(27)ジャンヌの復讐「……やっぱり、あの時殺しておくんだった」
(27)
「ちょっと、起きなよ。起きなってば」
頬をぞんざいに叩かれ、エレーヌはまぶたをゆっくり押し上げた。手のひらと頬に、ちくちくとした感触が走る。
続いて薪が爆ぜる音で急速に意識が覚醒した。薄暗い部屋、軋んだ天井、粗末な暖炉に火が焚いてある。
エレーヌは藁の敷かれた上に横たわっていた。緩慢に視線をめぐらす。ジャンヌと見知らぬ男たちがエレーヌを見下ろしている。
(な、に……?)
「ジャンヌ、とんでもねえ上玉だなあ。薬も嗅ぎ慣れてねえみたいだ。こりゃあいい」
男が野太い声をあげてエレーヌの顎を掴んだ。うす汚れた毛皮を着て、歯の抜けた顔で下卑た笑みを浮かべている。
「ここは……」
「あんたの仕事部屋だよ。接待するんだ」
とジャンヌが歌うように答える。仕事? 接待?
エレーヌは力の入らない身体を叱咤して、後ずさろうとした。けれど、それを毛皮の男が妨げる。
「おおっとどこに行くってんだ? ん?」
「金貨がいるのよ。あんたのお綺麗な身体だったら、三日三晩で稼げる。ふふ、白いパンをうんと食べよう」
「その後、お嬢ちゃんは東の後宮に行くのさ。あんたなら間違いなく寵姫になれる」
毛皮の男が、壁際に立つ巨体の男に視線を向ける。巨体の男はのっそりと歩み寄って、エレーヌの細い両腕をひと纏めにする。
両手首を藁の上に固定されて、エレーヌは恐怖から全身を震わせた。逃れようともがくエレーヌの上にジャンヌが乗り上がり、ナイフを閃かせた。
「暴れると肌に傷がついちまうよ」
「……っ?!」
ジャンヌは躊躇いなく胴衣を切り刻んだ。エレーヌが目を見開くと、赤い唇が弧を描く。
「いいねえ。あんたがそうやって絶望するところ、もっと見せてよ」
「おいジャンヌ、全部は切ってくれるなよ。楽しみが減っちまうからな」
ジャンヌと入れ替わりに毛皮の男がのしかかり、無遠慮にブラウスの上から細い身体を触り始めた。首筋に男の荒い呼気が触れて、不快な感触が這い回る。
(いや……っ! マクシムさま、マクシムさまッ、助けて)
あまりの恐怖に声が出ない。エレーヌは無意識にマクシムを強く呼んだ。唯一自由に動かせる足をばたつかせ、男から逃れようともがいた。
次の瞬間、ジャンヌがゆらりと動いてエレーヌの頬を思い切り打った。激しい耳鳴りに襲われ、頭がぐわんと揺れる。
「ジャンヌ、顔に傷付けんじゃねえよ。お前は加減ってもんを知らねえな」
じわり、と口腔内に血の味が広がる。男はエレーヌの細い首を掴んだ。
「なあ、首を絞められながらってはとんでもなくイイらしいぜ」
殴られ、呼吸が奪われ、エレーヌの動きは鈍くなり、男を力なく見上げる。
男のぬらついた目には、欲情があった。自分より弱い存在を拘束して痛めつけ、身と心を壊したいという、暴力的な衝動に支配されているのだ。
エレーヌは薄く口を開いた。それは、酸素を求めるためでは無かった。男の手がブラウスを力任せに破って、スカートをたくし上げた。
エレーヌが歯列で舌を挟んだ、その瞬間。
唐突に身体の上から重みが消える。気管にどっと空気が流れ込み、エレーヌは激しく咳き込んだ。
滲む視界の向こうに、マクシムが立っていた。黒髪は乱れ、呼吸は荒い。
彼の足元には、エレーヌに覆いかぶさっていた男が這いつくばっていた。壁際には巨体の男が昏倒している。毛皮の男は顔中から血を吹き出し何事かをわめき、やがて折れ曲がるように体を痙攣させるだけになった。
「マクシム……さま……?」
エレーヌは掠れた声で彼を呼んだ。頬がじんじんと痛み、体のあちこちがひきつれたように痛んだ。
マクシムがゆっくり振り返り、二人のまなざしが結び合う。
マクシムは無言で詰襟の上着を脱ぐと、それで包み込むようにエレーヌを抱き寄せた。
エレーヌが背中に腕を回すと、強い力で抱き締められた。頬にあたるマクシムの鼓動が早鐘を打っている。彼自身の匂いに、エレーヌの恐怖がほどけ、青玉の瞳から涙が落ちた。
「ちょっと、あんた、何すんのさっ!」
いつの間にか外に出ていたジャンヌが、室内の惨状に金切り声をあげる。
マクシムは、エレーヌを抱きしめたままジャンヌを睨んだ。冷酷な視線に慄き、ジャンヌがわずかに後退りする。マクシムの腕に力がこもった。
「……やっぱり、あの時殺しておくんだった」
「――ッ、何だってんだよ! その子ばっかり綺麗な服を着て、騎士さまに守ってもらっちゃってさ!」
ジャンヌの中では、マクシムに対する恐怖より、エレーヌに対する憎悪が勝ったらしい。
「王妹だから何? たまたま王族に産まれただけだろ。たったそれだけでひもじい思いも、汚れた仕事もしないでいられる! ファンデールを捨ててエルドラードに逃げる癖に!」
ジャンヌの主張を聞いていたエレーヌは全身を強張らせた。
逃げる? 違う。ファンデールを捨てるつもりなんてない。望んで嫁ぐわけでもない。
「この国には、好きでもない男に犯されて、かびたパンしか食べられない女がたくさんいるんだよ! 全部あんたのせいだ! くたばっちまえ!」
エレーヌ頭が、真っ白になった。
「――クルト、その女を連れて行け。持っていた薬品はイルヴォンヌ大学に届けろ」
「ちくしょう、ちくしょう、何だってんだよ! 貧乏人が王族に復讐して、何が悪い!」
なおもわめきつづけるジャンヌを羽交い締めにして、クルトが小屋から出ていく。エレーヌは咄嗟に腕を伸ばそうとして、マクシムに止められた。
「もう、何を言っても無駄だ」
「…わ、たし……でも」
マクシムは緩やかに首を振る。そして、もう一度エレーヌを抱きしめた。
「エレーヌを王妹と知っていて、攫い、傷つけた。――極刑だ。身柄は王都の守備隊に引き渡される」
ひゅっとエレーヌは喉を詰まらせる。マクシムは身体を離し、エレーヌの頬に触れようとして、寸前で手のひらを握り込んだ。
「若、ちょっと天気がまずいっすよ。雨が降ってきた」
沈黙する二人に、駐屯兵にジャンヌを引き渡したクルトの声が届く。エレーヌはさっと顔を伏せて、詰襟の上着をぎゅっと掴んだ。
マクシムが耳をそば立てると、微かに雷鳴が響いているのがわかる。
「離宮に戻るのは無理か」
マクシムもクルトも馬で来たし、駐屯兵たちにも馬車の用意はない。エレーヌの身体が冷えてしまう。
「オレ、こいつらを町の屯所に放り込んだら、離宮に伝えますよ。薬箱と食料は置いてきますんで」
クルトは軽々と巨体の男を抱えながら言った。マクシムはわずかに躊躇ってから頷いた。
「……分かった。一晩経ったら迎えに来てくれ」




