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(38)女王の声「……二人に、会いたい……」

( 38 )


 翌朝、エレーヌは宮殿のバルコニーに立ち、民衆の前に姿を現した。

 身に纏うのは、濃紫のシルクシフォンドレス。――死者を悼む色だ。

 王妹が喪服で現れたことで、民は国王の死を現実のものとして受け入れた。そして、憑き物が落ちたように嘆いた。彼らの殺気は、失われかけている。


「……ファンデールの子らよ。わたくしは、あなた方と向き合う時間を得た喜びに打ち震えています。あなたがたの理性と秩序こそが、この国の柱です」


 少女特有の澄んだ高声は、民衆一人ひとりの胸を打つ。エレーヌは胸の前で指を組んだ。


「昨夜、命を散らした同胞と、この瞬間を与えてくれた先王陛下と王后に、心から哀悼の意を示します」


 エレーヌはそっと手を開き、玉璽を見つめた。狂気と暴力に満ちた夜の闇を、一気に払わなくてはならない。

 太陽が、ゆっくりと東の尖塔からその姿を現す。

 エレーヌは玉璽を左手に持ち、高く掲げた。小さな石に光が集い、大きく乱反射をし始める。


「ファンデールの子よ。聖クロヴィスの同胞よ。あなたがたは今日、新たな歴史の証人となります」


 エレーヌの指先から迸る虹色の光は、群衆たちをあまねく照らし出す。

 暁の空と、神々しい光、そして高貴な少女の姿はその場にいる誰をも釘付けにした。


「わたくしの名は、エリザベート・エレーヌ・ド・シェルファローズ。聖石の守護を纏う者。王位を継承し、生涯かけてファンデール国民に寄り添うことを誓います」


 エレーヌの力強い宣言が、風に乗って広場中に響いた。


 彼女の姿と声は、民衆に王妹エリザベートが『神に選ばれた王』であることを突きつけた。奇跡だ、と誰かが呟き、割れんばかりの拍手が中央広場に轟く。

 王妹エリザベートの即位は、民に強烈な印象を刻みつけ、その神秘性も含めて内外に広く知らしめることになった。

 エレーヌは民衆の歓声に手を振って応え、宮殿へと戻った。拍手と歓声は止まない。

 従僕がゆっくりとバルコニーの扉を閉じて、室内に静寂が満ちる。


「お見事にございました」


 大法官と大司教の言葉に頷こうとして、エレーヌは足に力が入らないことに気づいた。

 傾いだ華奢な身体をマクシムが抱きすくめる。エレーヌのこめかみに脂汗が滲んでいた。


「ひどい熱だ」

「……だいじょう……」


 エレーヌは侍医が止めるのもきかず、怪我の上からコルセットを締め上げた。

 民衆の前では、威厳ある女王として立つ必要があったからだ。しかし、気が緩んだ途端、息ができないほどの激痛に襲われてしまう。


「女官長、陛下の衣服を緩めて欲しい」


 とマクシムが言うと、女官長がすかさず走り寄る。彼女は呼吸もままならないエレーヌを抱きかかえ、侍女達に指示を飛ばす。四人の女たちは両手で帳を持ち、女王の姿を完全に隠した。


「王の執務室を中心に警護を展開させて欲しい。陛下は仮眠室でお休み頂く」


 マクシムは大法官達に、刺客について説明した。刺客がいつまたエレーヌを狙うか分からない。宮殿の軍備は十分ではない。動ける人員はごく僅かだ。最低限の人数で防御に徹する必要がある。


「……閣下、陛下のお支度が終わりました」


 女官長の声とともに帳が下ろされる。

 寝椅子(ディヴァン)に横たわるエレーヌは綿紗ドレスを纏い、苦しそうに喘いでいる。マクシムはエレーヌの身体をそっと横抱きにして抱え上げた。


「陛下、あとは我らに任せて少しお休みください」

「なあに。国民公会のことは、このじいにお任せあれ」


 と、ローゼンベルクが胸を張る。大法官と大司教は頷く。


「マゼラン卿には今しばらくお姿をお貸しいただきたい」

「大公、陛下を頼みます」


 マクシムは頷いた。エレーヌには抗う力は残っておらず、ぐったりとその胸にもたれた。そして、この窮地に手を貸してくれた者達の顔をゆっくりと見渡す。


「みな、よくやってくれました……ありがとう」


 エレーヌはそこで力を使い果たし、そのまま意識を手放した。


 気がついた時、エレーヌは庭園に立っていた。

 大理石の四阿(ガセポ)で、義姉が手を振っているのが見える。その傍らで兄が珈琲を淹れている。


(ああ、夢だったんだわ)


 エレーヌは兄夫婦の元へ歩み寄ろうとして、はたと動きを止める。


(リアーヌは?)


 遠くから泣き声が聞こえる。エレーヌは急いで辺りを見回した。

 いつの間にか四阿は消え失せて、花の落ちた薔薇の生垣に囲まれていた。


(リアーヌ、わたしはここ。どこにいるの?)


 エレーヌはまろぶように走り出す。泣き声は大きくなったり小さくなったりして距離が掴めない。エレーヌは泣き出しそうになりながら声を張り上げた。


「マノンっ、リアーヌを……!」

「エレーヌ?」


 強く手を握られ、エレーヌの意識が覚醒する。エレーヌは浅い呼吸を繰り返しながら、その手を握り返した。


「リアーヌ、マノン、どこ……」

「エレーヌ、落ち着いて」

「リアーヌが泣いているんです。きっと怪我をしたんだわ。迎えに行かないと」


 腕に力を入れて起きあがろうとすると、身体が鉛のように重い。背中に痛みが走り、頽れてしまう。激しく泣きながら姪と乳姉妹を呼ぶエレーヌを、マクシムが抱きしめた。


「……クルトから連絡があった。リアーヌは無事だ。ランバル嬢とともに、聖ロレーヌ騎士団に匿ってもらっている」

「……ぶ、じ……?」


 マクシムは頷いて、エレーヌの頬に張り付いた髪をそっと払ってやる。マクシムはエレーヌの背中に座布団(クツション)を置き、痛み止めの薬湯を少女の口元に持っていった。


「イシュルバートにも居場所は漏れていない。怪我もしていない。落ち着いたら、必ず迎えに行こう。……自分で飲める?」


 エレーヌは頷き、薬湯の入った器を両手で持った。ゆっくり飲み干すと、乾いた喉が潤い、全身が温まった。ほうっと息をつくと同時に、涙が再び溢れる。エレーヌは嗚咽を漏らしながら両手で顔を覆った。

 今は、とても呼び戻せる状況ではない。わかっている。わかっているのに、涙が止まらない。


「……二人に、会いたい……」

「うん」


 マクシムが優しく抱き寄せる。エレーヌはマクシムの腕に背を回して泣きじゃくった。泣いて、泣いて、そのまま気絶するように眠りに入った。


 マクシムは、腕の力を緩めて眠るエレーヌを見下ろす。エレーヌの身体は軽く、目元には隈ができている。濡れた頬に触れて、マクシムは歯噛みした。


 腕の中にいるのは、十五歳になったばかりの少女だ。継承者として教育を受けてきたならまだしも、彼女は王妹としての役割しか知らない。


 誰よりも彼女が、王冠の重みに耐え切れるか不安だろう。神はよく乗り越えられぬ試練は与えないというが、あまりにも過酷すぎる。


(いっそ、攫ってしまえ)


 マクシムの中で、もう一人の自分が甘く囁いた。身分を捨て、国を捨て、この少女一人を腕に抱いて、世界の果てまで行けたら。

 マクシムの中で生まれた誘惑は、控えめな叩扉音によって霧散する。


「若君、失礼いたしますよ」

「……入れ」


 マクシムはエレーヌをそっと横たえて、額に濡れた手巾を載せる。ローゼンベルクはやれやれと肩をすくめた。


「いやはや、大法官達に詰め寄られましたよ。皇帝陛下は何を企んでいるのかって」


 二人が去った後、国務を担う大官達に質問責めにあったらしい。エレーヌの前では堪えていたのだろう。


「それは仕方ない。俺だって、そなたがここまで深入りするとは思わなかった」


 マクシムはローゼンベルクとマゼランが血縁関係にあり、彼らの背格好がよく似ていることを知っていた。だから、民衆を宥めるために替え玉となるよう命じた。


「甘いですな。若君、あやつらはマゼランがいなくなったらまた騒ぎますよ。それに、我が家の家訓をご存じない」

「家訓……」

「手を出したら終いまでやれ。美しい女性には無条件で傅け。この二つです」


 マクシムが苦笑をこぼすと、ローゼンベルクは背筋を伸ばした。


「若君、じいは皇帝陛下に辞職願を書いてこの場に来ました」

「ローゼンベルク伯」

「誤解なされるな。若君のためではござらん。ひとえにそちらの眠り姫のため」


 ローゼンベルクは片眼鏡を取り出し、きちっと装着する。マクシムは無意識にその視界からエレーヌが見えないよう身体の位置を変えた。ローゼンベルクは生ぬるい眼差しをマクシムに注ぎ、肩をすくめる。


「若君、独占欲がすぎると女性は引きますよ。えー、おほん。実は、王妹殿下から何度も熱烈なファンレターを頂きましてな」


 ローゼンベルクは腰の裏で手を組み、優雅に窓辺に歩み寄る。


「拙著をいたく気に入ってくれて、既刊を全て読んでしまったと。おかげでゲルト語も身についたと言ってくれるじゃありませんか。じいのファンは男が殆どなので、舞い上がってしまいました」


 マクシムは眠るエレーヌを見た。エレーヌの呼吸が安定し始める。痛み止めが効き始めたのだろう。手のひらを握ると、きゅっと握り返された。


「そこで、どんなお嬢さんなのだろうと観察してみたら、団子(クネル)を発明してしまった。おかげで、じいは大手を振ってファンデールでじゃがいもを食べられるようになったのです」


 ローゼンベルクの瞳は輝いていた。そして、外交官時代にじゃがいもをこっそり育てて隠れて食べていた経験がいかに虚しかったかを説いた。


「姫君はいつも一所懸命で、思わず力を貸したくなってしまう。じいは、孫娘がいないので、何だか胸が詰まってしまいましてなあ」


 血縁関係を理由にマゼランが亡命を希望したとき、ローゼンベルクは好機と捉えた。聖王領への亡命を手助けし、生活を保障する代わりに、二度と戻ってくるなと脅しつけてきたのだという。


「……大臣たちに、そう説明したのか?」

「ええ。マゼランの逃げっぷりも伝えたら、腹を抱えて笑ってましたよ。笑えるのは、いいことです」


 しみじみとローゼンベルクは言って、微笑んだ。マクシムは窓の向こうの青空を見げた。


「そうだな。この国は、まだ間に合う」


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