(40)国王オズワルド「ごきげんよう、皆さん。非礼だらけの訪問を、どうかお許しいただきたい」
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エルドラードとの会談のために、小回廊には重厚な作りの樫の円卓が置かれている。古色が美しいこの円卓は、初代ファンデール王と初代エルドラード王が使ったものとして伝わっている。
中央には、ミモザの葉とスノードロップを活けた釉薬塗りの花瓶が置いてある。
「エルドラード王がおなりです」
小姓の声が響き渡る。エレーヌが扇を開くと、二人の従僕によって扉が開かれる。その向こうから現れた人物は、その場にいる誰もが予想していなかった男だった。
「……アドヴァンス卿?」
と、エレーヌの後ろでマクシムが呟く。エレーヌは失態とわかっていながら、立ちすくんでいた。元エルドラード大使・アドヴァンスはゆったりと入室し、両手を広げた。
「ごきげんよう、皆さん。非礼だらけの訪問を、どうかお許しいただきたい」
黄金を思わせる金髪を流しつけ、身に纏うはエルドドラード王国最高軍帥の軍服。肩章から金色で編まれた織緒が吊るされ、左肩からは斜めがけの大綬。色は、ロイヤルブルー。
夏のドーラ海峡を思わせる明るい水色の瞳を煌めかせ、彼はこう名乗った。
「私は、オズワルド・フレン・デイ・エルドラン。つい先日王位を継承したばかりです」
その名はエルドラード王太子のもの。ファンデール側でいち早く体勢を立て直したのは、百戦錬磨のローゼンベルクだった。
「エルドラードでは王太子のお勤めに大使も入るのですな。初めて知りました」
「それはそうでしょう。父にも黙って入れ替わっておりましたから」
しれっとオズワルドは返して、エレーヌに微笑みかけた。
「本物のアドヴァンスは本国にいますよ。私の妃と姫は、花の都ルヴェルにぞっこんでね。思い切って家族で住ませていただきました」
つまり、エルドラード王太子一家がルヴェルに長期滞在していたことになる。エレーヌはあまりのことに目眩を覚えたが、ぐっと堪えた。
「そう言っていただけて光栄ですわ。どうぞ、お掛けになって」
「やあ、これはどうも」
オズワルドは朗らかに返し、補佐官と共に着座した。エレーヌはマクシムが引いてくれた椅子に腰を下ろした。
「……王太子……いえ、陛下。代替わりとおっしゃられましたね」
「はい。先日、父がトーラスの港で死にました」
オズワルドはからりとした調子で告げた。ファンデール領内で、隣国の君主が死んだと聞かされ、エレーヌは蒼白になった。
「ご心配なく。持病からくる卒中です。梅毒にもかかってましたから、どこの誰から見ても自業自得の死に方でしたよ。貴国に責任を求めるようなことはしません」
国務諮問会議のメンバーは全員言葉を失った。オズワルドは、にっこり笑う。
「当然ですが、婚約は白紙にさせていただきます。私には妻も子もいる。聖王庁には父の死を報せるついでに伝えておきました。近日中に書類が届きますので、署名をお願いしますね」
なんという手回しの良さ。エレーヌはすっかりオズワルドの調子に巻き込まれている。主導権は完全にオズワルド側だ。
「では、改めてわたくしの即位と、制海権について話さなくてはなりませんね」
主導権を取り戻さなくては。エレーヌは内心の焦りを殺して黒いレースの扇を口元に翳して微笑んだ。
「エルドラード王オズワルドの名において、エリザベート姫の即位を支持いたします」
しかし、オズワルドは猛攻を緩めない。当たり前だ。相手は三十歳で、生まれてからずっと王位継承者として生きている。エレーヌが太刀打ちできる相手ではない。
こういう時は、主導権を奪うのではなく、会話を柔らかく受け止める。
エレーヌはマクシムから教わったことを思い出して、身体の力を抜いた。扇を半ば閉じて微笑む。
「ありがとうございます」
「その上で提案があります」
「お聞かせください」
「先代は戦債の返済緩和を条件としましたが、トーラス軍港の所有権及びドーラ海峡の制海権をお譲りいただけるなら、我が国は債務の返済を一切求めません」
オズワルドの提案に、円卓に座った者たちがざわめく。エレーヌはちらりとローゼンベルクを見た。彼は、片眼鏡を黄色のハンカチで拭っている。
「加えて、私から数えて二代まで貴国に戦争を仕掛けないというお約束もいたしましょう」
「……なるほど」
エレーヌはゆっくり扇を全て開いた。隣で、大法官が懐中時計の蓋を三度なぞる。
「わたくしからの提案です。まずひとつ、オズワルド陛下の王子を我が後継者シャルロット・リアーヌ・ド・シェルファローズの夫とする。ふたつ、貴国の元宰相メルバーン卿を、向こう十年間政務顧問としてお貸しいただく。みっつ、不戦期間は王の代数ではなく百年間とする。この三つの承諾がいただけるならば、トーラス塩田と制海権をお譲りします」
エレーヌは一気に畳み掛けた。オズワルドは目を丸くして瞬きを繰り返し、やがて快活に笑い声を上げた。
「あっははは、これは驚いた。陛下は簡潔なおねだりがお上手ですね。これからの外交が楽しみだ」
「まあ……」
「気を悪くしたなら申し訳ない。陛下はわが国が真に欲しいものを理解なさっている。――三つの提案、全て受け入れましょう。相手の王子については、シャルロット姫が年頃になったら決めるとよろしい。長男でもいいですよ」
オズワルドは気前よく言った。彼の息子は王太子となる長男を含め、六人。誰を夫にするかは、女のリアーヌに選択権を与えるという。聖教圏ではあり得ない考え方だ。
「なぜ、という顔つきをしておりますな。ひとつは息子たちに振り回される経験をさせるため、もう一つは貴女へのお詫びです。先日は随分怖がらせたようですから」
エレーヌの背後で、マクシムの気配がすうっと冷えていくのを感じる。オズワルドは、刺客を放った件について不問にしろと言っているのだ。
オズワルドはエレーヌからマクシムに視線を移し、からかうような笑みを浮かべている。エレーヌは冷や汗が背中を伝うのを感じながら口を開いた。
「陛下とわたくしにあったわだかまりについては、本日お話ししたことで消えました。陛下の寛大なご配慮、嬉しく存じます」
大司教が聖典に手を置く。成功の合図だ。エレーヌは安堵に胸を撫で下ろした。
「では、早速契約書を交わしましょう。急かすようで申し訳ないが、夜にはトーラスに立たねば。本国で、父の葬式をしなければなりませんので」
エレーヌとオズワルドの間で草案がまとまり、王太子の補佐官とファンデール大法官が内容を確認する。確認後、書記官たちがファラル語とエルド語で第一稿を作成する。認識の違いが起こらぬよう、両国の秘書官が推敲する。全て円卓を囲んで行われた。
「ただ待っているのはもったいない。炊き出しを見学しても構いませんか」
と、オズワルドが提案する。エレーヌは快く頷き、差し出された腕に手を乗せる。
エレーヌはオズワルドを二階のバルコニーに案内し、眼下の中央広場を指しながら炊き出しについて丁寧に説明した。オズワルドは興味深く頷く。
話がひと段落すると、オズワルドは、エレーヌと向かい合って朗らかに笑う。
「今日の女王陛下は、まるで別人のようです。最後にお会いした時はスノードロップのように楚々としていらしたのに、今は大輪の赤き薔薇だ」
オズワルドの言葉に、色めいたものはない。それを裏付けるように、彼は娘を慈しむような眼差しでエレーヌを見ている。エレーヌはくすぐったい気持ちのまま微笑む。
「ありがとうございます」
「女の子は少し目を離すと、あっという間に綺麗になってしまいますね」
「第一王女は、わたくしより一つ年下と伺っていますわ」
「ええ。陛下の御名と同じくエレインというのですが、これがひどいお転婆で」
「まあ……」
「その娘が、イシュルバートの皇太子の肖像画を見た途端、うんとお淑やかになってしまった。父親としては複雑ですよ」
「エレイン王女は、皇太子に恋をなさっているのですね」
エレーヌが微笑ましげに目を細めると、オズワルドがにっこり笑い返す。
「ええ、陛下と同じですね」
「……えっ」
「いやあ、さっきから背中が痛くて仕方ない。マクシムくんて、結構情熱的なんだね」
オズワルドが砕けた口調でこっそり囁く。エレーヌはオズワルドの肩越しに、室内で待機しているマクシムを見た。温和な彼に珍しく、険しい顔つきをしている。
ふっとまなざしが絡み合う。彼の瞳に宿る仄火が、エレーヌの身体に熱を灯す。エレーヌは、たまらず視線を逸らした。その様子を観察していたオズワルドは咳払いをする。
「ひとつ、私が祖母から聞いた心得を教えましょう」
エレーヌはぱちぱちと瞬きをした。オズワルドの祖母というと、先々代のエルドラード女王である。
「――女王は求婚において、慎み深さを捨てなければならない」
求婚。オズワルドの言葉に、エレーヌの頬が真っ赤に染まった。オズワルドは林檎のように赤くなった少女を見下ろして、茶目っ気たっぷりに続ける。
「うちは数多の女王を生み出してきたので説得力が違うでしょ? ま、役に立てなさい」




