リアーヌは頬杖をついた。


「おにいさまにあいたいな。リアが育てたかぼちゃみせないと」

「……そうね」


 エレーヌはマクシミリアンの名前をなぞった。

 彼とは、リクヴィルで別れたきり一度も会っていない。

 マクシムの予想した通り、リクヴィルの黄李はたちまち特産物になり、ジャムや蒸留酒は聖教圏を越えて輸出されるようになった。今ではファンデールの秋に欠かせない果物となっている。


(貴方は、忘れてと言ったけれど)


 エレーヌはそっと黄李のジャムクッキーをつまんだ。

 彼が蒔いた種はファンデールのあちこちで芽吹き、北部の食糧難は改善に向かっている。ファンデールで、北部の食糧生産に多大な貢献をしたマクシミリアン大公を知らぬ者はいない。


「……お姉さまも、すごく会いたいわ」

「明日までのがまんよ。おねえさま」


 リアーヌの言葉に、エレーヌは微笑み返す。すでに、イシュルバート皇帝一行は王都のアパルトマンに落ち着いたと連絡が入っている。エレーヌが名指しで招待したので、マクシミリアン大公も同行しているはずだ。誕生日の夜会に、彼も参加することになっている。


 イシュルバート帝国と親密な関係を築く一方で、マクシムとは一度も顔を合わせていない。

 マクシムと別れて、二年が過ぎた。エレーヌは彼を想い続けて、大人になった。もう唇を噛んで痛みに逃げることはなくなった。代わりに、微笑んで扇を翳す術を身につけた。

 マクシムの言葉、彼がそれを言った意味も、全てではないが理解できる年齢になった。


(……マクシムさまが好き)


 二年間、彼を想わない日はなかった。けれど、マクシムは女王になったエレーヌを求めることはない。求めるなら、エレーヌから手を伸ばさなくてはならない。

 募る想いを叶えるために、エレーヌは己に宿題を課した。


 ――欲しいものを手に入れるために、精一杯の準備に努めること。


 今朝の謁見で、宿題は終わった。後は、勇気を持って一歩踏み出すだけ。

 エレーヌは長椅子から壁を見上げた。大きな額には、ジャンヌから贈られた麦の穂が飾られている。

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