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(41)幸福の束「……ねえ、なんであたしを村に帰してくれたの?」

( 41 )


 エルドラードとファンデールの同盟が速やかに結ばれると、北海の島国が続々と王妹エリザベートの即位を支持した。

 二大国の同盟締結により、ファンデールの抱える戦債のうち七割が消失した。これで財政難は改善の見通しが立った。


 女王は改めて特権階級への課税命令を出した。そして、ファンデール国民に対して、三年以内に三つの身分が集まる議会を設立することを約束した。

 国内の反発は、皆無とは言えなかった。しかし、聖ポラリス騎士団とモントルイユ義勇兵の働きにより、大きな内乱にはならなかった。

 その間に、エレーヌは十五の夏を迎えるが、未だリアーヌはエレーヌの元へ戻っていなかった。


「俺の詰めが甘かった。ごめん、エレーヌ」


 アルザスに向かう馬車の中で、マクシムは頭を下げた。エレーヌは慌てて抱えていたぬいぐるみを下ろす。


「マクシムさまのせいではありませんわ。皇帝陛下にとって、リアーヌは姪ですもの。滅多なことにはならないと信じております」


 半ば自分に言い聞かせるように、エレーヌは言葉を紡いだ。

 エルドラードの同盟締結と同時に、イシュルバートから宮殿に使者がやってきた。使者は、皇帝がリアーヌを保護していること、二国の境界にあるアルザス地方リクヴィル城塞で会談をしたいと伝えてきた。


「……兄上は、エルドラード王より手強い」


 エレーヌの慰めは、マクシムの心を軽くしなかったらしい。イシュルバート皇帝は三十五歳で、皇太子時代からの実績も踏まえると、エレーヌが敵う相手ではない。


「大丈夫です。わたし、諦めませんから」


 エレーヌはきっぱり言い切った。自分は未熟で経験もない。けれど、そもそも踏み出さなければ経験は深まらない。自分が皇帝と対等に戦えるとは思っていない。けれど、皇帝と会話するために精一杯の準備をした。その努力は、絶対に無駄にならないと信じている。


「エレーヌは……」

「あ、待って。止めてください」


 いつの間にかヴォージュ渓谷を過ぎ、ロレーヌ村についていた。エレーヌは杖で天井を叩き、馭者台に馬車を停めるよう伝えた。エレーヌはマクシムに輝く笑顔を向ける。


「ジャンヌを見つけました。会ってきますね」

「俺も……」

「マクシムさまは、ここで、待っていてください」


 単語を区切って念押しすると、マクシムはしぶしぶ座席に背を預けた。

 エレーヌはステップを踏んで畦道に降り立った。爽やかな夏の薫りがエレーヌを包み込む。暦は八月。目の前に広がるライ麦畑では娘と老人が刈り入れをおこなっている。


「アルザスおじいさん、ジャンヌ」


 手を振って呼ぶと、二人が顔を上げる。老人は手を大きく振り、戸惑っているジャンヌの背を押した。ジャンヌは麦の束を持って、恐る恐るエレーヌに近づいてくる。


 ジャンヌは農作業用のワンピースを身に纏い、ほっかむりをつけている。顔色も良い。モントルイユで会った時より、彼女が健康を取り戻したことがわかった。


「こんにちは、ジャンヌ」

「……どうも。やっぱり逮捕しにきたの?」


 ジャンヌに俯き加減で尋ねられ、エレーヌは首を振った。


「いいえ。こちらに用があったから顔を見にきただけ。でも、三度目はないわ。覚えておいて」

「……ねえ、なんであたしを村に帰してくれたの?」


 ジャンヌは土で汚れた手をもみあわせながら、ぼそぼそと尋ねる。ずっと気になっていたのだろう。エレーヌは少し考えてから、手袋を外してジャンヌの手を両手で包んだ。


「汚れるよ」

「汚れるもんですか。ファンデール国土を耕す、女神の御手よ」


 エレーヌは真っ直ぐジャンヌを見つめた。狼狽えるジャンヌの瞳に、エレーヌが映る。


「あなたには、生きてわたくしの治世を見届けて欲しい」


 ジャンヌが息を呑む。エレーヌは手に力を込めて、祈るように続けた。


「わたくしは逃げない。隠れもしない。この国に命をかける。それを、一生かけて証明してみせる。貴女に、見ていて欲しいの」

「……、わかった」


 ジャンヌは躊躇ってから、持っていた麦の束のうち三つをエレーヌに差し出した。


「これ、幸福の束って呼ぶんだ。持ってると、いいことがあるらしいよ。……死んだ母さんが言ってた」

「ありがとう、ジャンヌ」


 エレーヌはそっと三つの束を胸に抱いた。ジャンヌが顔をくしゃくしゃにする。その表情は、泣き出す寸前のリアーヌにそっくりだった。


「……ここに帰してくれて、ありがとう」


 ジャンヌはそのまま泣きじゃくった。

 彼女の言葉には「ごめんなさい」よりも大きな気持ちがこもっていた。 


 エレーヌはジャンヌと握手を交わして、そっと離れた。


 馬車に戻る前に、もう一度だけ振り返る。夏の青空の下、一面のライ麦畑を背負ってジャンヌが小さく手を振っている。その美しい光景に、エレーヌは深く胸を打たれた。

 エレーヌは手を振り返し、馬車から差し伸ばされたマクシムの手を取った。エレーヌが席に腰を下ろすと、馬車が動き出す。

 エレーヌは遠のいていくロレーヌ村をじっと見つめた。マクシムが苦笑する。


「俺の出る幕、なかったね」

「そんなことないです。わたしは、マクシムさまが待っててくれるって知ってるから、強気になれるの」


 エレーヌは、隣に座ったくまとうさぎのぬいぐるみに三束の麦を持たせた。リアーヌが見たら大喜びするだろう。エレーヌはマクシムに視線を戻し、窓の向こうを指した。


「……マクシムさま。見てください」


 マクシムの視界に、豊かな実りの風景が映る。

 大人は農具を担いで笑い合い、子どもたちは歌いながら籠を持って後ろに続く。

 マクシムが初めてアルザス地方を通った時とは、比べようもないほど明るい賑やかさに満ちていた。


「アルザスおじいさんから聞きました。このロレーヌ村は、飢饉が起きる前、神さまの庭のように美しかった。でも、その時より今のロレーヌは輝いて見えるって」


 エレーヌは得意げに言うと、マクシムの瞳が僅かに揺れる。マクシムが膝の上で握りこんだ拳に、エレーヌは自分の手を重ねた。


「もう一度息を吹き込んだのは、あなたです。マクシムさま。これは、あなたが生んだ景色。ここより美しい庭は、世界中探してもありません」

「エレーヌ……」


 マクシムの声は揺らいでいた。しかし、すぐに落ち着きを取り戻す。そして、淡く微笑んだ。

 切ないまなざしを返されて、エレーヌの鼓動が騒ぐ。 


「エレーヌは、強くなったね」

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