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(21)政略の駒「……エリザベート姫、だったか」

( 21 )


 舞踏会の夕べ、マクシムは白を基調とした夜礼服を身に纏って王宮に上がった。

 白亜の大宮殿は、噂にたがわぬ眩さだ。名高い大回廊(ロング・ギヤラリー)には、世界中から集めた絵画や、東洋の陶磁器が惜しみなく飾られている。

 天鵞絨(ベルベツド)の上をゆったり進みながら、ローゼンベルクは喧々とマクシムに言い聞かせる。


「若君、よいですか。つまらなそうな顔はしてはいけません。けれど、微笑みすぎるのもいけません」

「つまりどちらなんだ」


 ローゼンベルクは王都に入ってからずっとファラル語である。この国特有の持って回った表現を使うため、マクシムは言外に表された意図を掴みきれない。

 マクシムの初心な様子に、ローゼンベルクはやれやれと大袈裟に肩をすくめた。


「とにかく、女性に三秒以上微笑みかけてはいけません。休憩室に引き摺り込またいならどうぞ」

「絶対に嫌だ」


 兄の「慎み深いが要求が多い」という言葉の意味をやっと理解して、マクシムは表情を引きつらせた。


「イシュルバートより、ローゼンベルク伯爵ならびにファルケンシュタイン伯爵のおなりです!」


 小麦色の肌に、アーモンド型の瞳を持った小姓が巻物を開いて読み上げる。

 大広間へ足を踏み入れると、華やかなさんざめきがわっと襲ってくる。飛び交う人の声はかしましく、楽団の奏でる音楽をかき消す勢いだ。


 北海の覇権を握るエルドラード王が主賓ということもあり、大広間は孔雀のように着飾った老若男女がひしめき合っていた。

 無数の蝋燭に灯された明かりが、天井から下がる水晶のシャンデリアに弾かれていた。光はあちこちに配された壁面鏡の中にも灯り、昼間のような明るさで人々を照らしている。

 マクシムの後にファンデール友好国の公子が入室すると、好奇の視線が一気に減る。

 マクシムは無意識に強張っていた肩から力を抜くことができた。


(……大公待遇を取り下げてもらって本当によかった)


 留学の間は【マクシム・フォン・ファルケンシュタイン伯爵】という身分でファンデールに滞在する。だから、今日の夜礼服には大公位を示す勲章も大綬もつけていない。

 皇帝が「弟は勉学に励む身の上、華美な出迎えなどは無用」と念を押したおかげである。

 これは、末弟の負担を軽減するという長兄の心配りだ。全快したとはいえ、後遺症に苦しむマクシムにとって、これは非常にありがたかった。

 マクシムは気楽にローゼンベルクの説明に耳を傾けることができた。


「この鏡の間は、ファンデール国家の政治的、経済的な覇権を誇示するものです」

「だから、これだけの鏡を嵌め込んでいるんだな。いったい何枚使っているんだろう」

「五七五枚でしたかな」

「最新戦艦が三隻か……」


 天井画には、百年前のドーラ海戦から、イシュルバートと雌雄を競った幾多の大陸戦争の物語を主題に、歴代の王たちの偉業が描かれている。

 豪奢な天井画は、マクシムを複雑な気持ちにさせた。

 王都までの道すがら、マクシムはローゼンベルクからこの国の抱える問題について微に入り細に入り説明してもらった。

 ファンデールは、多額の戦債を抱えている。四代続けて戦争を繰り返しているからだ。

 戦争を繰り返しているという点についてはイシュルバートも同様だが、帝国は財政面では安定している。

 その背景には、女帝の婿の存在があった。マクシムの父親はカリスマ性には欠けたが、蓄財の才に長けていた。父は企業家として成功を収め、女帝の御代では財政に大きく貢献した。そしてイシュルバートの過去の戦債についても、ほぼ全額私財で賄ったのである。


「先代の御代でしたか。ファンデールの会計院で帳簿を見る機会がありましてな」


 マクシムに檸檬水を渡し、ローゼンベルクは三鞭酒(シヤンパン)の杯を傾けた。


「それは、国家機密じゃ」

「そこは女官をうまく丸め込んで。独身時代は、各国の美女との思うままに愛を交わしたものです」

「……、続けてくれ」

「当時、じいは数字は強くない方でしたが、そのじいでも『この帳簿のつけ方はない』と分かりました。国家収入額の概算さえあやふやなまま、支払っているのです」

「……収入と支出を把握しないのなら、横流しにも気づかないんじゃないか」

「いかにも。幸い、今代の国王陛下がおん自ら帳簿を整理し、管理するようになってから横領は起きておりません。今、ファンデールの財政状況のまずさを理解しているのはあの方だけでしょう」


 へえ、とマクシムは玉座に視線を向けた。二十代半ばの青年が、恰幅なエルドラード王と歓談している。少し表情が乏しいが、顔立ちは整っており、眼差しは鋭い。

 ファンデール王は即位して六年目に入る。短期間で先祖代々の会計の混乱をほぼ収めたのなら、財政改善の望みが絶たれたわけではなさそうだ。


「国王は戦債の返済条件緩和と引き換えに、ドーラ海峡の制海権をエルドラードに引き渡すつもりのようです」


 ローゼンベルクが声を顰めた。マクシムは壁際に背を預け、暫く考えてから答えた。


「つまり、エルドラードがキーシュ戦に介入すると。兄上はご存知なのだな」

「はい。皇帝陛下も、エルドラードとは同盟を結ぶおつもりでいます。うまくエルドラード海軍を引き入れれば、キーシュ戦の終結は目前です」


 マクシムは脳内で西方大陸の家系図を紐解いた。マクシムの甥である皇太子とエルドラード王太子の姫は同年だった。ツークフォーゲルのお家芸たる婚姻政策の出番である。


「この話の肝は、国王がドーラ海峡の制海権を王妹にお預けするという点です」


 国王には妹が一人いる。確か、名前は。


「……エリザベート姫、だったか」

「いかにも。王妹殿下はエルドラード王の継室になられるのです。お子様ができたら、男女問わず制海権はそちらに渡ります」


 エルドラード王は既に四十五。王太子はとっくに成人して子宝に恵まれている。

 王妹は七人目の王妃となる。彼女が国王の子を孕まないままに寡婦となれば、制海権はファンデールに戻るというわけだ。

 よくできた筋書きである。諸侯の駆け引きでは珍しくない。なのに、なぜ腹の底がざわめくのだろう。


「エルドラード王は四十五を過ぎていただろう。王妹殿下は……」

「現在、十二歳であられます。ああ、いらっしゃいました」


 ひときわ大きな拍手と共に、王妃が玉座へと登る。その後ろに続く少女を見た瞬間、マクシムは絶句した。


(この間の……? まさか)


 よく似た別人だ。王妹が貸本屋に訪れるわけがない。

 そう思いながらも、マクシムは、国王に促されエルドラード王の前に進み出る王妹の姿から目が離せない。

 白金の髪を結い上げ、薄紫のドレスを纏った少女は、可憐で華奢だった。装飾品は宝冠(ティアラ)と細い首を一巡する真珠の首飾り(ネツクレス)のみ。いずれも、王妹の内側から照り輝くような白い肌によく映えている。


 愛らしい装いとは裏腹に、王妹の横顔は張り詰めていた。エルドラード王に手を重ねる所作は優雅だが、青い瞳は怯えきっている。

 エルドラード王は衆目などものともしない。王妹をじっくり見つめ、抱擁までする始末。


 王の視線は、マクシムの記憶を刺激した。頭のてっぺんから爪先まで、まるでなぶるように。その表情は、マクシムを痛めつけた敵兵と同じ残虐さがあった。


「――君、若君! どちらに行かれるのですか?」


 二の腕を掴まれてはっと我にかえる。ローゼンベルクの落ち着いた顔を見ているうちに急速に頭が冷えた。今、自分はどこへ行こうとしたのだろう。


「何でもない。少し、疲れただけだ」


 曖昧にごまかし、マクシムは体勢を戻した。いつの間にか音楽が始まり、玉座から王妃の手を取ったエルドラード王が満足げに降りてくる。


 王妃とエルドラード王が大広間の中心に立つと、賓客たちもその周りをぐるりと取り囲んでホールドを組む。

 マクシムの目線は懐かしい姉ではなく、王妹の行方を追ってしまう。王妹は兄のファンデール王に退室を促されているようだった。その横顔は微笑んでいるが、青ざめている。


 玉座を降りてから、彼女は何人かの賓客と会話をし、さりげなく庭園に続くバルコニーの方へ向かった。

 少女の姿が宵闇にとけるように消えていく。マクシムは「少し、風にあたってくる」とローゼンベルクに言って、その場を離れた。

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