(25)モントルイユ・レース「ちょっとお兄さん、手ぶらじゃないかい!」
(25)
マクシムがモントルイユにつく頃、陽は沈み切っていた。
桟橋を渡ると、昼間のような明るさを放つ町が見えた。モントルイユの中心、トロワジェーム修道院では大松明がたかれ、目抜き通りにはずらりと露店が並んでいるのが見える。
しかし用があるのは離宮だ。マクシムはあまり深く考えずに東に向かって道を折れた。
休みなく駆け抜けてくれたユディトを労わりつつ、ポムドテール孤児院の戸を叩くと子どもたちが「あれえっ」と歓声を上げた。
「じゃがいものおにーたん、お祭りきたのねっ」
「えーっでもレース持ってないよ!」
「ばかねえ! これから買うのよ!」
「おいらもお祭り行きたいなあ」
立て続けに話されて、マクシムは瞬きをした。ファラル語の会話に慣れてきたとはいえ、燕のように飛び交う子どもたちの言葉を瞬時に理解するのはいまだに難しい。
「……お祭り?」
かろうじて拾えた単語を返すと、子どもたちが勢いよく頷いた。モントルイユの町では、豊穣祭をやっているのだという。
「今夜がさいごなの!」
「ランタン飛ばすんだよ! いっぱい!」
「おじょうさまはとっくに行ったよ!」
「エレーヌも……?」
「うん。さっき、マノンちゃんと、ニンジン頭のおにーちゃんと、町の方出てった」
一番年長の少女が説明してくれたので、マクシムは胸を撫で下ろす。エレーヌが一人で祭りに行くわけがない。
「そうか。ありがとう。厩を借りるね」
ともかく、居場所はわかった。マクシムはユディトを厩に預け、孤児院を後にした。
トロワジェーム修道院に続く坂道の下で、マクシムは思わず足を止めた。両脇に露店がずらりと並んでいる。それが全てレースなので、呆気に取られてしまったのだ。
気を取り直して、一つの露店でエレーヌ達について尋ねた。すると、店主の女性が腰に手を当てた。
「ちょっとお兄さん、手ぶらじゃないかい!」
「は、いえ……、は?」
「レースは持ったの!」
「いえ持ってませんが……」
「馬鹿だねえ。勢いだけじゃモントルイユの女は靡かないよ! とっとと選びな!」
と、レースのリボンが並んだ台を指差す。「顔がいいやつほど手を抜いちゃだめなんだよ!」とも言われ、マクシムにはわけがわからない。
レースを買わない限り、話ができない。帝都の出店の押し売りを思い出しながら、マクシムは財布の紐を緩めた。
適当に決めようと選び出すと、驚くほど精緻な模様に圧倒される。薔薇、鈴蘭、木蓮、天使などさまざまな図案が組まれている。中でもマクシムの目を引いたのは、
「ミモザ……」
「ああ、これかい。……もしかして、あんたすっごく可愛い恋人がいないかい?」
「は?」
「いやね、さっきこのミモザのレースをじっと見てる子がいたんだよ。あれはお忍びだね。すっごく顔が綺麗だった」
直感で、それがエレーヌだと分かった。マクシムは思わず店主に詰め寄って尋ねた。
「その子はここに来たんですか? どこへ向かいましたか?」
「トロワジェームの女神さまにお祈りするとか言ってたっけかな……」
「これ買います。ありがとうございました」
即座に金貨を出し、ミモザのレースを掴むとマクシムは店主の制止も聞かず走り出した。
トロワジェームの女神は、修道院に鎮座する聖母像を指す。初代院長の王女に似せて作られたものらしい。モントルイユに初めて修道院を建てたその王女は、第三王女と呼ばれていたので、修道院の名も聖母像も「トロワジェーム」と呼ばれ、親しまれている。
緩やかな坂道は、いつもの静けさは消え去り、人が大層混雑していた。思うように修道院との距離が縮まらず、マクシムは舌打ちをして裏通りに回ろうと踵を返す。
その瞬間、裏の路地から飛び出してきた若い女性とぶつかった。
「! すみません、お怪我は……ランバル嬢!?」
「伯爵、どうしてここに……!?」
「マノンちゃん、お嬢見つかったの!? って若ぁ!?」
続けて飛び出してきたのはクルトだ。二人の側に、白金の髪を揺らす少女はいない。
マクシムは全身の血が冷えて行くのを感じた。
「……エレーヌは?」
マノンが切羽詰まった声で状況を説明した。
「人混みに押されて、あたしが手を離したんですっ。修道院から三本下の路地で、姫さまが誰かを追いかけようとされていました。一瞬見失って、そのまま……」
「はぐれてどのくらいが経った?」
「もうすぐ二時間スね。……離宮に戻ってるかもしれないって話してたんっすよ。お嬢は土地勘あるから」
マクシムに迷っている暇はなかった。
「クルト、お前はランバル嬢と離宮に一旦戻れ。俺が町を探す。エレーヌが戻っていたら、鳥笛で知らせろ」
「わかりました」
マクシムはエレーヌが最初にいなくなった路地を目指して坂道を駆け上がった。走りながら懐中時計を見れば、七時を過ぎていた。
王都からモントルイユまで休みなく馬を飛ばし、そこから走り続けているので、流石に息が乱れ始めた。全身を、じっとりと冷えた嫌な汗が伝っていく。
頭に浮かぶのは悪い想像ばかりで、胸のうちが急速にこわばっていく。
祭りにはモントルイユ近郊の村からも人々が集まっている。酒を呑んで陽気に騒ぐ男たちが通り過ぎ、マクシムは歯噛みした。
修道院が多く連なる町とはいえ、祭りの夜というのは、人間の箍を外しやすい。
路地裏で倒れている姿を一度想像してしまうと、マクシムは焦りと恐怖で気がおかしくなりそうだった。
(人は、簡単に死んでしまう)
マクシムはそれを嫌というほど知っている。たった今となりで呼吸していたはずの人間が、刹那のうちに物いわぬ骸となる。
そして、残虐な欲望のままに人が人を傷つけることもある。命を奪うまでに、一方的な暴力を与えて痛めつけ、その心を壊して、愉しむ人間がいる。エレーヌだけには、そんな目にあって欲しくない。




