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(37)宰相の帰還「幸い、この大公には人質としての価値がある」

( 37 )


 七時五五分。中央広場から、群衆の歓声が聞こえてきた。騎兵隊長が小回廊に転がり込み、早口で捲し立てる。


「宰相です! マゼラン宰相が騎馬で太陽の門から入って参りました!」

「何と、恥知らずな」

「しかし、これで民は納得するだろう」


 エレーヌは議長席からマクシムを盗み見た。彼は帯剣し、エレーヌの斜め後ろに控えている。


「……大丈夫。必ずうまく行くよ」


 マクシムはエレーヌにだけ聞こえる声で囁いた。エレーヌは頷いて、椅子の縁を握りしめる。

 騎兵隊長に続き、近衛連隊長が小回廊に戻った。彼は顔面蒼白で、口元を引き攣らせている。


「へ、陛下に申し上げます。マゼラン宰相が、代表四名を連れて謁見を願っております」

「入りなさい」


 エレーヌは気高く聞こえるよう意識して許可を与えた。近衛連隊長の背後から、きらきらしいジェストコールに身を包んだ老人が姿を表す。

 大法官の手から懐中時計が滑り落ち、大司教は抱えていた聖典を床に落とした。宮内伯が慌てて時計と聖典を拾う。


「マゼラン、アルザスの視察から戻りました。どうか、美しき女王の御前へ跪く御許可を」

「……こちらへ」

「ありがたき幸せ。……諸君らはここで待機するように」


 派手な身なり、慇懃無礼な台詞、仰々しい所作は、いずれもマゼランそのものだ。

 しかし、宰相を間近で見た経験がある者はすぐに彼が偽物だとわかった。


「よく戻りました。あなたが無事で何よりです」


 エレーヌは御前に跪いた彼の手を取り、震えた声で囁く。


「……ローゼンベルク伯、どうしてあなたが……」


 宰相に扮したローゼンベルクは、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。


「若君に呼ばれたので。マゼランは、じいの母方の従兄でしてな。あいつの仕草はあくびの仕方まで真似できますよ。……どうにか乗り切りましょう」

「……あなたの勇気に、感謝いたします」


 もっと多くを尋ねたかったが、それは後回しだ。エレーヌは心をこめて、ローゼンベルクを抱擁した。


「さあ、会談を始めましょう。どうぞ、あなたがたも席について」


 エレーヌは優雅な手振りで、民衆の代表四名に着席をすすめる。彼らは女王の妖精のごとき所作に見惚れて、言われるままに席についた。

 彼らは自分達を【国民公会】と紹介し、以下の要求を示した。


 一つ、第三身分(平民)が主導の議会を認めること。

 二つ、国王と国務諮問会議は、国民に行政権を譲ること。

 三つ、宮殿の食糧を全て明け渡すこと。

 四つ、キーシュ戦線から兵士たちを故郷に戻すこと。


「……この四つの要求について、今ここで回答を頂きたい」


 代表の一人が居丈高に主張する。エレーヌはおっとりと微笑み、議事録を作成する秘書官に命じた。


「三つ目の要求については、今すぐ実行いたしましょう。食糧庫の管理簿も用意して、契約書を整えて」

「はい。陛下」

「その他の要求については、即答はできません」

「なんと!」


 腰を浮かせた代表たちに、ローゼンベルクの一喝がとぶ。


「軽はずみに扱って良い議題でないことは、諸君らも分かっているだろう」

「しかし、」

「その代わり、三日以内に国務諮問会議を開くことを約束いたします。あなた方は、新たなメンバーとして国政に参画するのです」

「適当なことを言って、自分は外国に亡命するつもりだろう!」


 端に座った男が、荒々しく卓を叩く。エレーヌはすうっと表情を消した。


「……あなたたちは、この国で戦争を起こしたいのですか? キーシュ戦線から兵士を戻したいと言っておきながら、彼らの戻る故郷を消すおつもり?」

「諸君らの動きは、すでにイシュルバートやエルドラードに漏れている。アルザスの国境で、わしが見たものを教えてやろう」


 ローゼンベルクは立ち上がり、女王の背後に立つ大公を指し示した。


「イシュルバート皇帝は軍備を整えている。大公の保護を名目に、攻め込むつもりだ。あっという間にここは帝国領になるぞ」


 ローゼンベルクの言葉に、エレーヌは怯えた演技をしてみせた。そして、ハンカチを取り出し涙ぐんだ声で訴える。


「わたくしは、エルドラードの刺客に襲われました。……彼の国はドーラ海峡で虎視眈々と機会を伺っているでしょう」

「女王陛下……」


 代表たちの眼差しが哀れみと焦りに変わる。エレーヌは畳み掛けた。


「……あなた達の意見は尊重します。応える努力もしましょう。けれど、今はファンデール人同士で争っている場合ではないと、理解いただきたいのです」

「幸い、この大公には人質としての価値がある」


 ローゼンベルクは悪どい笑みを浮かべてマクシムを見た。マクシムは静かにその視線を受け止めている。演技だとわかっていても、エレーヌは背筋が凍るような心地がした。


「彼が女王に従順である限り、イシュルバートとの交渉は我らに分がある。そうだろう、マクシミリアン大公」

「……諸君らが武器をおさめ、一両日中に退くのであれば」

「生意気な! マゼラン宰相、良いのですか!」

「私は聖ゲルト騎士団副総長の地位についている。私に何かあれば、イシュルバートに限らず、聖教圏の騎士団が黙っていないだろう。その上で煽っているのであれば、敬意を持ってお相手しよう」


 マクシムは、南の隣国カルタータの存在を仄めかした。カルタータは、多くの騎士団領が集まってできた国だ。エルドラードに及ばないが、海軍も所有している。


 北のイシュルバート、西のエルドラード、南のカルタータに囲まれれば、ファンデールは袋の鼠だ。攻め込まれれば、代表達が望む国民主導の議会は日の目を見ずに終わるだろう。

 そして、その三国がエレーヌの継承を易々と認めるとは限らない。エレーヌは、縋るように手の中の玉璽を握り込んだ。

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