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(24)大使の忠告「それとも、君が拘っているのは国ではなく人なのかな?」

(24)


 宮殿からの帰り道、マクシムは寄宿舎への道を逸れて貸本屋に向かった。馭者には歩いて大学に戻る旨を伝え、先に戻らせた。


 東洋人の店主は、相変わらず居眠りをしている。いつも通り詩集の区画を横切りながら、ふっとマクシムは歩みを止めた。

 レニラード詩集『四季』の【秋】が戻っている。エレーヌがなかなか借りることができないと肩を落としていた本だ。宮殿の図書館も探したが【秋】だけがないのだという。


 マクシムは本を抜き取って貸し出し手続きをした。貸本屋を後にし、隣接するカフェを素通りしようとすると、朗らかな声がかかった。


「おや、マクシムくんじゃないか」


 カフェのテラス席を見ると、三十歳前後の若い男が手をあげている。


「……アドヴァンス卿。お一人ですか?」


 エルドラード大使が従者一人もつけず長閑に新聞を広げているので、マクシムは面食らった。進められるままに席に着くと、大使は悪戯っぽく片目を閉じる。


「君だって一人じゃないか。曲がりなりにも大公だというのに」

「……兄には言わないでもらえると助かります」


 墓穴を掘ってしまった。マクシムが素直に言うと、大使は声をあげて笑った。


「言わないさ。それに、あの皇帝陛下こそ我らには何も言えないだろう。とうとうレニラード神国にまでお忍び旅行を果たしたというのだから恐れ入る」

「それは初めて聞きました」


 給仕にカフェ・クレームを頼み、マクシムは二年以上会っていない長兄を思い浮かべた。

 どうやら、あいかわらず玉座を温めることもせず各地を飛び回っているらしい。


「あの方は、いずれナドルヴィアにも忍び込むつもりだよ。宰相大公も大変だ」

「長兄は弟たちを困らせるのが趣味なんです」


 その主な被害者は次兄のカストーレ大公だ。本来であれば、聖王領の守護だけが次兄の務めだが、奔放が過ぎる皇帝に振り回された帝国官僚に泣き付かれ、去年から帝国宰相として忙しくしていると聞く。


「まあ雑談はこれぐらいにして。マクシムくんはいつ帰国するんだい」


 マクシムはカフェ・クレームに伸ばしていた手を膝に戻す。


「いえ、俺は卒業するまではいるつもりです」

「この状況で? 私はとっくに荷を纏めて、子供たちには毎日亡命訓練をさせているよ」


 アドヴァンスは向かい側でのほほんと笑っているが、その瞳には油断のない光があった。

 エルドラード大使は、皇帝を介して出会った情報共有者だ。爵位は伯爵、外交官になる前は海軍にいて、エルトリア大陸にも渡ったことがあるという。


 彼の情報を正しく使い、忠告に従え。皇帝はマクシムにそう命じた。


「……姉が、出産を控えております」

「ローゼンベルク伯に任せておけばよいだろう。彼はファンデールとエルドラードが戦争になった時もしれっと生き残った経験がある」


 マクシムは手付かずのカフェ・クレームを見下ろして黙り込んだ。

 国王が特権階級への課税命令を出した途端、王都ルヴェルの治安は悪くなる一方だ。

 今まで課税を免れてきた者たちの反発は大きい。水面下で反政府派を唆し、打倒王政運動を支持する者までいる。治安の悪化に伴い王都の駐屯兵が増やされたが、抗議運動を抑え込む動きは、彼らの怒りに火をつけてしまっている。

 イルヴォンヌ大学も閉校する可能性があると専らの噂である。


「俺は北部の復興に手を貸しています。途中で投げ出すことはしたくありません」

「陛下はね、君がそう言ったらこう返せと命じてきたよ。どうせ内乱で踏み荒らされる土地に執着するな。そんなに農業を極めたいのであれば、エルトリアの大学に編入しろと。私もそれがいいと思う」


 新大陸に渡り、農業の知識を深める。留学前のマクシムであったら無条件で飛びついただろう。しかし、肯くことはできなかった。


「俺は……」

「何だったらエルドラードの大学でも良い。歓迎するよ。君はなぜこの国にこだわる?」


 荒れ狂う国に、なぜ居残ろうとするのだと大使は穏やかに尋ねる。マクシムは言葉に詰まった。


「それとも、君が拘っているのは国ではなく人なのかな?」


 と重ねて尋ねられ、咄嗟に浮かんだのは白金の髪を揺らす少女の笑顔だった。

 マクシムは心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受け、呆然と大使を見返した。


「……ふうん。それが誰なのか、今は聞かないでおくよ」


 今は、と強調して大使は機嫌よく空のグラスを掲げた。気づいた給仕が近寄ってくる。


葡萄酒(ワイン)をくれ。知人の弟君にやっと春がきてね。酔いたい気分なんだ」

「アドヴァンス卿」


 それはおめでとうございますと給仕が如才なく答え、葡萄酒(ワイン)(ボトル)を持ってくる。マクシムが否定しようとしても、大使は聞き入れない。


「ま、君の青春に免じて、今日は引き下るよ。一杯ぐらいつきあいたまえ」


 皇帝にはうまく言っておく、ということらしい。大使に借りを作ってしまいマクシムは顔を半分覆った。


「……目が離せない存在がいるのは、確かです」


 グラスを受け取って、言い訳がましくマクシムは言った。


「けれど、それは妹を大事に想うような気持ちです」

「なるほどねえ。これは自覚したあとが楽しみだな」

「アドヴァンス卿」

「大いに苦しみたまえ。私はね、若者が悩んで足掻いて青春を満喫している姿を眺めるのが好きなんだ。現実が良い報せばかりでないから、余計にね」


 と言って、思案げにワイングラスの縁をなぞった。


「逃げる準備をしているとはいえ、私はエリザベート姫の輿入れを任されている。王都が危うくなったら姫だけでも連れてこいと我が君は仰せだ」


 我が君――エルドラード王。エレーヌの未来の夫。

 表情に出さないまま、マクシムは膝の上に置いた拳を握り込んだ。


「けれど、王太子や議会はそのまま死なせろと暗号を送ってくる。板挟みは辛い」

「……エリザベート姫への反感は強いのですか」

「まあね。エリザベート姫が王妃になったら、流民問題が複雑化する。制海権についても、彼女から男子が生まれたら、混乱の火種になるだろう。海軍は王太子が掌っているから」


 エルドラード王自身は未だ実務についているが、軍事権は王太子にある。王太子は結婚ではなく戦争を仕掛けてドーラ海峡の制海権を奪い取ろうと考えているらしい。王太子にとって、エレーヌは招かれざる継母なのだ。


「それに、我が君は何人の王妃を殺したら気が済むのか。若い娘が、妊娠と出産を繰り返して死んでいく。……エリザベート姫が哀れでならんよ」


 マクシムの脳裏に、血を吐いて倒れ伏すエレーヌの姿が浮かぶ。不吉な想像を追い払うように、マクシムは大使を正面から見つめた。


「……エルドラード王太子は、内乱で弱ったファンデールに戦争を仕掛け、制海権を奪うおつもりですか。……イシュルバートと挟み撃ちにして」

「ははっ、それは皇帝に尋ねたまえ」


 と大使はマクシムの問いを交わして、葡萄酒(ワイン)を煽る。


「王太子の姫は、皇太子の肖像画をいたく気に入っている。私の娘は姫の従姉。皇太子の性格や好みなど、また教えてくれ」


 そのうち招待状を送るよ、と言って大使は颯爽と席を立った。


「会計は済ませてある。好きに過ごすといいよ」


 と言って、ひらひらと片手を振って去っていく。マクシムは詰めていた息を吐き出した。


 この春、イシュルバート皇太子とエルドラード王太子の長女の婚約が成立した。ローゼンベルクから、皇帝と王太子は親密な関係を築いていると情報が入ってきている。

 皇帝が狙うのは、キーシュ戦の決着だけではない。ファンデールの内乱に乗じて帝国領土を広げるつもりなのだ。いかにも野心の強い長兄が考えそうなことだ。


 内乱に加え帝国軍とエルドラード海軍がファンデールを襲えば、この国で何十万もの命が亡くなるだろう。マクシムはカフェ・クレームを一気に煽り、席を立った。


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