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(39)冬の終わり「……あなた、お義姉さまの化粧を覚えていて?」

( 39 )


 王妹エリザベートの即位を境に秋は深まり、あっという間に冬を迎えた。

 エレーヌの生活は一変した。


 昼の国務諮問会議で北部の冷害に対する対応と財政難について議論し、実行に移す。

 エレーヌはマクシムに、北部の越冬支援のために一個師団に相当する聖騎士団の特殊技能者派遣を要請した。医療、土木などの技術支援と、聖騎士団領からの援助物資の提供により、死者は例年に比べ三分の一以下となった。


 夜は、春に表面化する外交問題について備える日々。ファンデール政府は各国にむけて、立憲君主国家樹立を宣言した。


 エレーヌは女王として他国に親書を送ったが、即座に返事があったのは二国のみ。肝心のイシュルバートとエルドラードの反応は、焦らされた上にうっすらとした内容だった。

 時間は瞬く間にすぎていき、気づけば年が明けていた。


(……仕方ないわ。わたしはまだ何も証明してないのだから)


 曇り空にのぼっていく炊き出しの煙を眺めながら、エレーヌは自分に言い聞かせた。


 今は二月。ドーラ海峡の波が穏やかになり始める時期だ。ファンデールはエルドラード王とトーラス港での会談にむけて調整している。


 未だエレーヌとエルドラード王の婚約は保たれている。国務諮問会議では、女王とエルドラード王妃の両立はあり得ないという結論が出ているが、あちらが納得するかどうかはわからない。今はローゼンベルクを中心に、交渉の手札を整えている最中だ。


「……陛下、お顔の色がよくありませんな」


 と、エレーヌに声をかけたのはアルザスの老人だ。エレーヌは微笑み返す。


「最近ずっと執務室にこもっていたから。でも、外の空気を吸ったらとっても元気よ」


 そうだ。悪いことばかりではない。エレーヌを勇気づける存在もいる。エレーヌは赤いアネモネの咲き乱れる花壇から立ち上がった。


 数ヶ月前に民衆で埋め尽くされた中央広場は、大規模な炊き出し会場へと姿を変えている。また、南側に位置する一階建ての離宮は、怪我人や病人を受け入れる治療施設へと変化した。

 炊き出しや看護を行うのは、モントルイユとシェルファ僧院から集まった義勇兵である。彼らは宮殿での事件と王妹の即位を聞きつけると、僧兵を中心に駆けつけたのだ。彼らが同じ平民として王都の民をなだめ、暴徒はその説得でやっと武装を完全に解いてくれた。


「まったく、戦なんて起こしたら余計に腹が減るだけだ。わかんないのかね」


 アルザスの老人は枯れ葉を寄せ集めながら、やれやれと肩を落とす。そこに、ひょこりと顔を出したのはニコルとセシルだ。


「お嬢さ……へーか、また痩せたんじゃないの! 食べなきゃ!」

「あんたが倒れたらそれこそおまんまの食い上げだよ!」


 ニコルとセシルも、エレーヌを慕って駆けつけてくれた。彼女たちのおかげで、宮殿の炊き出しは大きな混乱もなく進められている。

 懐かしい顔ぶれに囲まれて、エレーヌはやっと心から笑うことができた。


「ありがとう」

「エレーヌ、あまり身体を冷やしたら駄目だよ」


 マクシムが襟巻き(マフラー)と羊毛の上衣(ケープ)を抱えて現れる。エレーヌは頬を膨らませた。


「マクシムさま。わたし、もう元気です」

「そう言って、先週熱を出したじゃないか」

「もう怪我は痛くないもの。平気です」


 二人のやり取りに、ニコルとセシルは顔を見合わせて噴き出す。


「二人とも、あいかわらず甘いね」

「お兄さんの過保護ぶり、増してない? タイコーってみんなこうなの?」

「さあ?」


 マクシムはエレーヌの首に襟巻き(マフラー)を巻き、上衣(ケープ)をかけると、そそくさと退散した。


「あ、逃げた。お嬢さん、クネル持ってって一緒に食べなよ。揚げたてが冷めちゃう」

「ありがとう。頂くわね」


 エレーヌはくすくす笑いながらマクシムの背中を追った。並んでクネルを頬張りながら歩くのはとても気持ちがよかった。

 エレーヌはふと薪小屋で目線を止める。


「あ、あの方……」


 一足先にクネルを平らげたマクシムも気付き、笑みを浮かべる。


「シリル」

「女王陛下! 大公さま!」


 二人が近づくと、薪を束ねていた青年が快活に笑ってたちあがった。

 モントルイユの義勇兵に加えて、もう一つ予想外の事態が起こった。マクシムの元に、ファンデール南部の聖ポラリス騎士団が集まったのである。


「シリル、本当に助かる。ありがとう」

「そう言っていただけると、嬉しいです。僕ね、いつか大公さまに恩返しできたらなあって思ってたんですよ」


 シリルは、聖ポラリス騎士団の副団長だ。彼は、その昔マクシムと同じく捕虜となり生き残った少年兵の一人だったのである。シリルの言葉に、マクシムは困ったように笑う。


「俺は何も……」

「僕が息をしてるって、大公さまが気付いてくれたんですよ。おかげで、僕は故郷に戻れた」


 マクシムは照れ臭そうに頬をかく。エレーヌはシリルの左手を見て、まあと顔を綻ばせた。薬指に銀の指輪がはまっている。


「故郷に、ご家族が?」

「へへ、そうなんです。僕を待ってた幼馴染と結婚できまして、幸せです」

「そうか……、よかったな」


 マクシムは柔らかく目元を細めた。エレーヌは心から祝福を伝えた。


「女王陛下、大公閣下。緊急事態です」


 マゼランに扮したローゼンベルクが、二人を呼ぶ。エレーヌはマクシムと顔を見合わせ、宮殿へと戻った。二人が正面玄関ホールに入ると、ローゼンベルクは咳払いをした。


「エルドラード王が、トーラス港に到着された模様。王太子もご一緒です」


 エレーヌは無意識に身体を強張らせた。みるみる青ざめていくエレーヌに、マクシムが寄り添う。


「そのまま王都を目指すとのこと。会談が一ヶ月ほど早まりましたな」

「……二日後には到着するか。それにしても、先触れもなしに、無礼な」


 マクシムが舌打ちをする。エルドラードはファンデールを軽んじているのだ。

 エレーヌは呼吸を整える。いずれは迎え撃たねばならない相手だ。たちすくんでいる暇はない。エレーヌは瞳に決心を閃かせた。


「宮内伯と女官長を呼んでください。歓待の準備をしましょう」


 自分はもう、怖がり怯えるだけの王妹ではない。エレーヌは明るく微笑んでマクシムを見上げた。


「成功させましょう。リアーヌを早く迎えに行きたいもの」

「うん。一緒に頑張ろう」



 エルドラード一行の王都入りは、予想より一週間遅れた。一切の連絡もなしにである。

 そのおかげで最終調整が間に合ったものの、国務諮問会議のメンバー全てがエルドラードへの印象を最悪なものとして共有することになった。彼らは殺気立っている。


(言い争いにならないよう、気をつけないと)


 そのために、今日は勇ましくありたい。エレーヌは真紅のドレスを選んだ。十五歳の誕生日のプレゼントに、マノンとポムドテールの少女たちが仕立ててくれたものだ。


『姫さま、女の子だけが使える魔法をお教えしますね』


 大きく開いたデコルテに、モントルイユ・レースの飾り襟(バーサ・カラー)を重ねて華やかに。ほっそりした腰から広がるスカートは、クリスタルが散るシフォン生地を重ねて、朝日の中に咲く薔薇のごとく。


『なりたい自分の色と形を選ぶんです。そうしたら、女の子は無敵なんですよ』


 脳裏にマノンの笑顔が浮かぶ。乳姉妹への慕わしさと、離れて暮らす姪への想いが募り、視界が緩む。ふるりと涙を払い、エレーヌは姿見越しに化粧掛の侍女に声をかけた。


「……あなた、お義姉さまの化粧を覚えていて?」

「はい陛下。王妃さまは真紅を纏う折は、涼やかな目元に整えておりました」

「では、わたくしもそのように。お義姉さまに近づきたいの」

「御心のままに」


 義姉の身ごなしを思い出す。どんな時も優雅な所作やたおやかな口調は、今でもエレーヌの憧れで、目標だ。


 エレーヌは化粧台の抽斗を引いた。そこには、装飾品が並んでいる。エレーヌはこの冬に王室の財産整理を始めた。そして、宝石の多くを手放している。

 王妃が最期に身につけていたブルー・ダイヤモンドは、スルタンの治める帝国へと旅立った。エレーヌが母から譲られた宝冠(ティアラ)も、カルタータ王室への譲渡が決まっている。エレーヌの手元に残るのは、小粒で控えめなデザインのものばかりである。


 エレーヌはエメラルドの耳飾りを選んだ。首元はモントルイユ・レースで作られた黒のチョーカー。ひときわ(ヒール)の高い靴を響かせ、エレーヌは化粧の間を後にした。


 王族専用区域から小回廊に続く階段を降りていくと、踊り場にマクシムが待っていた。

 柱時計を背に立った彼は、黒を基調とした聖ゲルト騎士団の正装を身に纏っている。

 玲瓏たる容子に見惚れて、思わず足を止めてしまう。

 ふ、とマクシムが顔を上げた。

 まなざしが結び合った瞬間、深緑の瞳が丸く見開かれる。エレーヌは頬に熱が集まるのを感じた。手すりに置いた指先を握り込む。

 真紅を纏うのは初めてだ。彼の目に、自分はどう映っているのだろう。


「女王陛下、よくお似合いです。……参りましょうか」


 と、静かに促されて我に返る。そうだ、はにかんでいる場合ではない。


「ありがとう」


 エレーヌは義姉の面影を追って、優雅に微笑む。差し出された手のひらに指先をのせると、マクシムがエレーヌの手を柔らかく包み込むように握った。


「……大公……?」

「すみません。雰囲気がずいぶん違って見えたので、驚いて」


 と小さく笑って、力を緩める。視線が逸される寸前、深緑の瞳に仄火がゆらめいていた。エレーヌは気づかなかったふりをして、潤む瞳を隠すためにまつ毛を伏せた。

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