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(42)皇帝ヴェネディクト「まずは貴女の即位について話しましょうか。お嬢さん」

( 42 )


 会談の場は、アルザスの城塞の要であるリクヴィル城だ。

 かつて血で血を洗う戦が繰り返された城塞は、激しい風雪により朽ち始めている。はためく帝国旗と王国旗を見上げながら、エレーヌは深呼吸をした。


 この城塞を、再び使うことがあってはならない。


 エレーヌは固く誓って城内に足を踏み入れた。

 先に到着していたイシュルバート大使と皇帝の近臣が、現れた女王の姿に息を呑む。

 エレーヌは、今日の会談のために、真白のドレスを選んだ。

 

 最高級のトリアノン・シルクで織られたドレスは、首元にハート型の切れ込みが深めに入っている。

 パフスリーブには共布で作られた花が可憐に縫い付けられ、装飾品は銀の宝冠とエメラルドの耳飾りだけ。首のチョーカーや手袋は全てモントルイユ・レースだ。いずれも真白の総レースで統一している。


「これは……まるで雪白の姫(ブランシュ・ネージュ)をお迎えしたようです」


 御伽噺から抜け出てきたような姿に、イシュルバート大使が感嘆のため息をつく。


「ありがとう。この場を整えてくれた大使に、感謝します」


 エレーヌは裾をつまんで、優雅に足を引く。妖精のような仕草に、イシュルバート側の硬い態度が、軟化していくのを感じる。

 大使から差し出された手に指先を乗せて、エレーヌは天鵞絨の絨毯を一歩一歩進んだ。その度に純白の裾が優美にゆらめく。

 エレーヌは、皇帝に勝るものを一つだけ持っている。


(お義姉さまが伝えてくださった、貴婦人としての立ち居振る舞い)


 本物の美しさは、何者にも侵されない。真の品位は宝石の数ではなく、その身ごなしで伝わるのだと教えてくれた。


 控えの間で、エレーヌの手を引くのは大使からマクシムに代わった。二人は頷き合って大広間に入室する。

 リクヴィル城の大広間は、美しいアルザスの景色を存分に愛でるために、南側は全て硝子張りの窓となっている。

 皇帝は、窓に面した椅子に腰掛けていた。エレーヌはマクシムの腕から手を下ろし、裾を摘まんで片足を引く。


「皇帝陛下にはごきげん麗しく。エリザベート・エレーヌ・ド・シェルファローズと申します。この度、ファンデール王位を継承いたしました」


 皇帝はゆっくりと振り返る。彼は真白のドレスを纏った女王と、少女を守るように立つ末弟を見て目を細めた。


「余はヴェネディクト・アントン・フォン・ツークフォーゲルだ。雪白のお嬢さん(フロイライン)

「兄上、彼女はファンデール女王ですよ」


 と、マクシムが突っかかる。こんなに焦っているマクシムを見るのは初めてだ。

 確かに、皇帝はエレーヌをまだ女王と認めていないのだろう。けれど、お嬢さんと呼びかけられても、不快感は全くなかった。それは、皇帝がマクシムと同じ黒髪と深緑の瞳をしているからだろうか。皇帝は逞しい肩をすくめてみせる。


「おや、職権濫用の愚弟が何か言っているな。お嬢さんはじゃがいも大公がいないと話ができないらしい」


 マクシムの眉が跳ね上がる。エレーヌはマクシムの腕を引いて囁いた。


「マクシムさま、わたしは大丈夫ですから」

「兄上、まずはリアーヌを返してください。まさか、連れてきてないとはおっしゃいませんよね?」

「ずいぶん信用がないな。わかったわかった。お嬢さんと話している間、お前は外でリアーヌと遊んでなさい」


 と、皇帝が窓の向こうを指す。テラスの向こうは空中庭園になっており、美しい泉や花壇、古色のベンチが置かれている。エレーヌは迷路のような花壇を走り回る影を見つめた。


「リアーヌ……」


 リアーヌだった。姪の元気な姿に、エレーヌの胸が熱くなる。綿紗ドレスに身を包み、きゃっきゃと笑っている。エレーヌと同じ年頃の男の子と追いかけっこをしているようだ。


「皇太子はそろそろ限界に近い。いやはや、マリーにそっくりのお転婆で困ったものだ」


 駆け回る姪を、皇帝が慈しみの眼差しで見つめる。エレーヌは、この人がリアーヌを傷つけるようなことはしないと確信を持てた。


「……マクシムさま、リアーヌをお願いします」


 マクシムは躊躇った。エレーヌは首を振って、その背を柔らかく押す。


「大丈夫ですから。あの子は本当にやんちゃなの。皇太子殿下を助けてあげてください」

「何かされたら、そこの花瓶を床に落として。すぐに来る」

「お前は、お兄さまをなんだと思っているんだよ」


 マクシムは長兄の嘆きは無視して、庭へと出ていった。大広間に、エレーヌと皇帝だけが残される。


「……さて」


 皇帝の声色が変わった。エレーヌはレースの扇を持つ手にそっと力を込める。


「まずは貴女の即位について話しましょうか。お嬢さん」


 皇帝が、自分と対面に据えられた椅子を指す。そこには小花模様の刺繍がされた座布団(クッション)が敷き詰められていた。

 エレーヌは緊張を紛らわすために、ゆったりと腰掛ける。


「歴史の授業で習ったと思うが、私の母はずいぶん貴女のお祖父様に苦労させられてね」

「……承知しております」


 エレーヌはぎゅっと唇を噛んだ。祖父は野蛮な手段を使って女帝の即位を妨害した。なしくずしに戦端が開かれ、多くの血が流れた。その歴史は消せない。

 皇帝は長い足を組んで、じっとエレーヌを見据える。


「その息子の私が、ファンデールの女王を果たして認めるかどうか。結論を出す前に、お嬢さんの考えを聞かせてほしい」


 エレーヌは、皇帝と自分の間に置かれた小さなテーブルの上に二通の親書を置いた。


「こちらが、今回わたくしの即位にあたり、いち早く賛成と支援を約束頂いた国です」

「……レニラード神国と、トルキア帝国」


 皇帝の目が丸くなる。エレーヌは優雅に微笑んだ。


「わたくし、レニラード神国の文学に傾倒しておりまして。即位にあたり、親書と一緒に詩を送ってみましたの」

「レニラード詩を? お嬢さんが?」

「はい。未熟ではございますが、神王さまの印象に残り、支援を約束いただきました。トルキア帝国は、当代のスルタンと兄が交流を深めていた誼により、宗教を超えての友好関係を結ぶ運びとなっております」


 皇帝はエレーヌをまじまじと見つめて、口端を吊り上げた。


「……ローゼンベルクか」

「まあ、どなたのことでしょう」


 エレーヌはおっとりとぼけてみせた。皇帝が質問を重ねる前に、エレーヌはたおやかに指先を躍らせた。


「陛下、わたくしはレニラード神国とトルキア帝国の仲介によるキーシュ戦の休戦を提案いたします」

「ナドルヴィアはどうする?」

「和平を持ちかけます。ファンデール政府は、聖教圏と同じ関税でナドルヴィアと取引を行うことを決めました」

「果たして、聖王庁が納得するかな」


 皇帝は面白そうに問いかけた。エレーヌは優艶な笑みを見せ、レースのチョーカーに指先を乗せる。


「イシュルバートの綿花栽培事業についても、ファンデールは全面的に支援いたしますわ。我が国の職工や針子を、イシュルバートに提供いたします」


 レースが宝石と同価格で取引されるようになってから、モントルイユやトリアノンの職人技術は、門外不出として扱われてきた。

 最高級のモントルイユ・レースとトリアノン・シルクは最新戦艦を購えてしまう。

 イシュルバートはあらゆる産業が栄えているが、紡績産業ではエルドラードとファンデールに遅れを取っている。皇帝の肝入りで綿花栽培を展開させるなら、絶対に技術が欲しいはずだ。

 とどめに、エレーヌは小首を傾げて上目遣いで皇帝を見つめる。


「皇妃陛下にも、このドレスは気に入っていただけると確信しております」

「……これは一本取られたな。貴女は妖精のように可憐でいながら、野心の炎を内に秘めている。国を富ませるためならば、いくらでも貪欲になれるようだ」

「お褒めいただき光栄です」


 エレーヌは扇を翳して微笑んだ。皇帝は立ち上がり、エレーヌの手を取った。


「美しい女王。イシュルバートは、貴女の即位を歓迎しよう。聖王庁の説得は、余に任せてほしい」

「頼もしいお言葉ですわ」

「貴女の戴冠式についても聖王猊下に話をしておく。どうも渋っておいでだったからな」


 聖教圏では、聖王庁の特使による戴冠を行わなければ、真に継承を果たしたとは言えない。皇帝の言葉に、エレーヌは勇気づけられた。皇帝は満足げに頷く。


「今日は気分が良い。新しい女王よ、何か欲しいものはあるか? 即位の祝いに、ひとつだけ貴女の望みをなんでも叶えよう」

「なんでも、ですか?」

「おっと。国家機密情報以外にしてくれたまえよ。戴冠式までに考えるとよい。ぜひ参加しよう。ファンデールは独身時代に一度行ったっきりなのでね」

「陛下の来訪を、心よりお待ちしております」


 エレーヌは裾をつまんで腰を落とす。

 こうして、アルザスの会談は大成功に終わった。


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