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(26)欲しいもの「ないかもしれない……」

( 26 )


 豊穣祭の最終日は、雲ひとつない晴天で始まった。


 木綿のブラウスに、くるぶし丈の赤いスカートがふんわりと翻る。仕上げに襟ぐりの深い袖なしの黒い胴衣(ボディス)の紐をぎゅっと絞り、マノンは姿見越しに笑いかけた。


「よくお似合いです。姫さま」

「わあっ」


 鏡を見ると、祭りのために着飾った町娘のエレーヌが写っていた。完璧に整えられた王妹とは違う姿に、エレーヌは胸をときめかせる。

 マノンはエレーヌの両脇の髪を掬い取り、編み込みながら纏枝花(ダリア)を挿していく。残された髪は丁寧に梳って背に流す。


「髪型と、エプロンの結び方が重要なんですよ」


 未婚の娘は髪を半ば下ろし、前面左側に白いエプロンの腰紐を結び目を作るのだという。一目で未婚か既婚か分かるというわけだ。


「本当だったらお下がりじゃなく、新しく作った方がいいのですけど」

「ううん。わたし、マノンのお下がりがいい」


 エレーヌは振り向いて笑った。マノンはエレーヌと色違いの青いスカートを履いている。


「こうしたら、姉妹みたいだもの」

「あたしを喜ばせてどうするんです。今日は貴女が楽しむ日なんですからね」


 階下に降りると、平民の格好をしたクルトが二人の格好を誉めた。今日のために、マノンが護衛として雇ったという。


「クルトさん、今日はきてくれてありがとう」

「どういたしまして。マノンちゃんとお祭りデートできるの嬉しいなあ」

「誰がデートですか。用心棒ですよ。姫さま、ちゃんと賃金を支払っているので、遠慮なくこき使いましょう」


 二人のやりとりには遠慮というものがない。最初はどうなるかと思ったものの、二人の相性は良いらしい。そのうち関係が進展するだろうとエレーヌは確信している。

 モントルイユの町では、必ず庭にブーゲンビリアの花を植える。夏から秋にかけて民家や修道院で一斉に赤と紫の花を咲かせ、豊穣祭に彩りを添えるのである。

 祭りの花形は、なんと言ってもトロワジェーム修道院に続く大路の両脇に並ぶ露店だ。


「本当に、レースのお店だらけ!」

「お嬢さま、手を離さないでくださいね」


 あちらこちらに目を向けるエレーヌの手をしっかり握って、マノンは本日十回目の注意をした。クルトは二人の姉妹のようなやりとりをのんびり見守っている。

 エレーヌは一番近い店先を覗き込み、目を輝かせた。赤い布の上に、レースのリボンがずらりと並んでいた。


「綺麗なリボン……」

「おや、可愛いお嬢ちゃんだね」

「こんにちは。見てもいいですか?」


 もちろんだよと店主の女は太った腕を広げる。エレーヌは一つひとつゆっくりと眺めた。花の模様、天使を織り込んだもの、星を模ったもの。見ていて飽きない。

 端から見ていたエレーヌは最後の一つに目を止めた。


「ミモザ……」

「ああ、それね。うちのおっかさんの力作さ。ミモザのレースを作らせたら、うちのおっかさんの右に出るものはいないよ」


 ねえ、と店主が店の奥を振り返ると、ゆり椅子に腰掛けた老女がにっこり笑った。


「本当に素敵です」

「ありがとう。お嬢ちゃんに連れはいないの? こんな可愛い女の子がレースをつけてないなんて、モントルイユではあるまじきことだよ」


 エレーヌは首を傾げた。マノンを振り返ると、彼女はちょっと躊躇ってから説明した。


「モントルイユでは、男性が意中の女性に求婚の証としてレースのリボンを贈るんです」

「嘘でしょ早く言ってよマノンちゃん!」


 クルトは悲壮な悲鳴をあげた。マノンは華麗に無視をして説明を続ける。

 祭りの日までにレースのリボンを贈って、祭りの夜にそのリボンで髪を飾ったら求婚を了承したという返事になるのだという。


「そうなのね。それじゃあ、おばあさんのリボンも?」


 エレーヌがゆり椅子に腰掛けた老女を見た。その髪には薔薇のレースがつけられている。


「ああ、亡くなった旦那に貰ったんだよ。子どもはできなかったけどいつも幸せだった」


 節くれだった指先で店主をさし、体を揺すって笑う。


「その内、こんな働き者の良い子が養女になってくれてね。おかげで旦那が死んでも愉快なことだらけさ」

「おっかさん、その台詞、うちの人が帰ってきたらよーく言ってきかせて」

「そういわない。あの子はお前に花と白いパンを買ってくるつもりなんだよ」

「ええっ? 飲み歩くって言ってたけど」

「ほほ、そりゃあ照れ隠し」


 義母の言葉に、店主は娘のように顔を赤らめて笑った。エレーヌは眩しげに母娘を見つめた。


 

「買わなくてよかったんですか? 自分で使うレースを買ってもいいんですよ」


 結局、エレーヌはミモザのレースを買わなかった。マノンが買ってきたマカロンを受け取りながら、エレーヌは微笑む。


「いいの。わたしの所に居たら、レースがかわいそうだわ」


 きっと買っても、身に付けられない。大事にしまって、そのままだ。それは勿体ないと思う。


「このマカロン、くるみが入ってる。おいしいっ」


 マノンが何か言いたそうな雰囲気を出していたが、エレーヌは誤魔化すようにはしゃいでみせた。


「お嬢ってさあ、欲しいものがあったらどーしてんの?」


 壁に背を預けて、焼き串を頬張っていたクルトがふと尋ねてくる。


「欲しいもの?」

「うん」


 欲しいもの。エレーヌは黙り込んで考えてしまう。


「例えば、食べ物とか、おもちゃとか。めっちゃ欲しいって思ったもの、ないの?」

「ないかもしれない……」


 衣食住に困らない生活をしてきたし、おもちゃもねだる前に与えられてきた。遊び相手はマノンがいたし、妹がいたらいいなと思えば、リアーヌが産まれてきてくれた。


「そういえば、お嬢さまがおねだりすることって、あまりありませんね」

「そう、かしら」

「これから欲しいものが見つかったら我慢しない方がいいぜ」


 クルトはにぱっと明るく笑う。エレーヌは微笑み返しながら、自分って実はすごくつまらない人間なのかもと思い直した。


「もうひと回りしたら、離宮に戻りましょうか」


 と、マノンが提案する。離宮からなら、人々が空に祈りを込めて放つ提燈(ランタン)の灯りもよく見えるだろうからと。エレーヌは頷いてマノンの手を取った。


 ふと、うなじに嫌な感じが伝わって、振り返る。

 エレーヌがいるのは大路を外れた路地だ。主に食べ物の屋台がずらりと並んでいる。

 路地裏に続く細い道の入り口に、赤いブーゲンビリアを背負うように立つ少女がいた。

 エレーヌより一つか二つは年上であろうか。豊かな金髪に、豊満な胸、細くくびれた腰はとんでもない色香を放っている。

 何よりエレーヌの記憶を刺激したのは、彼女の視線だった。青い瞳に憎悪をみなぎらせて、エレーヌを真っ直ぐ睨みつけている。


(……ジャンヌ)


 その名を思い出した途端、エレーヌは一歩踏み出していた。ジャンヌは赤い口紅を引いた唇を歪めた。そして、さっと踵を返す。


「待って!」

「お嬢さま!?」


 エレーヌが走り出すのと同時に、わっと町の若い衆がブーゲンビリアで飾った御輿を担いで路地に入ってきた。


「お嬢さま! 待ってください!」


 人混みが大きく揺れて、手を掴む力が緩んでしまう。エレーヌは慌てて振り返ったが、青年たちに押されて路地裏に尻餅をついてしまう。


 呆然と通り過ぎる御輿の行列を見送っていると、背後から布で口を塞がれた。布に染み込んだ匂いを吸った途端、エレーヌの意識はたちまち遠のいてしまう。


 エレーヌは石畳に頽れて、自分を見下ろす少女を呼んだ。彼女の背後には男が二人いた。


「じゃ、んぬ……」


 そのまま意識を失うエレーヌの髪をわし掴んで、ジャンヌは酷薄な笑みを浮かべる。


 エレーヌの髪を飾った縫枝花(ダリア)が、石畳に散らばった。

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