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(30)夢の終わり「……お嬢の侍医がさ、マノンちゃんに言ったんだって」

( 30 )


 小鳥が囀っている。マクシムがぼんやり目を開けると陽の光が淡く小屋の中を照らしていた。

 久方ぶりによく眠ったおかげで、脳はすっきりとして軽い。無意識に抱えている温もりを抱き寄せて、その柔らかさに鼓動が跳ねた。恐る恐る見下ろすと、絹糸のような白金の髪が、マクシムの腕を滑る。剥き出しのまろい肩に、視線が釘付けになった。


「――ッ!?」


 叫び出しそうになるのを寸前で堪え、マクシムは頭をぶんぶんと振った。エレーヌの肌に触れないよう、晒さないよう、慎重に毛布を巻き付ける。

 そして、いつの間にか握り合っていた少女の手を、解こうと試みた。


「んぅ……」


 長い睫毛をふるふると揺らし、エレーヌがマクシムの指をきゅっと握りしめる。

 ゆうるりと青玉の瞳が現れ、エレーヌがマクシムを見つけた。すると、エレーヌはほんわり笑ってマクシムの指に自身の頬を擦り寄せた。


「マクシムさま……」


 甘える子猫のような仕草は、マクシムの頬を熱くさせた。エレーヌはというと、ふにゃりと顔を綻ばせる。


「熱下がってる。……よかったあ」


 エレーヌは手を絡ませるようにして、無防備な笑顔を浮かべている。マクシムは少女の微笑みに見惚れてしまった。

 エレーヌは寝ぼけている。前に、朝は弱いと言っていた。きっと意識がはっきりしたら恥ずかしがるだろうから、知らないふりをしないと。

 そのためには視線を逸らすべきだ。分かっているのに、マクシムはエレーヌから目が離せない。

 マクシムの葛藤をよそに、エレーヌは再び眠りの世界へと戻っていく。絡まった手に、少しだけマクシムは力を込めた。


 今まで厚い帳に覆われていた感情が、ゆるやかに姿をあらわす。少女の温もりに、目頭が熱くなる。マクシムはしばらくの間、静かにエレーヌを見つめていた。

 

「えっ、マジで何もしなかったんスか? 一晩いっしょにいたのに?」


 雨雲は遠ざかり、澄み切った青空が広がっている。馬首を並べたクルトは、信じられないものを見るかのように主君を見た。

 マクシムはにっこり笑ってから、思い切りクルトの頭を叩いた。


「いってえ! 声ひそめたじゃん!」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」


 マクシムはちらりと前方の二頭立ての馬車を見る。結局エレーヌはあのまま目を覚まさなかった。クルトと一緒に迎えに来たマノンに支度を任せ、馬車に乗せる時も起こさないよう横抱きで運んだ。

 マノンの膝に頭を預けたエレーヌはあどけない寝顔を晒していた。このまま、昨夜のことは忘れられたら良いのにとマクシムは思った。

 ぼんやり馬車を眺めるマクシムの傍らで、クルトはひとりごちた。


「そんな顔するぐらいなら手出せばよかったのに。別にヤれないわけじゃないんだから」

「クルト、お前には常識に加えて配慮という概念が欠けている」

「両想いの男女に、ジョーシキとかハイリョっているんスか? 俺とマノンちゃんは小屋に二人がいない場合の時のこと、ちゃんと考えてたんですよ」


 マクシムは平静を装いながら納得した。クルトはあえて二人だけにしたのだ。


「……お嬢の侍医がさ、マノンちゃんに言ったんだって」

「何を」

「エルドラードの気候は、お嬢の体に合わない」


 マクシムは思わずクルトを見た。クルトは、真面目な顔つきでぽつぽつと話す

 かつて氷河に覆われていたエルドラード王国は、一年中曇りがちで、冬はファンデールよりずっと厳しい。

 しかも、相手は六人の王妃を孕ませ、死に追いやってきたエルドラード王だ。身体に合わない異国の地で、エレーヌの命は確実に削られる。若くして死ぬことは免れない。

 エレーヌを幼い頃から見てきた侍医は、マノンにだけそれを打ち明けたという。


「オレ、難しいことは難しいからわっかんねーけど、そんなのやってらんねえよ」


 マクシムは二の句を告げずにいた。

 腕の中にあったやわらかな温もり。屈託のない笑顔。マクシムの名を紡ぐ可憐な唇。たおやかな指先。少女の細い体が、血の海に沈んでいく。 

 黙り込むマクシムの視界に、猛然とこちらを目指す騎馬が入ってきた。騎手は鬼気迫った様子で手綱をとっている。

 不吉な思考を追いやり、マクシムはクルトと共に馬車の前に回り込んだ。マノンが窓から顔を出して眉を顰める。


「姫さま、宮中の伝令官です」

「わかったわ。手袋を」


 エレーヌは秋桜(コスモス)の散る綿紗(モスリン)ドレスに着替えて、すっきりと髪を結い上げている。レースの手袋で二の腕まで覆い、背筋を伸ばす。手鏡の向こうに、隙のない王妹の姿が映る。


「王命により伝令仕ります。こちらは王妹殿下の馬車とお見受けいたしますが、いかに」


 騎手はマクシムの手前で馬を降りた。荒い呼吸を整えることもせず泥だまりに膝をつく。


「いかにも王妹殿下の馬車だ。伝令内容を聞こう」


 と、マクシムが儀礼通りに返答する。騎手は肩を震わせ、くしゃくしゃの顔を上げた。


「三日前より王后陛下は産気付き、昨夜王子を産み参らせました」


 その声は、馬車の内にもよく響いた。その後騎手が言葉を詰まらせたので、エレーヌはざわりと嫌な感覚に襲われた。


「王子は一度も泣かれず、そのまま天の国へ旅立たれました。国王陛下は、一刻も早く王妹殿下が宮殿に戻られることをお望みです」


 どこかで烏が甲高く鳴いた。奇しくも、今日はエレーヌの十五歳の誕生日であった。


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