(23)エレーヌの成長「……もしかして、化粧してる?」
(23)
姉の言った通り、エレーヌは愛らしさはそのままに、美しく成長した。
十四歳になると白金の髪をまとめて結いあげるようになり、ますます大人っぽくなった。
ふんわり膨らんだ胸、細くくびれた腰、踊る姿は妖精のようで、誰もが魅せられた。
クラヴサンを弾く時のたおやかな腕の美しさについて、宮廷詩人が四行詩を作り一流の音楽家が歌を添え、社交界から下町まで戯れ歌が流行ったぐらいだ。
加えて、エレーヌが積極的に慈善活動に身を投じることもあり、平民からの印象も良い。
大学や北部に通う傍ら、何回かエレーヌとモントルイユに訪れたが、彼女の献身は並々ならぬものがあった。
なかでもマクシムを驚かせたのは、数字に強くなりたいと打ち明けられた時だ。エレーヌは孤児院や医療施設の経営事情を理解したいから、算術を教えて欲しいと頼んできたのである。
エレーヌは知識の吸収に貪欲だった。誰かに言われたからではなく、問題を見つけたら考えて行動する癖がついているのだ。
マクシムが素直に感心すると「母の言いつけを守っているだけ」と恐縮するが、ここまでできる人間はなかなかいない。エレーヌはたおやかな見目だが、胆力があるのだ。
今年の春の昼下がり、マクシムとエレーヌは忍冬のアーチの下をのんびり歩いていた。
月に二回の正礼拝に、マクシムは宮殿に訪れる。王室礼拝堂での正礼拝が終わったら、エレーヌと並んで国王夫妻の談話室へ向かうのが当たり前になっていた。
「マクシムさま、大学はいかがですか? アルザスとの往復は大変では……」
「士官学校の野営演習に比べたらどうってことないよ。大学も何とか単位は取れそうだし。でも、論文ばかり書いて少し寝不足かな。義兄上の珈琲が楽しみだ」
「まあ」
並んで歩きながら、マクシムは隣でくすくす笑っているエレーヌをちらりと見おろした。
先日会ったときと雰囲気が違うような気がして、何故だろうと思ったのだ。
「先週久しぶりにムッシュ・リーの貸本屋に寄れたのです。『ツークフォーゲル英雄譚』を借りました。とても面白かったわ」
マクシムが謎を解く前に、エレーヌが輝く笑顔をこちらに向けた。マクシムは急に気まずさを感じて、視線をシンボルツリーの木蓮に向けた。
「そう言ったら、ローゼンベルクも喜ぶよ」
ローゼンベルクは文筆家でもあり、歴史書を中心に何十冊も本を出している。エレーヌが読んだのは十年前に刊行された本だ。
「目次にずらりと通り名が並んでいて圧巻でした。獅子皇帝、鉄血大公、将軍大公……」
白い指を折りながらエレーヌがあげる名にぎくりとした。いまだに【将軍大公マクシミリアン】と聞くと複雑な気持ちになる。
「マクシムさまが載るとしたら、野菜大公ですね」
「……へ?」
思わず聞き返すとエレーヌは真面目な顔で考えている。どうやら冗談ではないらしい。
「いいえ、それとも農業大公? 緑の指大公なんて素敵ですね」
屈託なく笑って顔を上げ、マクシムが固まっていることに気づくと、エレーヌは頬を真っ赤にして狼狽えた。
「あ、ごめんなさい。考え出したら楽しくなっちゃって……」
「嬉しいけど、その……俺は軍人ではないから、英雄譚には載らないよ」
マクシムの苦笑混じりの言葉に、エレーヌが目を丸くして立ち止まった。
「武勲を立てる方ばかりが英雄になるわけではないと思います。文人皇帝カール陛下も入っておりましたし」
今度はマクシムがぽかんとする番だった。エレーヌは石畳に散った木蓮の花びらを拾い上げて続ける。
「紛争や戦争の多くは食糧問題から発生している、と教えてくださったでしょう?」
「うん」
キーシュ戦争も、食糧難が原因の一つだ。北方のナドルヴィアは寒冷地で、作物が多く実らない。生きるのに厳しい土地だから農民は逃げ出すし、略奪も起こる。
彼の国は、冷害の影響が最も深刻なのだ。だから、肥沃な黒土を持つキーシュを狙っている。
「マクシムさまは農業で世界から飢える人をなくそうと試みている。剣や銃を用いずに。だから、マクシムさまは英雄なんです」
ふわ、と微笑む姿がとても眩しかった。エレーヌの眩さに、マクシムの目頭が熱くなる
長年刺さって、知らないふりをしていた棘がするりと抜けたような感覚に包まれた。
「……ローゼンベルクの新作は『じゃがいも大公のレシピ』かな」
「あら、その時はクネルも載せて欲しいわ」
はしゃぐエレーヌの髪に、ひらりと木蓮の花が落ちた。マクシムは無意識に手を伸ばす。
「ひゃっ」
マクシムが髪に触れた途端、エレーヌが驚いて身を震わせた。羞恥で潤んだ瞳で見つめられ、マクシムは慌てて手を離した。二人の間に沈黙が落ち、気まずい空気が流れる。
ぎこちない雰囲気をあざ笑うかのように、石畳に白い花が落ちる。
「ごめん、言えばよかった」
「わたしこそ、ごめんなさい。びっくりしすぎですよね」
エレーヌは笑って、木蓮の花を拾おうと身を屈めた。今のやりとりで緩んだのか、綺麗に結いあげた髪がひと房、エレーヌの真っ白なうなじに落ちていた。
屈んだことで、ふんわり膨らみはじめた胸元が見えそうになり、マクシムは素早く視線を逸らした。マクシムの心臓が早鐘を打ち、わけのわからない衝動が暴れている。それを鎮めるため、必死に次兄が作った刑法の草案を思い出した。
(タスカナ刑法第三十条、思い出せ、第三十条……)
黙り込んだマクシムを、エレーヌは心配そうに覗き込んだ。
「マクシムさま、寝不足がつらいですか?」
「だいじょう……」
エレーヌを真正面から見下ろしてマクシムは固まった。頬に熱が集まるのがわかる。
「……もしかして、化粧してる?」
うっすら叩かれた白粉と、薄紅に艶めく唇に目が釘付けになる。エレーヌはぱっと顔を逸らして俯いた。うなじが真っ赤に染まっている。
「あの、変でしょうか?」
「変じゃないよ。似合っている」
エレーヌははにかんで微笑んだ。
「お義姉さまに教えてもらいながら、お化粧の練習をしているんです」
「もうすっかり大人だね」
よく似合うよ、ともう一度言った。膨れ上がる感情を厚い帳で覆い隠しながら。




